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教会の日本における125周年を祝う

125年前に最初の宣教師が日本に到着しました

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1901年、日本の横浜に最初に赴任した宣教師たち、左より、ホラス・S・エンサイン、アルマ・O・テーラー、ヒーバー・J・グラント長老、ルイス・A・ケルチ。
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1901年、日本の横浜に最初に赴任した宣教師たち、左より、ホラス・S・エンサイン、アルマ・O・テーラー、ヒーバー・J・グラント長老、ルイス・A・ケルチ。2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

この記事はTheChurchNews.comのご厚意により掲載しています。他のメディアでの使用はご遠慮ください。   クリスティーン・ラップリー(Church News)

当時、十二使徒定員会会員であったヒーバー・J・グラント長老とルイス・A・ケルチ、ホラス・S・エンサインならびにアルマ・O・テーラーが末日聖徒の最初の宣教師として、客船「エンプレス・オブ・インディア号」で、1901年に日本の横浜港に到着しました。

9月1日に、この4人は東京の南に位置する東京湾に面した横浜にある木が茂った丘に行き、福音を宣べ伝えるためにこの国を祝福しました。

125年が経った現在、131,000人以上の末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が、14,000を超える島々から成り立つこの国にある230の集会所に集っています。7つの伝道部と4つの稼働中の神殿があり、さらに1つの神殿が建設予定です。

2026年8月30日、125周年を記念する全国ディボーショナルで、十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老が話をしました。ベドナー長老は聖約の力とその力がいかに人々を支え祝福する助けとなるかについて証しました。これについては教会の日本のニュースルーム(英語の記事はこちら)で記載されています。

「わたしたちが天父とイエス・キリストと交わす聖約を尊ぶときに生活にもたらされる霊的な力は、日本の聖徒たちを125年にわたって祝福してきました。それは今後も続くでしょう。主の業は、主の御心と時宜に従って、加速するでしょう。わたしたち一人一人が主の王国建設の担い手となります」とベドナー長老は話しました。

ベドナー長老は次のように証しました。「皆さんが、ほかの何よりも神を第一にし、まず神の王国と義を求めるならば、祝福を受けるでしょう。」

2026年8月30日、横浜の山手ワードにて、日本における末日聖徒イエス・キリスト教会の125周年を記念する集会で話をする十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老。
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2026年8月30日、横浜の山手ワードにて、日本における末日聖徒イエス・キリスト教会の125周年を記念する集会で話をする十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老。2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

日本における福音の伝道

19歳であったテーラー長老は、グラント長老の日本を祝福する祈りを書き記しました。それは、Ensign, June 2002の中の「Priceless Pearl: Alma O. Taylor’s Mission to Japan」(「貴重な真珠:アルマ・O・テーラーの日本への伝道」)で次のように記されています。「〔グラント長老の〕舌は緩み、御霊が力強く彼の上に留まりました。とても強い御霊でしたので、わたしたちは神の天使がすぐそばにいると感じました。なぜなら、グラント長老の口から言葉が発せられたときに、わたしたちの心が内に燃えたからです。わたしはこれまでそのような平安をもたらす影響力を感じたことも、そのような力強い祈りを聞いたことがありませんでした。すべての言葉がわたしのすべての骨の髄まで達し、わたしは喜びの涙を流すほどでした。」

4人の宣教師たちは言語と文化に苦労しながら、日本語を学ぶ努力をしました。

後に教会の大管長として奉仕することなるグラント長老は、1902年3月8日に、日本の最初の教会員である中澤元兄弟のバプテスマを行いました。教会の集会が行われ、さらに多くの人々が福音を聴きバプテスマを受け、その他の節目となる出来事が続いていきました。

1901年、後に教会の大管長となったヒーバー・J・グラント大管長(中央に着席)が伝道部会長として日本における伝道の業を開始するように召されました。左から、ホラス・S・エンサイン、ヒーバー・J・グラント長老、アルマ・O・テーラー、ルイス・A・ケルチ。|提供:Deseret Book
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1901年、後に教会の大管長となったヒーバー・J・グラント大管長(中央に着席)が伝道部会長として日本における伝道の業を開始するように召されました。左から、ホラス・S・エンサイン、ヒーバー・J・グラント長老、アルマ・O・テーラー、ルイス・A・ケルチ。|提供:Deseret BookAll rights reserved.

