ニュースリリース

日本を故郷にしたラグビーのスター選手中島ヴァカウタ・イシレリ

 

日本に帰化したラグビーのスター中島ヴァカウタ・イシレリ選手は、お金や名誉のためにラグビーをやるのではなく、家族や神への信仰のためにプレーしている。現在、神戸製鋼コベルコスティーラーズに籍を置き、日本で開催されたラグビーワールドカップ2019の日本代表選手として活躍した中島選手は、1989年、トンガ・ヴァイオラで生まれた。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であるイシレリは、トンガタプにあるリアホナ高校のラグビー部のキャプテンであった。この時、チームは初めて優勝し、ラグビーコーチたちの注目を集め、ラグビーが花形スポーツであるニュージーランドのある大学からラグビー奨学金を提供されたほどであった。

しかし、日本のある大学ラグビー部のコーチが、選手スカウトのためにイシレリ選手がプレーする試合を見に来ていた。試合後、このコーチはイシレリに奨学金を提供すると申し出た。日本については何の知識もなかったイシレリは、父のシオン・ヴァカウタに相談。父親は勉学とラグビーができる日本に行くべきだと感じた。イシレリは謙虚に父親の判断を受け入れ、流通経済大学でラグビーをやるために2008年に来日した。

来日前、イシレリは日本が島国であることから、日本の気候は故郷トンガと同じだろうと思ったという。しかし夏服で冬の日本に到着したイシレリは、日本の冬がどれだけ寒いかをすぐに悟ることになる。ラグビー部のコーチ陣のスタッフが彼のために冬服を買いに行ったが、身長180センチを超える彼に合う服を見つけるのは容易ではなかった。イシレリは当初、日本の家が密集して建てられていることに驚いたものの、すべてが清潔であることに感心したという。また日本国民は親切で礼儀正しいという印象を持った。そして「みんながとても若く、また小柄に見えました」と彼は話した。

また、ラグビー部のチームメイトの全力を尽くす姿に感銘を受けた。流通経済大学での最初のトレーニングの一つでは、急な坂道に作られた長さ80メートルの階段のところに連れて行かれ、コーチがそこを駆け上るようにと指示を出した。選手たちが階段の下の戻ってきたときコーチは、今度は同じことを20秒で行うようにと指示を出した。イシレリは「このコーチは頭がおかしい」と思ったというが、練習を重ねるうちに選手たちの多くが18~19秒で階段を駆け上げることができるようになっていた。大学在学中の4年間で、イシレリはチームを全国大学ラグビー選手権大会での初優勝に導くまでになっていた。しかし、全力を尽くしても、彼は階段を20秒以内で駆け上がることはできなかったという。

大学のスポーツ科学部を卒業後、イシレリは千葉県我孫子市にあるNECグリーンロケッツと契約しプレーした。その当時、中島理恵子と出会い結婚した。イシレリは妻に対する愛と敬意を表すために、妻の姓を名乗ることを決めたという。日本では妻の姓を名乗ることは珍しいが、イシレリは母国では当たり前だった家父長制に対する違和感が増し、その慣習には従いたくないと考えるようになっていた。「わたしが育った国では、女性虐待などの問題がたくさんありました。日本に住んだ経験から、規律について深く学ぶことができました。それを自分の息子たちに伝えたいと思っています」とイシレリは話す。

中島イシレリ選手は2017年に神戸製鋼コベルコスティーラーズと契約し、2018年にはニュージーランド代表と初対戦している。ロックとナンバーエイトのポジションでプレーしながら、チームが2018-2019年トップリーグの優勝に貢献。当時、日本で開催されるラグビーワールドカップに出場する日本代表選手の選考が行われようとしていた。しかし残念なことに、その1カ月前に中島選手はひざを負傷していた。

ワールドカップ代表選手の選考前にヘッドコーチのジェイミー・ジョセフは、1番のプロップへのポジション変更を考えて欲しいとイシレリに依頼。プロップは通常、大柄でスクラムを動かすための力を出せる選手が付くポジションである一方、ロックはウイングでプレーし、ボールのパスや、ボールを持つ選手をブロックする役割を持つ。ポジション変更には所属チームのコベルコスティーラーズのコーチの許可が必要であることを伝えた彼は、そのコーチから「プロップに変更すれば世界で最強の選手になれるだろう」とのアドバイスを受け、ポジションを変更した。

ひざの故障があったため日本代表選手には選ばれないと思っていた中島選手であったが、選手選考会の前に1度だけでもスクラムでプレーすることができれば候補者になれるとジョセフコーチから伝えられ、集中的なリハビリ訓練を受けた結果、プレーが可能となった。選手選考会の前に見せたスクラムでのプレーは上出来であった。しかし有力選手が多数いる中、プロップでのプレー経験もない中島選手は、代表選手の選考結果を不安な気持ちで待っていた。必要なプロップは2人で、補欠にあと1人必要なだけであった。最初のプロップが発表されたが、それは彼ではなかった。次の発表を待つ間、何も聞こえなかったがスクリーンに自分の名前が映し出されたのを目にした時、彼は固まってしまったという。「まるで夢を見ているようでした。冗談かもと思いました」と彼は話した。しかし、間違いなく彼は代表選手に選ばれたのであった。

