2020年2月4日更新
肺炎を起こす新型コロナウイルスへの懸念が高まる中、末日聖徒イエス・キリスト教会のラッセル・M・ネルソン大管長は中国の旧知に必要な支援を問い合わせた。
この問い合わせにより、武漢市で発生した新型コロナウイルスによる感染のために上海の小児医療センターでは防護マスクが不足していることがわかった。そこで「希望(ホープ)」と名付けられたプロジェクトとの共同作業により、必要とされる物資を配送する計画が立てられている。
「ホープ」プロジェクトとの共同作業において、ソルトレーク・シティーにある教会の中央ビショップの倉から物資配送のために飛行機がチャーターされた。2回目の配送はアトランタ州にある教会の物資保管庫から送られる。支援物資は合計で、マスク22万枚、防護ゴーグル870個、防護服6,500着、防護用医療用具パレット79枚分のとなる。
上海では末日聖徒のボランティアらが、配送されてきた物資が必要な場所に行き届くように支援を行いたいとしている。
1984年に教会の使徒として召されるまで、人生の大半を世界的に有名な心臓外科医として働いたネルソン大管長は、1985年に最後の心臓手術を中国で執刀したことから中国でも著名である。医師として、また教会の奉仕を通して、ネルソン大管長は中国で長年の友情を育む友がいる。「数十年にわたり素晴らしい中国国民との関わりを持ってきました。彼らはわたしたちの兄弟・姉妹です。ほんの少しですが、教会として支援の手を差し伸べることができることを嬉しく思います。彼らのために祈っています。神は中国国民を祝福してくださることを知っています」とネルソン大管長は話した。
新型コロナウイルスが初めて特定された中国湖北省では、感染者が約6,000人にのぼり、中国大陸以外でも同感染者が数十名確認されている。世界中の政府や国民がこのウイルスの感染拡大を食い止めようと警戒レベルを強めている。
- Latter-day Saint Charities and Project Hope
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- Coronavirus China
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2020年2月4日更新
2020年2月4日(火)、上海に2つの荷物が届いた。1つはソルトレーク・シティーから空輸された荷物。もう1つはアトランタ州にある教会のビショップの倉から送られた荷物であった。この2つの荷物は22万枚のマスク、870の保護ゴーグル、6,500以上の防護服などのウイルス感染予防のための医療用品で、79のパレットに積載されて届いた。末日聖徒チャリティーズの地元ボランティアであるパトリックとマリア・チェウクは火曜日、2カ所から送られて来た医療用品の配布作業を行った。
「自らの命を危険にさらして医療の前線で患者の治療にあたっている医療職員と比べれば、わたしたちのやっていることは取るに足りないことです」とパトリックは話した。
パトリックは新型コロナウイルスとの闘いに力を尽くす人々を見て勇気を貰ったという。
「自分のことは考えず、自分の近隣住民に感染予防用のマスクを分かち合う人がいました。ソーシャルメディアで最新情報を提供し続けることで、日々、地元の人々にコロナウイルス感染の状況を伝える人もいました。他にも食料や手の消毒液を分かち合う人も大勢いました」とパトリックは述べた。
パトリックは、イエス・キリストに従う末日聖徒として必要不可欠な特質である隣人を助けるという姿には、人を動かす大きな力がありますと語った。
さらに「助けを必要とする人に自分を捧げること以上に価値のあることはありません」と続けた。