日本に赴任したとき29歳であったエンサイン長老もまた、1903年から1905年まで伝道部会長として奉仕しました。19歳であったテーラー長老は、1905年から1910年まで伝道部会長を務めたことを含め、引き続き9年間日本で奉仕しました。

伝道の業は1920年代の間、継続しましたが、その後、移民およびその他の問題に関する日米の政治情勢により、伝道部が閉鎖されました。これについては、ChurchofJesusChrist.orgの教会歴史ページの「日本の教会の『暗黒時代』」に記されています。日本出身の管理長老が召され聖任されました。教会の指導者が日本の聖徒たちに手を差し伸べ、食料や衣料品を送ったのは第二次世界大戦後でした。1948年、大管長会は日本に宣教師を派遣することを開始しました。これについては、『聖徒たち』第3巻に記述されています。

1949年7月17日、改修した伝道本部の奉献のために十二使徒のマシュー・カウリー長老が東京を訪問しました。その時のことは、ChurchofJesusChrist.org の教会歴史ページの「ここに留まります」に記述されています。カウリー長老は、末日聖徒イエス・キリスト教会は「ここに留まり、再び撤退することはありません」と宣言しました。

また、カウリー長老は、日本において、さらに多くの建物が教会によって建設され、「神殿さえ」も建設されると約束しました。

日本東京神殿、2022年。|ジェフリー・D・オールレッド、Deseret News
日本東京神殿、2022年。|ジェフリー・D・オールレッド、Deseret NewsAll rights reserved.

最初のステークと万国博覧会

1970年3月、日本およびアジアで最初のステークである東京ステークが組織されました。同年に大阪で開催された万国博覧会に、教会はパビリオンを出展しました。このパビリオンは白い建物の上に天使モロナイ像を支える尖塔が設置された館で、福音についての展示とクリスタス像が展示されていました。これについては『聖徒たち』第4巻に記されています。

7か月間のイベント期間中、およそ700万人の人々がこのパビリオンを訪れ、約650,000人の日本人が連絡先カードに記入し、その多くが宣教師の訪問を要請しました。

「それは日本の教会にとって胸躍る時期でした」と『聖徒たち』第4巻に記録されています。第二次世界大後25年が経ち、教会員の数が増え、日本に翻訳オフィスと配送オフィスが設置されました。

1975年8月9日、東京で開催された日本地域総大会にて、話をする末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長、スペンサー・W・キンボール大管長。大管長はその大会で、日本に神殿が建設されることを発表しました。
1975年8月9日、東京で開催された日本地域総大会にて、話をする末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長、スペンサー・W・キンボール大管長。大管長はその大会で、日本に神殿が建設されることを発表しました。© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

末日聖徒の神殿建設

1975年、キンボール大管長は日本において教導の業を行いました。1975年8月9日に開催された日本地域総大会において、キンボール大管長は日本に神殿が建設されることを発表しました。

当時10歳であった、現在、東京西ステーク町田ワード所属の徳沢星児兄弟は、家族とともにその大会に長い道のりを移動して参加しました。

1975年8月9日の日本地域総大会での徳沢家族と友人たち。徳沢星児兄弟は当時10歳でした。
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1975年8月9日の日本地域総大会での徳沢家族と友人たち。徳沢星児兄弟は当時10歳でした。© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

「両親をはじめ、多くの聖徒たちが歓喜の涙を流していましたが、4人の幼い弟たちはもちろん、わずか10歳であったわたしには、その涙の本当の意味を理解することができませんでした。しかしながら、時を経て今はその気持ちがよく理解できます」と徳沢兄弟は、教会の日本ニュースルームの記事で述べています。

日本の教会員たちは、働いてお金を貯めて、ハワイ州ライエ神殿まで行き神殿の儀式を受けました。

1965年から、日本の聖徒たちの神殿ツアーが始まり、何千キロも旅をしてハワイ州ライエ神殿に参入して礼拝をしました。この神殿ツアーは1980年に東京神殿がオープンするまで続きました。この写真は1969年ごろに撮影されたものです。
1965年から、日本の聖徒たちの神殿ツアーが始まり、何千キロも旅をしてハワイ州ライエ神殿に参入して礼拝をしました。この神殿ツアーは1980年に東京神殿がオープンするまで続きました。この写真は1969年ごろに撮影されたものです。© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