中島選手のチームメイトは彼がこの発表にどのように反応するのかを待っていたが、彼はそこに座ったままで、わずかに唇を動かしているだけであった。誰に話しているのだろうと不思議に思った人もいた。チームメイトも知らなかったことであるが、この時、彼は声には出さずに天父に感謝の祈りを捧げていたのであった。

しかし、中島選手が代表に選ばれたことを疑問視する人もたくさんいた。膝は完全に治ったのか、プロップというポジションでプレーできるのかとの声があったのである。彼は選ばれた選手として期待を裏切らない働きをして、選考結果が正しかったことを証明すると意気込んだ。

中島選手は日本代表チームの選手たちと日本人選手たちに大いに感銘を受けていた。「彼らはアスリートである自分に誇りを持ち、全力を尽くし、決してあきらめません。練習でミスをすると、完璧なプレーができるまで何度でも練習を続けます。チームメイトをとても大切にし、チームはワンチームとして強い結束力を持っています」と彼は語った。

中島選手はワールドカップの初戦で東京のスタジアムに入ったとき、非常に緊張していた。スタジアムが観客であふれていたからであった。走って入場したとき、彼は家族のことを考えていた。そして、家族のためならできると自分に言い聞かせていた。

ラグビーワールドカップ2019の開催国として、日本代表チームに寄せられた期待は大きかった。ロシアとの初戦では30-10で勝利を収め、期待に応えた。初戦の勝利により、世界第2位と目されるアイルランドとの試合にも期待は高まった。日本は19-12で再び勝利を収め、世界のラグビー界に衝撃を与えた。次のサモア戦でも38-12と勝利。次のスコットランド戦では勝てばベスト8進出という場面であった。ベスト8進出は日本がそれまでに果たせていなかった悲願であった。

「スコットランド戦はわたしの選手生活の中で最高のものでした。誰も日本が勝つとは思っていませんでした。対戦前には、相手チームから多くのからかいの言葉を浴びせられました。スコットランドのコーチと選手らは『日本が勝てるはずがない』などと言い、わたしたちを怒らせようとしていました。でも、わたしたちは謙虚になり、ゲームプラン通りにラグビーをすることに集中しました。彼らにはそれができていませんでした」と中島選手は語る。

試合は早くから日本がリードしていたが、スコットランドの追い上げで点差が縮まってきた。28-21で日本がリードを保ち、残り時間が数分となった時、日本はスコットランドにボールを渡すまいと全力を尽くしていた。「人生で10秒があれほど長く感じられたことはありませんでした。試合が終了しないのではないかとも感じました」と残り時計を示す時計を見ながら中島選手は思ったという。試合終了の合図と同時に、日本初となるベスト8進出が決まり、中島選手とチームメイトは大歓声を上げた。特に中島選手は大変な喜びようであった。

日本代表チームは日本の誇りとなった。残念ながら、次の試合ではワールドカップを制した南アフリカに負けることになったが、日本でのラグビー人気は高まった。

ワールドカップ終了以来、中島選手は新聞やテレビから多数の取材を受けた。ブロンドに染めた髪と大きな笑顔により、人目につかずに食事に出かけることは難しくなった。「わたしたちの活躍によって人々に驚くほど喜んでもらうことができました。日本でもラグビー人気に火が付きました」と中島選手は述べた。

ラグビー人気は子供の間で高まっている。100人以上のユースたちが集まった最近のラグビー教室で、中島選手が「いつラグビーを始めましたか?」と尋ねると、5人を除く全員がワールドカップで日本代表チームを見てから始めたと答えたという。中島選手はこれを聞いて嬉しく思い、子供たちが夢をかなえる手伝いをしたいという。

この望みは彼が最も大切にする自分の家族にもいえる。教会員ではない理恵子夫人との間に2人の息子(4歳と1歳)がいるイシレリは、夫人がモチベーションを与えてくれるという。

「家族はわたしたちの宗教の中心をなすものです。宗教について多くを話すことはありませんが、わたしはいつも心の中で祈っています。祈りによって息子2人と妻の助けとなる事柄について霊感と祝福を受けることができます。わたしが行うことすべては家族のためです」とイシレリは話す。

大きな体格からは想像できないほど、イシレリは感謝の気持ちにあふれた謙遜な人で、家族を大切にする。目を潤ませながら彼は、妻が自分と2人の息子が教会に行くことを助けてくれると話した。彼女は家に宣教師を招いたこともあるという。

「彼女は教会について質問してくれるので、嬉しく思っています。彼女は『あなたの宗教を理解するのは難しいけど、息子たちが伝道に出たいというなら、あなたと息子たちをサポートする』と言ってくれました」と述べた。

最初の子供が生まれたとき、理恵子はどうやって家族を育てていいのかわからなかったという。理恵子とイシレリの両親は共に離婚していた。彼女はイシレリを見ながら、どのように愛し、子供を育てるのかを学んだという。彼女が家族の大切さについて学んだのも夫からであった。

「わたしには世界を変えることはできませんが、自分自身の家族についての事柄は変えることはできます。わたしは福音と預言者を愛しています。家族のおかげで、モチベーションを保つことができています。それは神の計画です。わたしは忍耐をもって、家族を守り愛します」とイシレリは話した。

忍耐力と感謝の気持ちを持ちながら、イシレリはラグビー競技場と新しい故郷日本でよい模範となって光を輝かせ続けるであろう。

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.