2020年9月,元NBAバスケットボール選手,カイル・コリンズワースは日本のプロバスケットボールリーグのB.League(Bリーグ)のシーホース三河の選手としての契約を結んだ。BYUでは全米大学バスケットボール選手権で二度準優勝し,カイルは2017-2018年にダラス・マーベリックスでプレーをし,数年間,トロント・ラプターズとユタ・ジャズのDリーグチームでプレーをした。他からもオファーがあったが,カイルは若い頃,父親のジェフから日本について話をよく聞いていたので,日本でプレーをする機会に魅力を感じた。ジェフは40年以上前に,末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師として東京南伝道部で奉仕した。
カイルはBYUの選手時代,2014-2015年のシーズンで,NCAA(「全米大学体育協会」)で1シーズンで6度のトリプルダブル(1試合で二桁の得点,リバウンドおよびアシストを達成すること)という記録を打ち立てた。これは自身のNCAA期間での記録でもあった。2016年3月16日に,カイルはNCAAでの自身のトリプルダブルの記録を12に伸ばした。この記録は今も破られていない。
カイルはプロバスケットボール選手としてすばらしい経歴を築いた。全米バスケットボール協会(NBA)のダラス・マーベリックスでプレーしたほかに,NBAデベロップメントリーグのテキサス・レジェンドやソルトレークシティー・スターズでもプレーした。今年のシーズン自分のバスケットボール選手としての職業を続けるうえで与えられている機会を検討した際,日本のプロチームから誘いがあり決断は容易であった。
1970年代後半,カイルの父親は東京の西部にて宣教師として奉仕していた。菅野(高橋)裕子姉妹は大学生として国立市に住んでいた。改宗して幾年か経過した「経験豊かな」会員として,裕子姉妹はビショップより専任宣教師を支援するために新しくバプテスマを受けた独身成人向けの小規模グループの集会に出席するよう依頼を受けた。このグループは宣教師アパートにて日曜日の礼拝行事が行われ,「国分寺グループ」として呼ばれていた。そして,ジェフ・コリンズワースという熱心で前向きな霊的な光を放っている宣教師が中心になって導いていた。 裕子 姉妹が伝道に行く決心をしたとき,コリンズワース長老が霊的な指導者として,宣教師になるための申請と面接の過程を通じて彼女を助けた。
伝道を無事に終えて米国に帰還した後,ジェフは大学に行き,美しい姉妹と出会い結婚し,ユタ州に定住して家族を設けた。コリンズワース家の家庭は信仰,愛,および神と隣人に仕えるという決意の上に築かれた。コリンズワース兄弟は自分の家族に自分がどれほど日本と日本の人々を愛しているか定期的に伝えた。彼はぎょうざやカツ丼,カレーなどの自分の好きな日本食をよく作った。彼は箸の使い方と幾つかの日本語を家族に教えた。
コリンズワース家は全員が熱心なスポーツ愛好家であり,才能豊かなスポーツ選手である。父親,母親,および子供たち全員が大学でスポーツ選手として活躍した。数人はブリガム・ヤング大学からスカウトされ奨学金を受けてスポーツ選手として活躍した。カイルは一番年下の息子であり,家族のほかのメンバー同様,BYUで選手としてプレーした。
幾年もの間,裕子姉妹と彼女の家族は名古屋を故郷と呼んでいた。彼女の家族はもうその地域には住んでいないが,裕子姉妹はカイル・コリンズワースがシーホース三河と契約を結び,現在プロバスケットボール選手として日本に住んでいることを最近知り驚いた。
BYUを卒業し,BYUでの大学バスケットボールを終え,プロバスケットボール選手としてのキャリアを始めたときカイルは25歳であった。彼は2年間をロシアでの伝道に費やした。また,彼は大学3年生のとき最終試合で前十字靭帯(ACL)断裂のケガを負い,翌シーズンに向けて集中リハビリテーションが必要であった。プロ選手が25歳の年齢でプロとしてのキャリアを始めるのは稀なことである。カイルはそうした観念やその難しさを十分に認識していたが,彼は若いときから伝道に行くという決心をしていた。そしてその決意は決して揺るがなかった。彼の気持ちを変えさせようとするプレッシャーは実際に大きかったが,カイルはたとえ強豪大学の有名なコーチが彼の気持ちを変えさせようと説得しても,あるいはたとえ愛する人々が壊滅的な困難を経験するのを目の当たりにしても,自分の計画を変えるつもりはなかった。
