「富み栄え進歩する社会の妨げとなる人間の衝動的な行動を抑制できる社会において、宗教の自由は、宗教以外の自由がどれだけ許されているかを示す指標となる」と末日聖徒イエス・キリスト教会の使徒が述べた。
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十二使徒であるデール・G・レンランド長老とその妻ルース・リバート・レンランドは2017年6月9日にコスタリカで行われた宗教の自由に関する国際的なシンポジウムで演説した。レンランド長老は使徒そして心臓病学と心臓移植の専門医という視点で、またレンランド姉妹は民事訴訟弁護士としての経験を持つ者として意見を述べた。
「宗教と宗教の自由は個人にとって良いものであるだけでなく、社会にも益をもたらすものです。個人的な道徳観に基づき行動できる、つまり自分の良心の命じるとおりに信じ、自分の信じるとおりに行動することを選べるのですから、宗教の自由が個人にとって良いものであることは明らかです」とルース・レンランドは語った。
レンランド長老は医師として、心臓移植を受けた人の体がどのように新しい臓器に対処するかということについて長年研究してきた。心臓移植を受けた体は、本来なら人体が持っている免疫機能により拒否反応を起こそうとするが、それが起こらないように薬剤が用いられる。「わたしの患者だった人々の多くが心臓移植25周年を記念して、感謝の手紙を送ってくれます。この患者たちの免疫学的寛容は、本来なら『異物』として拒否反応を起こす他人の臓器をまるで『自分自身の体』のように受け入れた人たちです」と長老は述べた。
宗教の信仰を医学的な比喩で語った夫に続き、レンランド姉妹も移植臓器を受け入れる人体の反応を、異教徒を受け入れる社会の反応になぞらえて、「異教徒を仲間外れにし、拒絶するという反応は常に起こることであると歴史は語っています。このような否定的な相互関係は、1つのグループが自分たちを『わたしたち』、グループ外の人を『彼ら』と定義するところから始まります」と語った。
「社会にとっての宗教的な信心、教え、実践は、臓器移植を受けた体が拒絶反応を起こし具合が悪くなるのを抑えるために必要とされる薬剤と同じ働きをします」と述べ、宗教が3つの意味で重要な薬剤となると教えた。1つ目は、自分より上の権能を持った者がいるという概念。2つ目は道徳的行動規範。そして3つ目は道徳的規範によって人の心を変えることができ、自分よりも他人を思いやる心を持って行動することが可能になるというものである。
「レベルの高い文明を有し、うまく機能している社会は、自分自身よりも大切なものがあると教える信念体系に基づく道徳的行動規範の上に成り立ちます」とレンランド姉妹は語り、道徳的な行動規範は今日の社会にとって強力な薬となると付け加えた。
イエス・キリストを神と信じるか否かにかかわらず、2000年前に主がこの地上で教えられたことから学べることは多くあります。地上において主がなされた奉仕は愛、同情、共感にあふれたものでした。レンランド長老は「主はご自分の教えに従わなかった人々の姿にたじろぎガラリアやユダヤの地を蔑みながら歩くことはありませんでした。主は絶望的な嫌悪感から人々を避けることはありませんでした。それどころか、主はそのような人々と食を共にし、助けの手を伸べ、祝福し、励まし、教化し、怖れと絶望を退け希望と喜びで満たしました」と語った。
聖書に書かれている黄金律、つまり「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」はクリスチャンのためだけの原則ではありません。この道徳的規範と同様の原則は、儒教やモハメドの経典、そしてヒンズー教とユダヤ教の伝統の中にも存在します。
レンランド姉妹は末日聖徒イエス・キリスト教会の創始者であるジョセフ・スミスの「わたしは自分が長老派、バプテスト、あるいはほかの宗派の善良な人の権利を守るためにも同じように命を差し出す用意ができています。末日聖徒の権利を踏みにじる考え方は、ローマカトリックや、あるいは信者が少なく、自分たちを守る力を持たない宗派の権利をも踏みにじるものです」という言葉を引用した。
レンランド長老・姉妹は、より礼儀正しい社会、自分ではなく人を思いやる社会を作るためにみんなにできることはたくさんあると述べた。
- 礼儀をわきまえて話し、ヘイトスピーチを拒否することで寛容な社会を作る。
- 他者の礼拝する権利を守るために立ち上がる。
- 少数の行動から判断して、すべての宗教を悪いものとみなすことをやめる。
- 外国人に対して恐怖心を抱くことをやめる。
- 外見だけで人を判断することをやめる。
1960年代にヨーロッパに住んでいたレンランド長老は、10代の自分がアメリカ人であり末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であることを理由にいじめにあった経験を分かち合いながら「学校の友達の中には、私が信じている宗教が当時住んでいた国が奉ずる宗教とは異なるという理由で、わたしの宗教は彼らが住む国々を侮辱するものだと言わんばかりの扱いも受けました」と述べた。
自分の信じる宗教を実践するために、他の宗教の信者に対して偏見を持ち差別することがどれだけ醜いことかをレンランド長老は目にしてきた。「自分が身をもって経験したことのおかげで、私はあざけり、嫌がらせ、いじめ、排除、隔離、嫌悪などが嫌なものであると知っています。これらのことは、わたしが愛し礼拝する神が喜ばれることではありません」と語り話を締めくくった。