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注解

宗教的良心の声

信仰が社会に果たす意義

「なぜ人類が存在するのかという大きな疑問は…誰しもが考えます。思いと良心に誠実になってその質問への答えを探求することは,全人類のあらゆる活動の中で最も高尚な事柄の一つです。」―ウィルフレッド・マックレイ[1]

社会は騒がしく,混乱を招くものである。人の数だけ意見や信条もあり得る。

それが選挙であれ,教育であれ,経済であれ,人は自分が関わっている問題について意見を述べる。宗教を信じる者も同じ問題について熱く語るが,信仰によって教えられている観点から意見を述べる。そして宗教は人の生活の中で大きな位置を占めるため,宗教的な良心の声がなければ解決できる問題の範囲もより狭められることになる。

知恵の出処はわたしたちには決して分からないというのが言論の自由の前提である。だから,もし意見を戦わせてを自由に発言することができれば,その知恵は自ずと生じるはずである。

それぞれの社会は特定の時代に存在する。自分の判断基準に固執すると,自分の指針となる原則や価値が陳腐なものになってしまう。時折社会には試練や修正,改善が必要になる。そしてより良い自分に目覚めさせ,社会の良識として行動させるのは宗教的声によるものが多い。

公正,平和,自由,一般福祉などの問題を取り上げる市民の話し合い,宗教的な次元で行われることが多い。大衆であれ宗教であれ,良識を妨げる意見はある。しかし大多数の市民の意見により,過激主義に進むことを防ぐことはできる。信仰を持つ者の意見により公共の話し合いは現状を超えて最高のものに高められる。それは過去からもたらされた人生への洞察となり,互いに対する神聖な義務を思い起こさせ,人類としてより高い望みへと向かわせてくれるものとなる。例を挙げると,マーチン・ルーサー・キング・ジュニアは牧師としての深遠さと雄弁さを通して人種や市民の正義を求めて運動を推進した。

しかし言葉だけでは現状は変わらない。宗教的良心が一般的に形となって現れるのは,現在実際に生活している状態から,つまり徐々に人知れず働いて貧困状態を改善する人々から始まり,そこから公衆衛生を改善し,家族関係を強化し,人権を擁護する。このように,良心はイデオロギーや党派の指示に屈しない。ただ正しいと信じていることを行うだけである。

道徳的指針と実際の問題解決手段という二つの利点を持つことにより,宗教は社会の中で重要な力となる。

多くの事例が挙げられる。ウイリアム・ウィルバーフォースはキリスト教の倫理観を用いて大英帝国の奴隷貿易を廃止した。アブラハム・リンカーンは聖書の真理に頼って分裂した国家をひとつに取り戻した。マハトマ・ガンジーは非暴力という宗教的原則を広めてインドを独立に導いた。挙げればきりがない。この人たちは時代の流れに逆らい,新しいことを教えた。

宗教的な良心を声にして発しても大衆うけしないかもしれないが,自分にとって最良のものを求めることが許されるとき,より良い社会づくりに貢献することになる。わたしたちは善良な意思を持って重要なことに反対することができる。ライバルを敵と見なして踏みつけるのは賢明ではない。実際,社会的目的がはっきりすれば,彼らも力強い協力者となりうる。わたしたちが大切にしている信条が批判され疑問視されると不快なものである。しかし考え方の異なる人々と誠実に会話することによってわたしたちは強さを示すことができる。結局,わたしたちが信じているのは,「真理は自らの道を切り開いて進み」愛は最終的に理想の競い合いを勝ち抜くということである。[2]

調和には様々な側面があり,共鳴するのは一つの側面だけではない

最後に残るのはわたしたちの良心だけである。それ以外のもの,つまり物や社会的地位,富は取り去られるものである。しかしわたしたちの道徳的指針を構成する信条や価値,悪と善を隔てる心の中の見えない領域,わたしたちが人生に与える意味,自分たちの考え方を分かち合うよう促す内面的な目標は自尊心を育むものである。

この良心を声にして発する能力は人間としての生得権である。それがなければ,どんな自由も意味を持たない。

 

[1] ウィルフレッド・マックレイ「Honoring Faith in the Public Square」2012年11月21日,現代のクリスチャン

[2] History of the Church ,第5巻,498-99参照;1843年7月9日ジョセフ・スミスが行った説教から:「もし人類が間違いを犯していると思ったら,わたしは彼らを責めるでしょうか。いいえ。彼らを高めようとするでしょう。もしわたしの道の方が良いことを納得してもらえなければ,彼らの道に従って高めようとするでしょう。強制的に自分と同じように信じさせようとはせず,ただ理を説くだけです。いずれにしても真理は自らの道を切り開いて進むからです。」

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