ニュースリリース

2017年、末日聖徒イエス・キリスト教会が祝う行事と日程

 

末日聖徒イエス・キリスト教会は2017年、いくつかの記念すべき行事を迎える。扶助協会設立175周年記念をはじめ、ユタカウンティの象徴的建物の奉献125周年記念、伝道活動の記念すべき時を迎える。

注)リストはすべての行事や日程を網羅しているわけではない。

金版

190年前の1827年9月22日。ニューヨーク州のクモラの丘で、ジョセフ・スミスが天使モロナイから金版を受け取った。

180年前の1837年7月19日。ヒーバー・C・キンボール、オルソン・ハイド、ウィラード・リチャーズ、ジョセフ・フィールディング・スミス他数名が、合衆国・カナダ以外で初のモルモン宣教師として英国リバプールに降り立った。2週間もしないうちに、プレストンのリバー・リブルで9人がバプテスマを受けた。この9人は、大英帝国で最初の末日聖徒となった。同じ年の12月までに英国の会員数は、1,000人に達した。

信仰箇条

175年前の1842年3月1日。イリノイ州ノーブ―で発行された機関紙「タイムズ&シーズン」で、信仰箇条が発表された。信仰箇条は、シカゴの民主党員であるジョン・ウェントワースの要請により、ジョセフ・スミスが書いたものである。

扶助協会

175年前の3月17日。ジョセフ・スミスは、ノーブ―の女性教会員のためにノーブ―女性扶助協会を組織した。ジョセフの妻、エマが初代会長に任命された。協会設立の目的は貧しい人々を養うことであった。

135年前の1882年7月1日。扶助協会は、デゼレト病院の開設に寄与した。デゼレト病院は、ソルトレイクシティに建てられた、教会初の医療施設である。

125年前の1892年10月12日。扶助協会は、国立女性扶助協会となる。1945年には、再び末日聖徒・イエスキリスト教会扶助協会と改名した。

開拓者の軌跡

170年前の1847年4月。ブリガム・ヤング大管長率いる一行は、ネブラスカ州ウィンタークオーターズを離れ、7月24日にソルトレイク盆地に到着した。

ソルトレイクタバナクル

150年前の1867年10月6日。教会は、ソルトレイクシティのテンプルスクエアに新しく建設されたソルトレイクタバナクルで第1回総大会を開催した。タバナクルは、8年後の1875年まで正式に奉献されずに使用された。

セントジョージ神殿

140年前の1877年4月6日。76歳で亡くなる数か月前、ブリガム・ヤング大管長が、ユタ州セントジョージ神殿を奉献した。

ブリガム・ヤングアカデミー

125年前の1892年1月4日。ユタ州プロボ市に新しく建設されたブリガム・ヤングアカデミーが奉献された。

インプルーブメント・エラ

120年前の1897年11月。教会の青少年活動の公式月刊誌として「インプルーブメント・エラ」が発行され、1970年まで教会の公式声明として発刊され、その後、「エンザイン」として継続された。

スミス農場

110年前の1907年。教会は、ニューヨーク州パルマイラにある100エーカーのスミス農場を購入した。この土地購入には、「聖なる森」として知られる場所も含まれている。

セミナリー

105年前の1912年9月。ソルトレイクシティーにあるグラナイト高校で、最初のセミナリーが開講され、末日聖徒イエス・キリスト教会の青少年が平日に福音を学ぶプログラムが開始された。セミナリープログラムの成長とともに、教会はアカデミー(教会経営の高校や高等専門学校)を廃止していった。

100年前

1917年には、2つの重要な出来事があった。

第87回年次総大会の開催日、アメリカ合衆国はドイツとの第一次世界大戦の開戦を宣言した。

同年10月2日。ソルトレイク市サウステンプル通り47イースト番地にある教会本部ビルの建設が完了。

アリゾナ州メサ神殿

90年前の1927年10月23日。ヒーバー・J・グラント大管長がアリゾナ州メサにて、州で最初の神殿を奉献した。奉献式の模様は、ラジオを通して放送された。

クモラの丘ペジェント

80年前の1937年7月。ニューヨーク州北部にあるクモラの丘の野外ステージにて、「アメリカにおけるキリストの証人」と題した野外劇が公開された。

第二次世界大戦

75年前の1942年3月。大管長会は第二次大戦の期間中、大祭司に聖任された年配の男性か、七十人のみが専任宣教師として任命されることを発表した。

同年4月、旅行規制のため、4月の総大会における一般会員の入場は禁止され、中央幹部と141のステーク会長会の出席にのみ限定された。また、戦時中、ソルトレイクのタバナクルは閉鎖された。総大会の各セッションは、テンプルスクエアのアッセンブリホールと、ソルトレイク神殿のアッセンブリルームにて行われた。

同年7月、教会の指導者は、家庭菜園、野菜や果物の自家製缶詰と炭の貯蓄を奨励した。

会員数100万人

70年前の1947年1月1日。教会の会員数が100万人に達した。

オグデンとプロボ

45年前の1972年1月18日。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は、ユタ州オグデン神殿を奉献した。

その後、1か月を経ない2月9日。スミス大管長は、ユタ州プロボ神殿を奉献した。

35年前

1982年、教会の会員数が500万人に達した。

同年、十二使徒定員会のボイド・K・パッカー長老は、モルモン書に「イエス・キリストのもう一つの証」というサブタイトルが追記されると発表した。

同年10月、ニューヨーク州パルマイラにあるグランディン印刷所の3階建ての建物に、教会歴史史跡とビジターセンターがオープンした。グランディン印刷所は、1830年にモルモン書の初版が印刷された場所である。

家族歴史

30年前の1987年7月15日。系図図書館は手書きカタログの最後の一枚をコンピューターに入力してコンピュータ化を完了。

8月15日。教会の系図部が、家族歴史部と改名された。

モルモンタバナクル合唱団

25年前の1992年12月26日。モルモンタバナクル合唱団は、聖地イスラエルのエルサレム、テル・アビブ、ハイファにて公演ツアーを開催。

20年前

1997年6月1日。ゴードン・B・ヒンクレー大管長がミズーリ州セントルイスにて、50番目の神殿を奉献。

同年11月2日にヒンクレー大管長によって奉献されたユタ州バーナル神殿は、51番目の神殿となった。建物は、100年前の1907年初期にユインタステークのタバナクルとして奉献され、使用されていた。

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.