ニュースリリース

ホームレスへの炊き出し支援を続けて24年

福岡ステーク福岡ワード 藤 貞巳姉妹の奉仕に寄り添う扶助協会

福岡市の繁華街・中州の裏通りに冷泉(れいせん)公園がある。2023年12月16日正午過ぎ、時折雨まじりの木枯らしがピューピューと吹き付ける公園に人々が集まり始めた。末日聖徒イエス・キリスト教会 福岡ワード扶助協会の準備した炊き出しが始まるまでの1時間、ホームレスや生活困窮者たちは底冷えのする寒さから身を守るために一か所に集まり、体を丸くして待っている。こうした炊き出しの時にはいつも、福岡ワードの藤 貞巳(とう・さだみ)姉妹の姿がある。彼女が炊き出しを始めて24年になる。

頼れる仲間「お姉ちゃん」

2000年6月、福岡ワードに再転入してきた藤姉妹にはしばらく召し(教会での役割)がなかった。まだ60才、体も元気だし、何かしたい……。そう思う日々が続いていた。ある日、博多駅近くの出来町(できまち)公園で足を止めた。近くにある妹さんの店に行くたびに通るその公園には、常に30人くらいの人がそれぞれの小屋で生活していた。気にしながら眺めていると、小屋を建てた山ちゃんが声を掛けてきた。「この中に入って来ないかい」「入ってもいい?」殆どの人は怪訝な顔をしていたが、山ちゃんやその他何人かと親しく話すようになった。藤姉妹は受け入れてもらえた理由を「同じ匂いがしたからじゃない?」と笑う。「私達は仲間で、たまには一緒に食事をしますが、ここでは『お姉ちゃん』と呼ばれていて、誰も私の名前を知りません。」

当時、出来町公園では多くのグループが日替わりで炊き出しを行っていた。その中にボスと呼ばれる人を中心とするグループがあり、そこで藤姉妹は炊き出しを手伝い始めた。時間の経過とともに人が入れ替わり、藤姉妹を中心に炊き出しをするようになった。すると手足となって動いてくれる仲間が集まってきた。ほどなく仲間たちと「福岡市民の会」を結成した。炊き出しをするときにはパンフレットを作った。仲間には、阪神淡路大震災で被災した経験を持つ まっちゃんもいた。まっちゃんが市の福祉課の掲示板に貼り、ホームレスの仲間にも配った。パンフレットを見た人たちから口コミで炊き出しの日時や場所が広がって行く。口コミ情報は炊き出しの利用者だけではなく、支援者側にも広がった。その広がりは県をまたいだ。隣の大分県日田市の支援者からはお米、まとまったお金、服や寝具等が届けられ、自宅の玄関先に山積みになった。当時、すでに会員制大型店コストコから毎回小型トラック一台分のパンの提供があった。さらに末日聖徒イエス・キリスト教会からも1000ドル相当400kgの支援米が届いた。「お米に困ったことはありません。少し足りないかな~と思う時にはどこからかお米が届くのです。お金もまた同じです。いま大きな支援の話をしていますが、勿論個人としての支援もあります。どちらも同じようにありがたいです。」

時々みんなで食事会をした。春になれば拾ってきた段ボールを敷いて花見をした。ある時、藤姉妹は「焼肉をするから鉄板を準備して」と頼んだ。準備された鉄板は、どこからか拾ってきたホットプレートのプレート部分だった。「時々珍事が起きるけど、笑いながら一緒に食事をすると互いに理解が深まります。」出来町公園ではコミュニティーが出来ていて、朝は声がかかった。全員その声と共に起床し、小屋の周りを掃除した。「まっちゃん、おねが~い!」と声がかかると、まっちゃんはリュックからハサミ、櫛、ケープを出して散髪をした。公園にはトイレと水道があったので、身ぎれいに生活していた。

