末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年に設立されましたが, それ以来16人が教会の大管長を務めてきました。末日聖徒はこれらの人を皆, 神から啓示を受ける預言者であると考えています。それぞれの大管長は独自の才能と賜物を持っており, その時代における教会の進歩を助け, 将来の発展の土台を作りました。
教会の初代大管長ジョセフ・スミスは, バプテスマのヨハネ, そしてキリストの3人の使徒ペテロ, ヤコブ, ヨハネから教会を導く権能を受けました。この3人の使徒はキリスト御自身から同じ「力と権威」を授けられました(ルカ9:1)。これらの方々が天使として現れ, ジョセフ・スミスに神権を授けました。がとぎれることなく代々受け継がれ, 今日では現在の大管長トーマス・S・モンソンが持っています。
下記は教会の代々の大管長の略歴です。
―ジョセフ・スミス
大管長就任期間:1832年―1844年
出生日:1805年12月23日
死亡日:1844年6月27日
ジョセフ・スミス・ジュニアは1805年12月23日, バーモント州ウィンザー郡シャロンで, [no translation]
ジョセフ・スミスとルーシ・マックのもとに, 11人きょうだいの5番目の子として生まれました。バーモント州,
後にはニューヨーク州西部の農場で働きました。 1820年にニューヨーク州パルマイラで
ジョセフ・スミスは示現の中で父なる神とイエス・キリストに会いました。啓示を通してモルモン書を翻訳・出版し, 1830年4月6日, 末日聖徒イエス・キリスト教会を組織し, 教会を導くための啓示を受けました。彼の指導の下で, 末日聖徒たちはオハイオ州, ミズーリ州, イリノイ州で共同社会を築きました。ジョセフ・スミスと兄のハイラムは1844年6月27日, イリノイ州カーセージで暴徒により殺されました。
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ブリガム・ヤング
大管長就任期間:1847年―1877年
出生日:1801年6月1日
死亡日:1877年8月29日
ブリガム・ヤングは1801年6月1日にバーモント州ウィツッティングハムで生まれました。1835年,
教会に入ってから3年後, 十二使徒ジョセフ・スミスの後継者として, 1846年から47年まで, 民を率いて西部へ移住し, ロッキー山脈へ向かい, ソルトレーク・シティーを建設しました。1847年12月27日, 教会の大管長に支持されました。教会の大管長およびユタ準州の知事として, ユタ州およびアメリカ西部の各地に末日聖徒の入植地を築きました。彼の指示の下で, ソルトレーク, ユタ州のセントジョージとローガンで神殿の建設が始まりました。ブリガム・ヤングはユタ州に電信と鉄道を敷設し, 末日聖徒の間に共同の産業を育成しました。教会の大管長を30年近く務めた後, 1877年8月29日にソルトレーク・シティーで亡くなりました。
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ジョン・テーラー
大管長就任期間:1880年―1887年
出生日:1808年11月1日
死亡日:1887年7月25日
ジョン・テーラーは1808年11月1日, イギリスのウェストモーランド, ミルンソープで生まれました。1832年にカナダのトロントへ移住。たる職人, そしてメソジストのパートタイム牧師を務めました。1836年, 妻のレオノーラと教会へ入りました。2年後, 使徒になり, ジョセフ・スミスやブリガム・ヤングと親しくなりました。1844年6月, ジョセフ・スミスとともにイリノイ州カーセージへ行き, ジョセフ・スミスが殺されたとき, 重傷を負いました。1880年10月10日, 教会の大管長に支持されました。就任期間中, ワイオミング, コロラド, アリゾナ, カナダ, メキシコにモルモン共同体を設立し, 子供を対象とした初等協会を世界各地に展開・監督し, 高価な真珠を聖典と認めました。1887年7月25日, ユタ州ケイズビルで亡くなりました。
ウィルフォード・ウッドラフ
大管長就任期間:1887年―1898年