日本東京神殿は1980年10月27日にキンボール大管長によって奉献されました。東京神殿はアジアで最初の主の宮でした。徳沢兄弟は1988年に妻との結び固めを受けました。徳沢兄弟の両親は、後の2003年に日本福岡神殿の神殿会長とメイトロンとして奉仕をしました。福岡神殿は2000年に奉献されました。

徳沢兄弟は次のように述べています。「世代を超えて注がれる、主の大いなる愛と恵みに心から感謝申し上げます。」

日本のその他の神殿としては、日本札幌神殿が2016年に奉献され、日本沖縄神殿が2023年にそれぞれ奉献されています。さらには、2023年10月の総大会にて、日本大阪神殿の発表がなされています。

日本における教会

日本における教会の100周年を記念して、日本に赴任した最初の4人の宣教師が、横浜において奉献の祈りをささげた場所から遠くない場所にて、二つのブロンズの記念碑の除幕式が行われました。この模様は、2001年9月8日付けの記事「Centennial in Japan」(「日本における100周年」〔英語のみ〕)で報告されています。この記念碑は山手ワードの尖塔の土台の上に設置されています。山手ワードは2002年9月1日に奉献されました。この模様は教会の日本のニュースルームの記事に掲載されています。

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教会の日本における伝道開始を記念するために尖塔の土台の上に設置された記念碑。この尖塔は横浜に新しく建設される集会所の一部となるものでした。この尖塔と記念碑の除幕は2001年9月1日に行われた日本における教会の100周年を祝う式典の中で行われました。|写真提供:アジア北地域会長会
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大管長会第一顧問のヘンリー・B・アイリング管長は、十二使徒定員会会員であった当時2003年4月の総大会にて、数年前、日本の宣教師たちとの集会で語ったことについて次のように話しました。「わたしは、日本に大いなる日が訪れることを約束しました。回復された福音の証を、出会う人々に熱心に語って聞かせる会員が著しく増えると語ったのです。……今、その偉大な奇跡、大きな変化が、会員の周りにではなく、会員の心の中に起きることを確信しています。」

2026年を通して、地域の指導者は教会の歴史について一連の記事をEast Asia Newsroom(英語)と日本のニュースルーム(日本語)で分かち合ってきました。その一連の記事には、『モルモン書』の最初の翻訳に関するもの;様々な開拓者たち、教会員たち、および宣教師たち;奉仕;次世代のための信仰の受け継ぎなどがあります。また、アジア北地域会長会は2026年を祝いと回想の年と定めました。

8月30日の全国ディボーショナルでは、日本における教会歴史に関する動画によるプレゼンテーションもあり、教会員歴の長い会員からのメッセージや子供たちからの証もありました。

山手ワードの小西春樹ビショップは次のように述べています。「わたしたちは、ベドナー長老の愛にあふれた霊的なメッセージと聖霊の働きによって、神の小羊の力が、この地における主の聖約の民の上に注がれているということを確信し、主の福音の喜びを心から味わうことができました。」

2026年8月30日、横浜の山手ワードにて開催された日本の125周年を記念する集会で歌う聖歌隊。
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2026年8月30日、横浜の山手ワードにて開催された日本の125周年を記念する集会で歌う聖歌隊。2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

2026年8月30日、横浜市山手で開催された日本教会設立125周年記念集会の直前に行われた植樹式。古くから、守りや祝福、再生を象徴してきた桃の木は、日本文化において特別な意味を持つ。左から右へ:キム長老、キム姉妹、バッジ姉妹、バッジビショップ、タイ姉妹、タイ長老、ベドナー長老、ベドナー姉妹、テー姉妹、テー長老、エスプリン姉妹、エスプリン長老。
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2026年8月30日、横浜市山手で開催された日本教会設立125周年記念集会の直前に行われた植樹式。古くから、守りや祝福、再生を象徴してきた桃の木は、日本文化において特別な意味を持つ。左から右へ:キム長老、キム姉妹、バッジ姉妹、バッジビショップ、タイ姉妹、タイ長老、ベドナー長老、ベドナー姉妹、テー姉妹、テー長老、エスプリン姉妹、エスプリン長老。2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

