ニュースリリース

はじめての伝道でともに奉仕する夫婦

日本で奉仕するシニア宣教師:7月

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永田卓也長老とこのみ姉妹にとって,伝道が「出るべきかどうか」を考えるものであったことはない。永田長老と姉妹が思い描いてきたのは,「いつどこで伝道するのだろう」ということだけであった。そのため,ステーク会長から東京南伝道本部で奉仕する召しを受けたとき,二人はその場ですぐさま召しを受け入れた。

永田夫妻はそれぞれ個別に福音を受け入れて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり,その後1980年に結婚した。永田長老と姉妹には結婚前に伝道する機会がなかったため,ともに宣教師として奉仕できる日を心待ちにしてきた。

幸いなことに,永田夫妻にはどちらも「すべての会員は宣教師である」というデビッド・O・マッケイ大管長の教えを理解する友人がいた。永田長老が15才だったとき,彼の友人が教会に加わり,その友人から一緒に教会に行こうという誘いを受けた。永田長老は,皆が非常に親切であることに驚いた。長老の父親はバプテスマを受けることを禁じたが,永田長老はそれでも自ら教会に通い続けた。大学入学のために実家から離れて暮らし始めたとき,彼の友人もその地域に住んでおり,再度教会に招かれた。父親に大学費用を支払い続けてもらうためには卒業までバプテスマを待たなければならなかったが,永田長老は忠実に教会に通い,卒業すると同時にバプテスマを受けた。

永田姉妹は,出席できる教会を子どもの頃から探していた。電車の駅で宣教師を見かけたことはあったが,当時は彼らについて学ぶことに関心はなかった。16才のとき,高校で彼女の後に座っていた同級生が教会の会員であった。この同級生は永田姉妹を宣教師に紹介し,姉妹はレッスンを受け始めた。姉妹は19才までバプテスマを受けなかったものの,両親は姉妹をサポートしてくれた。

音響エンジニアとしての職から定年退職した永田長老は,将来の伝道を見据えて彼のキャリアを選択した。「人の寿命」が「七十二歳」であることに関する第3ニーファイ28章2~3節を読んだ永田長老は,伝道に出ることができるように,健康を守ることが可能な業界で働きたいと心に決めた。

永田夫妻は自宅に住んでおり,所属ワードで長老は日曜学校教師,姉妹はピアニストとして奉仕している。土曜日は,東京神殿でシフトコーディネーター補佐として奉仕し,残りの時間は伝道本部で奉仕している。永田夫妻のアサイメントは,年若い宣教師たちが住む住宅の管理である。

1週間を通して,永田夫妻は宣教師のアパートに必要な修繕や修理の手配を行っている。また,住居を点検するために伝道部内全体を訪問する機会もある。永田夫妻は若い宣教師たちと交流することが好きで,彼らが遊び心にあふれており,いたずらな面さえもあることに驚かされている。

シニア宣教師としての奉仕経験は,若い宣教師の経験とは異なる。永田夫妻はフルタイムで奉仕しているが,時間は柔軟に調整できるので,個人的なニーズに対処することも,子どもや孫と時間も過ごすことも可能である。二人は非常に忙しくはあるものの,奉仕するときに家族が祝福されると感じている。家族全員が幸せで,活発な教会員だからである。

永田夫妻は,シニア宣教師として奉仕することを考えている人に対して先延ばしにしないよう勧めており,「早い時期に奉仕しましょう。将来の健康状態を知るすべはないからです」と話した。永田姉妹は,「伝道はとても楽しいです!国内のたくさんの場所を見ることができます」と語っている。シニア世代の多くは伝道に出ることにさまざまな懸念を抱えているが,永田長老は「悩んでいるならば,神様にすべてを任せてください。そして,自分のできる以上のことをしようとしないでください」と助言している。

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.