出生日:1807年3月1日
死亡日:1898年9月2日
ウィルフォード・ウッドラフは1807年3月1日, コネチカット州で生まれ育ちました。職業は製粉業者。1833年に教会へ入り, 伝道奉仕を2回務めた後, 1839年に使徒に聖任されました。十二使徒定員会会員としてさらに4回, 伝道に出ました。ユタ州セントジョージの神殿を管理し, 6年間, 教会歴史家を務めました。1889年4月7日, 教会の大管長として支持されました。就任期間中, ユタ州ソルトレーク・シティーとマンタイに神殿を奉献し, 系図協会の設立を監督し, 歴史記録の価値を再び強調しました。1890年, 多くの熟考と祈りの後, 末日聖徒は多妻結婚の慣行を止めるべきであるという啓示を受けました。1898年9月2日, サンフランシスコで亡くなりました。
ロレンゾ・スノー
大管長就任期間:1898年―1901年
出生日:1814年4月3日
死亡日:1901年10月10日
ロレンゾ・スノーは1814年4月3日, オハイオ州マントバで生まれました。青年のころ, 徒弟奉公よりも学問の研究を好み, ヘブライ語と神学を学んだ結果, 1836年に教会へ改宗することになりました。宣教師そして使徒を務めた後, 1898年9月13日に教会の大管長になりました。教会が過去数十年間陥ってきた苦境を乗り越えるのを助けました。伝道活動を拡大し, 什分の一を納めることを奨励して教会の財政を安定化させました。20世紀幕開けの時期に教会の大管長として, 末日聖徒の歴史に新しい時代を開きました。1901年10月10日, 87歳のとき, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
ジョセフ・F・スミス
大管長就任期間:1901年―1918年
出生日:1838年11月13日
死亡日:1918年11月19日
ジョセフ・F・スミスは1838年11月13日, ミズーリ州ファーウェストで生まれました。1844年, 父親のハイラム・スミスが叔父ジョセフ・スミスとともに殉教しました。少年のころ, 母親のメアリー・フィールディング・スミスが1848年にユタへ移住するのを手伝いました。1865年から1874年までユタ準州議会議員を務めました。数多くの伝道に携わり, 1901年10月17日, 教会の大管長になりました。教会を20世紀へと先導し, 末日聖徒に初期の教会歴史に対する理解を深めさせました。ニューヨーク州, ミズーリ州, イリノイ州に教会の重要な史跡を造成し, 訪問者センターを建造し, 教会の伝道および教育システムを拡大することにより, 教会員の教育を向上するために尽力しました。17年間大管長を務めた後, 1918年11月19日, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
ヒーバー・J・グラント
大管長就任期間:1918年―1945年
出生日:1856年11月22日
死亡日:1945年5月14日
ヒーバー・ジェディー・グラントは1856年11月22日, ソルトレーク・シティーで生まれ, 未亡人となった母親レーチェル・グラントにより育てられました。15歳になるころにはビジネスで成功を収めるようになりました。10年後, 十二使徒定員会に召され, その後37年間, 同定員会で奉仕しました。1918年11月23日に大管長に就任後, 3つの神殿を奉献し, 福祉プログラムを作成し, 第二次大戦の悲劇に会員が対処するのを助けました。ビジネスの経験を生かして, 教会の組織や手続きの近代化に努めました。多方面での講演や財界要人との交流などの伝道活動により, 教会へ国民の注意を引くことに成功しました。27年間大管長を務めた後, 1945年5月14日, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
ジョージ・アルバート・スミス
大管長就任期間:1945年―1951年
出生日:1870年4月4日
死亡日:1951年4月4日