冬になると温かいものがいい。出来町公園では火を焚いて、大きな寸胴鍋でカレー、またある時はぜんざいや豚汁などを200人~300人分作った。家族で生活している人も加わってにぎやかに料理をした。テーブルの上には熱々の料理が並び、集まって来た人びとは我先にと列に並んだ。

藤姉妹は町内会の集まりの際にも支援を呼びかけた。「皆さんのご主人にダウンの暖かい服を買ってあげてください。そして今着ているものを寄付して頂けると助かります。」玄関先に置いた箱にお金を入れる人も現れた。「藤さんが○月〇日に炊き出しをするんだって」と口コミで他の炊き出しグループに伝わると、そこからいろいろな支援物資が届いた。寒い冬にはホームレスのことが特に気になる。ホームレスの数人には電話番号を教えている。困った時、どうしたらいいか分からない時に電話をしてくる。「お姉ちゃん、寒くて寝られない。」空港の草むらに建てた小さな小屋の住人からだった。深夜に布団を積んで車を走らせた。「お姉ちゃん、お腹が痛くて苦しんでいる人がいる。どうしたらいい?」「早く救急車を呼んで!」搬送先の病院に駆け付けた。親身になって助ける藤姉妹はいつしか頼られる存在となっていた。

彼らは日中、段ボールと新聞紙を探して回る。凍えるような日でも、夜になると商店街の風の来ない場所に段ボールを敷いて、新聞紙を掛けて寝ている。靴は履いて寝るように、と藤姉妹は言う。靴を脱いで枕元に揃えていたら、朝無くなっていたこともあるからだ。ホームレスの人たちは身に付けている物、手に持てる物が財産の全て。どのようなものが届いても、彼らの助けになった。

年齢を重ねて

炊き出しは月に一度の頻度で行われていたが、2018年、福岡市による出来町公園のリニューアルのために、ホームレスの人たちは公園から移動した。次の炊き出しの場所となった冷泉公園では火を使った大掛かりな炊き出しはできなかったため、弁当による支援となった。まっちゃんは幾つもある炊き出しグループの全部を手伝っていて、福岡市の繁華街(博多駅~中州~天神)を中心にホームレスの様子を調べて歩いた。

支援が必要だと見ると「パンフレットを作って」と藤姉妹へ頼みに来た。パンフレットをホームレスの人に渡すのは夜。寝場所に持って行った。しかし、日々、寝場所が変わる人もいて、まっちゃんは2か月間、彼らの居そうなところを歩き回って、炊き出しのことを知らせた。200個の弁当を作るのは自宅では無理。どうしようか……と藤姉妹が思案していると、他のグループや個人からも弁当やいなり寿司の差し入れがあり、目標数に達した。「いろいろな人から様々な助けがあり、長いこと続けられたのです。一人では何もできません。」

藤姉妹は80才に近づいていた。「私は85歳までは炊き出しをしようと思い、続けてきました。しかし皆さんも年をとり、炊き出しを止める人が増えてきました。私達も今は、私とまっちゃんと妹の3人になりました。動ける人がいなくなるのは仕方のないこと。でも私はどうにかして続けていきたいのです。」そこで、3人で出来る弁当の数は20個と決め、炊き出しの回数も減らした。人手が足りないため、コストコにパンを取りに行くのも止めた。

コロナ禍の時でもまっちゃんはホームレスの人々の様子を見て回った。お腹が空いた人がいて、支援が必要な時、「20個でも弁当を渡したい」と、福岡市の郊外にある藤姉妹の自宅にバスで来た。リュックで運んで弁当を配った。まっちゃんは、阪神淡路大震災の時に炊き出しを手伝っていたので手際がいい。無口で黙々と働くまっちゃんを、藤姉妹は「天使みたい」と言う。「大震災の時には家の中に取り残された人、その中には亡くなった人もいたけど、(まっちゃんは)何人も背中に背負って外へ連れ出したんよ。」