歴史年表

1901年8月12日:当時十二使徒定員会会員であったヒーバー・J・グラント長老、ルイス・A・ケルチ、ホラス・S・エンサイン、ならびにアルマ・O・テーラーが最初の末日聖徒の宣教師として日本に到着。

1901年9月1日:ヒーバー・J・グラント長老が福音を宣べ伝えるために日本を祝福する。

1902年3月8日:中澤元(はじめ)が日本における最初の改宗者となる。

1902年4月28日:教会の最初の集会が中澤家の自宅で開かれる。

1903年10月16日:日本で最初の日曜学校が組織される。

1904年-1909年9月:アルマ・O・テーラーが『モルモン書』(当時は『モルモン経』という名称)の最初の翻訳を監督し、1909年10月に出版される。

日本語の『モルモン書』(当初は『モルモン経』)、『教義と聖約』と『高価な真珠』(当初は『高価なる真珠』という名称)。
日本語の『モルモン書』(当初は『モルモン経』)、『教義と聖約』と『高価な真珠』(当初は『高価なる真珠』という名称)。Public Domain

1923年1月:奈良冨士哉が日本における管理長老に聖任される。

1924年6月9日:アメリカ合衆国・日本間の緊張の高まりを受けて、ヒーバー・J・グラント大管長が日本伝道部を閉鎖する。

1947年10月:エドワード・L・クリソルドが日本伝道部を再開するよう召される。

1955年:『教義と聖約』、『高価な真珠』(当初は『高価なる真珠』という名称)が日本語で初めて出版される。

1970年3月15日:アジアで最初のステーク、東京ステークが組織される。

1970年:大阪で万国博覧会が開催される。

1975年8月9日:スペンサー・W・キンボール大管長が東京に神殿が建設されることを発表する。

1977年10月1日:菊池良彦長老が七十人第一定員会会員として召される。菊池長老は教会幹部として奉仕した最初の日本人であった。

1980年10月27-29日:スペンサー・W・キンボール大管長が日本東京神殿を奉献する。東京神殿はアジアで最初の神殿であった。

2000年6月11日:教会の大管長であったゴードン・B・ヒンクレー大管長が日本福岡神殿を奉献する。

2000年6月11日、日本福岡神殿の奉献式でのゴードン・B・ヒンクレー大管長。|グレッグ・ヒル、Church News
2000年6月11日、日本福岡神殿の奉献式でのゴードン・B・ヒンクレー大管長。|グレッグ・ヒル、Church NewsAll rights reserved.

2011年3月:東北、東日本を襲ったマグニチュード9.0の地震と津波に際し、教会は180トンの緊急時用物資を送る。

2016年8月21日:当時、十二使徒定員会会長であったラッセル・M・ネルソン大管長が日本札幌神殿を奉献する。

2016年8月21日にラッセル・M・ネルソン大管長によって奉献された日本札幌神殿。札幌神殿は末日聖徒イエス・キリスト教会の日本での3番目の神殿であり、世界で151番目の神殿です。|サラ・ジェーン・ウィーバー、Church News
2016年8月21日にラッセル・M・ネルソン大管長によって奉献された日本札幌神殿。札幌神殿は末日聖徒イエス・キリスト教会の日本での3番目の神殿であり、世界で151番目の神殿です。|サラ・ジェーン・ウィーバー、Church NewsAll rights reserved.

2023年10月1日:日本大阪神殿が教会のラッセル・M・ネルソン大管長により発表される。

2023年11月12日:日本沖縄神殿が十二使徒定員会のゲーリー・E・スティーブンソン長老により奉献される。

写真:日本沖縄神殿。|ジェフリー・D・オールレッド、Deseret News
写真:日本沖縄神殿。|ジェフリー・D・オールレッド、Deseret NewsAll rights reserved.

情報源:世界各地の教会歴史-「日本の教会歴史年表」、ChurchofJesusChrist.org

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