ジョージ・アルバート・スミスは1870年4月4日, ソルトレーク・シティーで生まれました。父親のジョン・ヘンリー・スミスと祖父のジョージ・A・スミスは二人とも大管長の顧問を務めました。ユタ州連邦不動産局に勤めていたとき, 33歳で十二使徒定員会に召されました。健康に恵まれず, 視力も弱かったにもかかわらず, 教会指導者として優れた業績を成し遂げました。1945年5月21日, 大管長に就任。第二次大戦後, ヨーロッパへ大規模な人道援助を行いました。また, 末日聖徒の間でスカウト活動を推進しました。6年間大管長を務めた後, 81歳の誕生日にソルトレーク・シティーで亡くなりました。
デビッド・O・マッケイ
大管長就任期間:1951年―1970年
出生日:1873年9月8日
死亡日:1970年1月18日
デビッド・O・マッケイは1873年9月8日に生まれ, 成年に達するまでユタ州ハンツビルで過ごしました。ウィーバーステーク・アカデミーとユタ大学で学び, 教育で身を立てる準備をしました。正規の学校教育と伝道を終えた後, 1901年に大学で知り合ったエマ・レイ・リッグズと結婚しました。5年後, 32歳で使徒に召され, 1951年4月9日, 大管長に就任。福音を全世界に宣べるという教会の使命についてのビジョンを広げ, 合衆国以外の地域に最初のステークを創設しました。また, 家族生活と教育の価値を改めて強調して教会員を強めました。44年間十二使徒定員会で奉仕し, さらに19年間大管長を務め, 1970年1月18日, 96歳のとき, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
ジョセフ・フィールディング・スミス
大管長就任期間:1970年―1972年
出生日:1876年7月19日
死亡日:1972年7月2日
ジョセフ・フィールディング・スミスは1876年7月19日, ジョセフ・F・スミスの息子としてソルトレーク・シティーで生まれ, 教会奉仕に全生涯を捧げました。1世紀の四分の三近くにわたり, 宣教師, 教会歴史家, ユタ州系図協会会長, ソルトレーク神殿会長, 使徒, そして大管長を務めました。1970年1月23日に93歳で大管長に就任。教会で最も多くの著書を遺し, 多数の本や記事を通して何世代もの末日聖徒に教会の歴史と教義を学ぶ機会を与えました。大管長に就任中, 伝道活動が引き続き進展し, オグデンとプロボの神殿が奉献され, 教会機関誌が確立されました。1972年7月2日, ソルトレーク・シティーの自宅で亡くなりました。
ハロルド・B・リー
大管長就任期間:1972年―1973年
出生日:1899年3月28日
死亡日: 1973年12月26日
ハロルド・B・リーは1899年3月28日, アイダホ州クリフトンで生まれ, 教育界, 実業界, 政府で活躍しました。大恐慌の間, ステーク会長として, 自給自足と救済プログラムを開始し, それは後に教会の福祉制度に発展しました。1941年, 十二使徒定員会に召された後, 続けて福祉プログラムに携わり, 組織を変更して, 教会本部と世界各地の末日聖徒の教区との間の協調関係を改善しました。こうした変更により, それ以後数十年間にわたる教会の急速な発展に備えることができました。1972年7月7日に大管長に就任。就任中, しばしば各地を訪問しましたが, わずか1年半後, 1973年12月26日にソルトレーク・シティーで亡くなりました。
スペンサー・W・キンボール
大管長就任期間:1973年―1985年
出生日:1895年3月28日
死亡日:1985年11月5日
スペンサー・W・キンボールは1895年3月28日, ソルトレーク・シティーで生まれ, アリゾナ州サッチャーで育ちました。伝道を終え, カミラ・アイリングと結婚した後, アリゾナ州サフォードに住み, 家族を養い, 保険会社を経営しました。1943年, 使徒に召され, 健康上の大きな問題を克服した後, 1973年12月30日に78歳で大管長に就任。めざましい発展と活気に満ちた期間中, 力強い決意をもって教会を導きました。12年間の就任中, 稼動する神殿の数は倍増し, 宣教師の数は50パーセント増え, 神権がすべてのふさわしい男性会員に授けられるようになりました。1985年11月5日にソルトレーク・シティーで亡くなりました。
エズラ・タフト・ベンソン
大管長就任期間:1985年―1994年
出生日:1899年8月4日
死亡日:1994年5月30日
