1991年、当時の大管長であったゴードン・B・ヒンクレー大管長はつぎのように語った。「教会の什分の一は神聖な基金です。主が自ら定められた方法によって配分されています。教会は非常に大きく、複雑な組織になってきました。広範囲にわたり、費用がかかるプログラムを多く実施しています。けれども、収入の範囲を超えるようなことは行っていないことをお伝えしておきます。教会に負債を負わせるようなことはしません。手もとにある資源の範囲内に収めています。」(2001年10月総大会)
教会の成長に伴い、必要とする経費も増えて、施設費や活動費として毎年数十億ドルが計上されている。その使い道には以下のようなものがある。1,600万人以上の会員が礼拝するための礼拝堂や神殿などの建設と運営、イエス・キリストのメッセージを広めるために全世界で展開されている伝道プログラム、世界中の神の子供たちを祝福する福祉と人道支援における取り組み、何十万人という学生に大学教育を施すこと、セミナリーとインスティテュート、宗教の枠を超えて誰もが利用できる世界規模の家族歴史資料。その他にも多くのことを実施している。
教会は会員に、収入の範囲内で生活し、不測の事態に備えて貯金するよう教えており、教会も同じ原則の基に運営されている。つまり、教会は、忠実な会員たちから受け取った神聖な基金の一部を蓄えに回している。世界の財政状況にかかわらず、教会は神がお定めになった使命を遂行しなければならない。それは困難な時代であっても同じである。
神の律法である什分の一を守り、その他の金銭的寄付を行っている会員の忠実さは、無償の愛と犠牲の現れであり、イエス・キリストが自分に従うすべての人に求めておられることである。教会が末日聖徒から受け取る金銭のすべてを神聖だと考える理由がここにある。教会指導者は、この基金が神のものであって、自分のものでないことをよく承知している。そのため彼らは、こうした什分の一と寄付金に対して求められる配慮と丁寧さと慎重さと知恵をもって扱っている。
先頃教会は、デゼレトニュースとチャーチニュースとのインタビューに応じて、こうした原則と主の神聖な基金の使い方に関して、さらに詳しい説明を行った。