「専任宣教師として奉仕することは何にも代え難い経験です」とカイルは説明した。「それは何かをあきらめたというものではなく,得たものです。バスケットボールや人生の出来事は置き換えることができますが,伝道は違います。人々に奉仕することを通じて,世の中に対して,そしてキリストに対して,わたしの眼が開きました。」
伝道の業があまり成功していないことで知られている国において難しい言語を学ぶことに落胆しながらも,ロシアにおいて専念して決意をもって奉仕する宣教師になる願望をカイルから奪ったり邪魔をしたりするものは何もなかった。彼は最も困難な地で成功した。教会の成長が停滞していたある地域において,彼と同僚は,ほとんどが成人会員から成る22名ほどの小さな支部を,青少年向けプログラムを始めることにより,5つの家族を見つけバプテスマに導き,84名まで大きくした。
彼がこの支部で奉仕している間および伝道期間すべてを通じて学んだことは,プロスポーツ選手としてのキャリアを歩むうえでとても大きな力と励みの源となってきた。光の源となり周りの人々と分かち合いたいという彼の望みは若いときに芽生えた。その望みは人生の重要な決断をする際に助けとなってきた。その望みはロシアで伝道していた際,さらにはっきりとしたものとなり,現在も引き続き彼を導いてくれるものとなっている。
カイルは日々,次のように自問している。「自分の光をどのように分かち合うことができるだろうか。」それはプロバスケットボール選手としても含め,彼の行うすべての決断に影響を与えている。シーホース三河でプレーしながら,カイルは光を自分のチーム,ファン,および日本中の会員と分かち合えるよう願っている。
カイルは旧姓シア・マルティネスと結婚した。彼女は彼に同伴して日本に来ている。彼女もまた,優秀なスポーツ選手である。プロのランナーとして3年目を終えたところである。スポーツ選手としてナイキの専属モデルにもなっている。シアは韓国で開催された2015年ユニバーシアードで米国代表として銅メダルを獲得している。また,全米女子800メートルで4度優勝している。(BYUの全米女子800メートル代表選手)
カイルとシアは共に,食べ物,人々,自然,美しさを含め,日本が大好きである。天気の良い日には,二人は自転車に乗って刈谷市内を巡ったり,公園でフリスビーをしたりして楽しんでいる。カイルの目標はシーホースが優勝できるように助けることと契約更新である。現在,シーホースは地区で2位である。彼はプロバスケットボール選手としてのキャリアを「日の出ずる国」で終えたいと願っている。
コリンズワースは日本の教会の青少年とヤングアダルトと交流し,トーマス・S・モンソン大管長がよく話していた次のメッセージを分かち合うことを熱心に行っている。「未来は皆さんの信仰と同じく希望に満ちています。」カイルは次のように自身の証を付け加えている。「皆さんが吸収するものがすべてです。もし光を吸収すれば,光を持つことができます。前向きなものを吸収すれば,前向きになれます。信じ続けてください。前向きであり続けてください。善いものを経験してください。そうすれば善いものを分かち合えるでしょう。」
シーホース三河は,ファンや地域社会の光となるすばらしく熱心に練習し常に前向きなチームプレーヤーを獲得したと言えるだろう。聞き覚えがある名前だわ!裕子姉妹はその名前が若かりしコリンズワース長老を思い起こさせると話す。
裕子姉妹と国分寺グループの会員が40年以上前に若いコリンズワース長老とともに経験したように,教会は日本において,また,コリンズワース家族のもう一人の熱心で常に前向きな霊的な光を放つメンバーを迎え,祝福を受けている。