クリスマスの心

2023年12月16日(土)の炊き出しは、扶助協会の奉仕プログラムの一環として行われた。朝8時半からの作業開始に合わせて、29名の姉妹と藤姉妹と妹さん、まっちゃんが福岡ワードのキッチンに集まった。ワードの姉妹たちから募った米は約20kg(130合)。集まった2升炊き、1升炊き、家庭用の炊飯器、合わせて12台に次々とスイッチが入る。ご飯を炊きあげる間に姉妹たちは手分けしておかずを作った。

おかずはハモと竹輪の煮つけ、豚肉の生姜焼き、茹で卵、そしておかずの横には柿も置かれた。ご飯にはふりかけが掛かって、彩り豊かなお弁当が出来た。入りきれなかったご飯はおにぎりにした。湯気が立ち上るホッカホカのご飯がテーブルに置かれると、数人の姉妹たちが流れ作業でおにぎりにした。「おにぎりはやわらかくにぎったほうが美味しいよ」「熱い!」「ラップ、お願い!」などの声が飛び交った。出来上がった150個のおにぎりはお弁当の袋に入れられた。

待機していた兄弟たちが段ボール箱4個分のお弁当を冷泉公園まで運んだ。博多湾に近い公園は風が強い。ビルの間から勢いを増して吹き付ける雨混じりの風の中に、配布のためのテーブルが置かれた。その上にお弁当、魚肉ソーセージ、ペットボトルのお茶、さらに藤姉妹と妹さんが準備したふかふかの靴下とホカロンが入ったプレゼントが並ぶ。

まっちゃんには仲間がいる。二人の仲間は並んだ人たちが一斉に集まらないように声掛けをしていた。「5人ずつ前に来て。5人が貰ったら次の5人が前に。分かった~?」1時になった。「じゃあ、始めるよ~!!」列が動き出した。こうして、130個の弁当、ソーセージ、お茶がセットで配られた。「とても寒いから、暖かい服が欲しい。防寒服の配布はいつ? 寒くなる前にしてほしい」そう言って帰る女性がいた。まっちゃんの仲間はポツリと口にする。「実は並んでいる人の中には生活困窮者もいるんよ。貰っている年金だけで2か月生活するのは無理なんで。」

扶助協会会長の坂田浩美(さかた・ひろみ)姉妹はこれからの抱負を語る。「お弁当130個を作るためには藤姉妹のアドバイスは欠かせません。困ったことがあるとすぐに相談に行きます。藤姉妹の奉仕に寄り添って、今回は扶助協会の奉仕活動としました。たくさん集まった姉妹たちとにぎやかにお弁当を作るのはとても楽しかったです。来年もまた炊き出しをするつもりです。これからずっと扶助協会のプログラムとして引き継いで行けるようにしたいです。今日の活動のために集まった人は53名。多くの人に参加していただきました」と感謝する。

配布の終わった公園で、宣教師と会員によるキャロリングが始まった。クリスマスソングが次々と歌われ、その歌声は静かになった公園に広がって行く。「キャロリングはいいね。炊き出しを特別なものにしたようだ」との声が聞かれた。

最も小さい者

年が明けると、藤姉妹は間もなく誕生日を迎え、85歳になる。「体が動けるうちは何かをしたい。クリスチャンとして、最も小さい者※1……住む家もない、何もない路上生活者のことが心から離れません。彼らのためにもう少し続けて行こうと思います。この時期に支援してくれる人たちにも、ホッカイロと靴下のプレゼントを渡そうと思います。」

炊き出しを終えた藤姉妹の自宅の仏壇にはメロンが供えられている。事前に山ちゃんが「お姉ちゃんは来る?」と何度も念を押した。必ず来ると伝えると、炊き出しの際にメロンを抱えて来て「はい、お姉ちゃんに」とプレゼントしてくれたのである。藤姉妹はこう心情を吐露する。「手持ちのごく少ないお金を貯めて買ったメロンなんよ。嬉しくて、有難くて、もったいなくて食べられないの。」

私達は仲間 ─ その絆がここにある。

※1─マタイによる福音書25:40「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.