指導者の経歴

D・トッド・クリストファーソン管長

D・トッド・クリストファーソン管長は、2025年10月14日、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会第二顧問に任命されました。

D・トッド・クリストファーソン管長は、2025年10月14日、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会第二顧問に任命されました。

2008年4月5日に、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会の一員として召されました。使徒の召しを受けたときは、七十人会長会で奉仕していました。

七十人会長会の任期中、クリストファーソン管長は家族・教会歴史部門の管理ディレクターなどを務めていました。それ以前は、メキシコシティに住んで、教会のメキシコ南地域の地域会長を務めました。

十二使徒定員会の一員となってからは、さまざまな時期に教会のブラジル地域、南アメリカ南地域、南アメリカ北西地域、フィリピン地域、アフリカ西地域、ユタ地域を監督する責任を担ってきました。またこのほかに、神権・家族管理評議会や宣教師管理評議会の委員、コーリレーション管理委員会の議長、教会教育管理会の会長などを務めてきました。

クリストファーソン管長は、専任の中央幹部として奉仕する前は、ノースカロライナ州シャーロットにあるNationsBank Corporation(現Bank of America)の副法務顧問を務めていました。それ以前は、テネシー州ナッシュビルのCommerce Union Bankの上級副社長兼法務顧問を務め、地域問題や異宗教交流組織でも活動していました。クリストファーソン管長は、「ウォーターゲート事件」として知られる裁判と、その他の訴訟の期間(1972-1974年)に合衆国地方裁判所判事ジョン・J・シリカの法務書記を務めた後、1975年から1980年までの間、ワシントンD.C.で弁護士として働きました。また、1971年から1979年まで米国陸軍予備役将校として務め、大尉の階級に達しました。

ユタ州アメリカンフォークで生まれ、ニュージャージー州サマセット郡の高校を卒業後、ブリガム・ヤング大学でエドウィン・S・ヒンクレー奨学生として学士号を取得し、その後デューク大学で法学士号を取得しました。

召しとして、ほかにも地区代表、ステーク会長、ビショップとして教会で奉仕してきました。若いときには、アルゼンチンで宣教師として伝道しました。

クリストファーソン管長と奥様のキャサリン・ジェーコブ・クリストファーソン姉妹には5人の子供がいます。