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末日聖徒イエスキリスト教会 中央日曜学校会長会第一顧問であるチャド・H・ウェッブ兄弟が熊本と福岡を訪れ、教会員を対象にディボーショナルを行いました。
2026年3月21日(土)の夕方、日本の熊本で開催されたディボーショナルにおいて、チャド・H・ウェッブ兄弟は、青少年、ヤングシングルアダルト、そして親たちに対し、「イエスが歩まれた道をたどるバーチャルウォーク」と自身が表現した方法を通して、イエス・キリストにさらに近づくように招きました。彼はこの聖地を巡る旅を通して、救い主の生涯、教え、贖罪、そして復活について証しし、イエス・キリストが今も生きておられ、ご自身のみもとに来るすべての人に対して、憐れみ、癒し、希望を与え続けておられることを力強く述べました。
ウェッブ兄弟は、エルサレムと聖地を訪れて復活祭を祝うことを想像するよう招くことから話を始めました。このシンプルな招きにより聴衆を引き込み、救い主がかつて歩まれた道をたどる霊的な旅へと導きました。それは、イエスが歩き、教え、奇跡を行われた場所について学び、主の持っておられた目的と神聖な役割について証しする旅でした。ウェッブ兄弟は、それぞれの場所が救い主の生涯と教えにどのように関係しているかについて、歴史的および霊的な背景を交えながらわかりやすく説明しました。
彼はまた、この旅の中で自分自身と妻が感じた思いや霊的洞察について振り返りました。宿屋に部屋がなかったことに始まる拒絶や疎外の痛みについても語りました。一方で、キリストの誕生に関わる天使たち、羊飼いたち、東方の博士たちの訪れも思い描いたと述べました。
| Temple Square is always beautiful in the springtime. Gardeners work to prepare the ground for General Conference. © 2012 Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. | 1 / 2 |
救い主の歩まれた道の中で、他にも霊的に力強い要素として山上の垂訓がありました。ウェッブ兄弟は、「柔和な人たちは、さいわいである」「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」という救い主の教えに触れ、日本の聖徒たちのことを思ったと語りました。続けてウェッブ兄弟は、日本の聖徒たちは「数は少ない」ものの、その信仰によって世の光となっており、使徒たちのように、すべての教会員が主の弟子であり証人となるよう召されているからであると話しました。
ウェッブ兄弟はまた、キリストの使徒たちに授けられた神権にも言及しました。ペテロが水の上を歩いた短い出来事と、その後「救い主とともに船へ戻った」可能性についても触れました。さらに、カペナウムでの奇跡、ラザロの復活、使徒たちによってキリストが主であることが確認された事実、啓示の原則とその基礎的な力を教えられた場所、そして変貌の山で起こった出来事についても話しました。
さらに、使徒たちの召しとそれに伴う奇跡について話しました。救い主の指示に従って、舟の反対側に網を投げた結果として大漁となった出来事などです。ウェッブ兄弟は、取税人マタイの召しもまた驚くべき奇跡の一つであるという見解を述べました。
救い主の生涯の最後の日々に話が及ぶと、ウェッブ兄弟は二つの絵画に表されている憐れみと思いやりに注目しました。一つはペテロが救い主を否定する場面、もう一つは復活された救い主がペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と命じる優しい場面です。さらに、救い主の死を十字架刑によって早めることで「ご自分の」安息日を破ることを避けようとしたという深い皮肉についても指摘しました。
その後、ウェッブ兄弟は最近子どもを亡くした友人たちと過ごしたときの、神聖かつ個人的な体験を分かち合いました。見学時間後に墓を閉じる扉に掲げられたプレートの言葉が、復活に対する理解に深い意味と力を与えたと述べました。「もうここにはおられない。よみがえられたのである。」というその言葉は、すべての人にとっても同じように理解と力を与えるものとなることでしょう。
後に、彼は別の話として、イランでの臨死体験により重度の閉所恐怖症を患った米兵の話を紹介しました。その男性は飲酒運転で三度目の逮捕となり、一晩の禁錮刑を言い渡されました。禁錮によって激しいパニックが起こる閉所恐怖症を恐れ、彼は必死にその刑から逃れられるように訴えました。裁判官は法の執行を妨げることはできませんでしたが、その時、その男性と共に刑務所で一夜を過ごすことを選びました。ウェッブ兄弟は、憐れみと裁きの両方が、救い主の復活と贖罪のメッセージに不可欠であると教えました。

ウェッブ兄弟の話の前には、クリスティ・ウェッブ姉妹がメッセージを分かち合いました。温かく誠実な声で、彼女は聖徒たちの信仰ある生活に感謝を述べ、「私は神が皆さんを愛しておられるのを感じます」と語りました。彼女は自分の聖典を「使い古され、たくさんの書き込みがなされたもの」と表現しながら、教義と聖約第109章からの洞察を分かち合いました。そして、救い主が契約を守られる憐れみの神であり、絶えず子どもたちを守り、命を与えるためにご自身のみもとに招いておられることを証しました。
また、彼女は第3ニーファイ10章にも触れ、復活された救い主が「めんどりが羽の下にひなを集めるように、わたしはあなたがたを幾度集めようとしたことか」と訴えておられる箇所を引用しました。ウェッブ姉妹は、救い主が決して集めること、守ること、癒すこと、強めること、そして個人的な愛と憐れみを与えることをおやめになることはなく、それはすべての人に向けられていると証しました。

アジア北地域会長会会長であるJ・キモ・エスプリン長老は、ウェッブ兄弟夫妻に続いて話しました。彼もまた、その夜の復活祭のテーマと直接結びつけてメッセージを送りました。彼は赦しという賜物と憐れみという原則の違いに焦点を当て、それらの両方がイエス・キリストの贖罪によって可能となった賜物であり、受け入れることを選ぶすべての人に与えられるものであると証しました。
このディボーショナルで語られたメッセージは、共にその夜の中心的なテーマを確認するものでした。すなわち、イエス・キリストは生きておられ、その憐れみは真実であり、すべての人が信仰と希望をもってその道を歩むよう招かれているということです。