| Temple Square is always beautiful in the springtime. Gardeners work to prepare the ground for General Conference. © 2012 Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. | 1 / 2 |
「MIA」*1という言葉をご存じですか?「MIA」は「Mutual Improvement Association」(相互発達協会)の略称で、現在の「若い女性」「若い男性」「YSA」の前身にあたる組織です。1964年にアメリカの末日聖徒イエス・キリスト教会で発足し、日本でも1960年代後半から70年代にかけて存在しました。
2025年9月15日、千葉県長生の教会堂にて「MIAリユニオン」が開催されました。千葉県および周辺から集まった60代から80代後半の「MIA」世代の会員たちが、彼らの絆を育んだMIAの歴史を振り返りながら旧交を温めました。
「MIAの歴史をたどろう」――MIAが与えてくれたもの
かつては同じ教会に集っていたり活動で顔を合わせていたりしていましたが、近年は会う機会がなかったという面々。「お互い年を取ったなあ!」「教会員としてよくここまで生き残ったねえ」とねぎらいの言葉を掛け合います。プログラムの最初に行われたのは、プレゼンテーション「MIAの歴史をたどろう」。日本の教会歴史に詳しい岩永昌治さん(千葉ワード*2)、林菊江さん(同)が当時の貴重な資料を活用しMIAの歴史を紹介しました。
1975年にスペンサー・W・キンボール大管長が来日した*3際、「文化の夕べ」でMIAが活躍していたことや、様々な活動の裏話などが紹介され、参加者からは「知らなかった!」と驚きの声が上がります。数百人が集ったカンファレンス「全国MIA大会」や多くの奉仕の思い出も語られ「そんな時代だったよね」と会場のあちこちでうなずく姿が見られました。
この日の活動を企画した池田和政さん(東金ワード)は、MIAの歴史に自身の信仰の歩みを重ねました。
13歳のときに教会と出会った池田さんは、大学生の頃MIA大阪ステーク代表を務めました。1970年代半ば当時の若者文化は「とても荒れていた」といいます。「奔放な性生活を描く小説が流行り、若者たちの性道徳も乱れていました。道端の電話ボックスに性的なチラシが貼ってあるような時代で、純潔の律法を守るのが本当に難しかったです。」飲酒を強く勧められることもよくありました。
誘惑が多く、健全な娯楽に触れることが難しい中で救いとなったのがMIAでした。
「当時は木曜の夜にMIAの活動がありました。教会に集まってクラスに分かれて活動していて、漫画教室、スピーチ教室、歌、ギター、英語……教義クラスもありました。」木曜日の教会には、常に20~30人の若者が集っていました。その心には、気が合う友人と過ごしたいという以上の欲求があったと池田さんはいいます。
「MIAの活動はお祈りで始まってお祈りで終わります。奉仕することの大切さを学びましたし、学校や会社でふらふらになっても、教会に行けば自身の霊が浄化されるという思いがありました。ただわたしには週1回安息日だけの浄化では足りなくて、だからこそMIAに助けられたんです。」
わたしはだれでしょう1
「わたしはだれでしょう」使用写真より、19歳の池田さん。1975年、地域総大会合間のランチ休憩のときのもの © 2025 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.「わたしは誰でしょう?」――支えあって育んだ信仰
続いて行われたのは「わたしは誰でしょう」のコーナー。参加者がそれぞれMIA当時の写真を持ち寄り、誰なのかを当てるという活動でしたが――「もうみんな誰かわからない、変わりすぎていて(笑)」(池田さん)。
次々とプロジェクターで映し出される若き日の姿を楽しむ池田羊子さんは、MIAの仲間と培った奉仕と犠牲の精神が自身の信仰生活を支えてくれたと感じています。「教会が終わると近くに住んでいる子の部屋にみんなで行き、ワイワイ話しながら信仰を育みました。彼らはみんなお金がない中で伝道の準備をし、献金をしていました。伝道資金を貯めるために一駅歩いて10円を節約して。献金もいくつかあって、全部に献金するので結婚するときに自分の貯金は全然ない状態です。でもそうやってMIAのみんなと頑張ってきたからこそ、東京神殿ができたときに当時住んでいた奈良から毎月参入しても、費用は全く負担になりませんでした。」

リユニオン
懐かしい仲間たちとの再会に笑顔がこぼれる© 2025 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.体は老いていても
リユニオンの最後を締めくくるのは「懐メロ集」のコーナーです。事前に集めた当時の流行曲のリクエストを基にカラオケを流し、歌います。「青い山脈」「学生時代」「翼をください」……MIA世代の青春を彩る歌謡曲の数々が、教会堂に響きわたりました。
「我々はもう年なので、歌い始めて30分くらいで元気がなくなって終わることにしたんですが」と笑う池田さんは「でも、」と続けます。「体は老いていても、霊はいつだって若いです!」
リユニオンを通じて自身の信仰の基を再確認した池田さんは、参加した自分たちだけが強められるのではなく、MIAで信仰を育んだ後に教会を離れてしまった仲間とも強めあいたいと考えています。「最近、30~40年教会を離れていた仲間たちが何人か戻っています。福千年が近づく今は、教会に戻ってくる最後のチャンスだと感じます。霊は若いのだから、今こそあの頃の情熱を取り戻してまた一緒に奉仕しようよ、と伝えたいです。」
*1 MIA 末日聖徒イエス・キリスト教会にて1960年代半ばから1970年代にかけて存在した組織。中高生から35歳以下の会員を対象に様々な活動を通して信仰と絆を育むことを目的としていた
*2 ワード 地域の教会が管轄する一定の地理的範囲「教区」のこと
*3 1975年にスペンサー・W・キンボール大管長が来日 1975年8月9日、日本を訪れたキンボール大管長が日本武道館にて地域大会を行い、日本で初めての神殿が東京に建設されることを発表した