今月開催された総大会において十二使徒定員のゲーリー・E・スティーブンソン長老は、以下の問いに対して熟考するようにとわたしたちにチャレンジした。「イエス・キリストの復活についての教えと祝い、つまりイースターの物語を、イエス・キリストの降誕、つまりクリスマスの物語と同じようなバランスと完全さと、豊かな宗教的な伝統をもって祝うにはどうすればよいだろうか?」
次にスティーブンソン長老は、新約聖書の学者、N.T.ライトの以下の言葉を引用した。「わたしたちは、独創的な方法でイースターを祝うために歩み出さなければなりません-芸術、文学、子供の遊び、詩や音楽、ダンス、祭り、ベル、特別なコンサートなど…」そして「世界各国の文化に見られる、キリストを中心としたよいイースターの伝統を取り入れてもよいでしょう。」
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復活祭に絵と物語を分かち合った千葉ワード:
わたしたちはイースターに、死の殻を破った「イエスさまの復活」を象徴するゆで卵を用意し、思い思いに卵に絵を描きました。エッグハントも子供たちにとって楽しい活動でした。宣教師からは霊的なメッセージが伝えられ、その中で「イエスのおかげで」わたしたちはどんな祝福を受けているかの問いかけがありました。わたしたちはそれを考え、思いを分かち合いました。主が復活されたことで、わたしたちに完全な希望があることに感謝しています。
笹山家族
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例年、プライマリーの活動の中で、子どもたちが一番楽しみにしているのは復活祭です。今年は白い紙袋に子どもたちが、ウサギの耳、目、鼻を付けて自分のバッグを作り、それを持ってお菓子が入った400個のイースターエッグを見つけようと教会中を探し回りました。袋を手に持ちながら、子どもたちは教会堂の中に隠された400個ものお菓子入りの卵型プラスチック容器を探しました。非教会員も招待したことで、伝道の良い機会ともなりました。子どもたちは楽しい活動を通して、イエス・キリストの復活を祝うことができました。
今年、千葉ワードは4月15日に「神殿家族歴史&イースター活動」を行いました。礼拝堂で成人会員とプライマリーが合同で開会をし、成人会員が「旧土地台帳の講座」を聞いている間に子どもたちは、エッグバッグ作り、イースターエッグハントを行いました。休憩を挟んで成人会員と共に「神殿家族歴史コーナー巡り」をして、イエス様の復活をお祝いするばかりでなく、復活して神殿の儀式を待っている先祖について学ぶ機会がありました。
千葉ワードプライマリー
広島、東京第1・第2、そして中野ワードも自分たちの復活祭の写真を分かち合った。
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信仰箇条第13条には、「どのようなことでも、徳高いこと、好ましいこと、あるいは誉あることや称賛に値することがあれば、わたしたちはこれらのことを尋ね求めるものである」と書かれている。すべての良いことはキリストの方向を指している。春は新しい生命をもたらし、キリストの復活を思い起こさせると同時に、主の贖いによってわたしたちには新しく出直せる機会がある。わたしたちに救い主を思い起こさせる復活祭を連想させるウサギ、卵、花、ひよこ、その他のものは、わたしたちの心を救い主、そして救い主がわたしたちのためにしてくださったことのすべてに向けさせる。最初の復活祭の朝以来、わたしたちは主の犠牲のおかげで再び生まれ変わることができるのである。