エズラ・タフト・ベンソンは1899年8月4日, アイダホ州ウィットニーで生まれ, 幼いときから家族農場で勤勉の原則を身につけました。イギリスへ伝道した後, 1926年にフローラ・アムッセンと結婚しました。農業分野で教育を受け, 同分野で多くの要職に就きました。使徒として奉仕をしながら, 1953年から1961年まで合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワー内閣で農務長官を務めました。1985年11月10日, 大管長に就任。日々の聖典学習でモルモン書を読むこと, 伝道活動, 福音を教えることの重要性を強調しました。健康が損なわれてきたにもかかわらず, その管理のもとで教会は成長を続け, 神殿が奉献され, 伝道活動が世界各地, 特にヨーロッパで広がりました。1994年5月30日, 94歳のとき, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
ハワード・W・ハンター
大管長就任期間:1994年―1995年
出生日:1907年11月14日
死亡日:1995年3月3日
ハワード・ウィリアム・ハンターは1907年11月14日, アイダホ州ボイシで生まれました。若いころ音楽が好きで, 高校を卒業後バンドを結成し, 5ヶ月間, 船で演奏旅行を行い, アジアの異国情緒ある多くの場所を見る機会がありました。1931年にクララ・メイ・ジェフスと結婚した後は音楽の道をあきらめ, 安定した家族生活を送りました。法律の勉強を始め, カリフォルニア州で弁護士として成功を収めました。1959年に使徒に召され, 35年間その職を務めた後, 1994年6月5日に86歳で大管長に就任。短い就任中, 神殿に参入するよう教会員に勧め, 神殿建築が増加する時代に備えました。健康が許す限りしばしば各地を訪問し, 二つの神殿を奉献し, ジョセフ・スミスとハイラム・スミスの殉教150年追悼式典を行いました。1995年3月3日, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
ゴードン・B・ヒンクレー
大管長就任期間:1995年―2008年
出生日:1910年6月23日
死亡日:2008年1月27日
ゴードン・ビットナー・ヒンクレーは1910年6月23日, ソルトレーク・シティーで生まれました。ユタ大学を卒業後, イギリスで伝道するよう召されました。帰国後, 教会奉仕に生涯を捧げる道を歩み始めました。教会のラジオ広報文献委員会の事務局長を勤めた後, 1961年に使徒に召されました。キンボール大管長, ベンソン大管長, ハンター大管長の顧問を務め, 1995年3月12日に大管長に就任。就任中, 教会歴史上最も集中的に神殿建築を行うプログラムを指導しました。また, 発展途上国の若い会員たちが教育を受け, 自立するのを援助するために, 永代教育基金を設立しました。世界各地を回り, 末日聖徒に会い, 新会員や他の宗派の人々と友好を深めるように勧めました。テレビのインタビューや全国的な記者会見を通じてメディアの注目を集め, 一般市民が教会に対して抱いているイメージを向上させました。2008年1月27日, ソルトレーク・シティーで亡くなりました。
トーマス・S・モンソン
大管長就任期間:2008年―現在
出生日:1927年8月21日
トーマス・スペンサー・モンソンは1927年8月21日, ユタ州ソルトレーク・シティーで生まれました。
1927. 第二次世界大戦末期に合衆国海軍に従軍しました。[no translation]
1950年,22歳のとき, ビショップに召され, 5年後,
ステーク会長会で奉仕するよう召されました。1959年から1962年まで,
トロントにあるカナダ伝道部の会長を務めました。カナダから帰国後まもなく, 1963年36歳のとき十二使徒定員会に支持されました。エズラ・タフト・ベンソン大管長, ハワード・W・ハンター大管長, ゴードン・B・ヒンクレー大管長の顧問を務め, 2008年2月3日に大管長に就任しました。
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