世界規模のパンデミック。悪化する経済。さまざまな不安。本音で語ると“撤回”されるのではないかという恐れ。現代社会のほとんどがこういった難局を一つ二つ迎えており,このような難局一つ一つに社会構造が試されるのだ。希望を失わずにこの大きな相違というイライラを安全に乗り越える術はあるのだろうか。
末日聖徒イエス・キリスト教会の使徒であるウリセス・ソアレス長老は,ダラス・フォートワース信教の自由会議(the Dallas–Fort Worth Summit for Religious Freedom)の初日にオンライン上で集まった人々に対し,すべての人の尊厳を重んじることが鍵であると述べた。
「人類の尊厳という概念は文化間で異なるかもしれませんが,不安定で変わりゆく世の中にあっては不変のものという役割を担います。」ソアレス長老はソルトレーク・シティーにあるレコーディングスタジオからこのように語った。「人権は,特権や富や機会といった不均衡をならします。これらの権利は例外なく当てはまるべきです。そうしなければ,正義はそのときに権力の座に就く者に還元されます。……いつ,どのようなところにあっても,一人一人が大切なのです。」
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相違という悪魔に屈する代わりに,使徒は互いに尊敬し合うというシンプルな解決策を提案した。
「意見の相違をそんなに恐れないようにしましょう。」そしてこのように続けた。「代わりに,隣人が持つ信仰に対し心から敬意を払いましょう。そうすることで,皆さん自身の信仰も強められたと感じることができます。対話や言葉かけといったシンプルな事柄が,健全な社会に決定的効果があるのです。わたしたちは怒らせることも怒ることもしない方法を学ぶ必要があります。信教の自由が認められている国々ほど平和が確立されているというのは重要なことです。信教の自由が制限されている国々ほど争いに絶えません。」
ソアレス長老の言葉はまだ続く。これらは相互の利他主義や無私無欲の奉仕と対にならなければならない。ソアレス長老は聴衆に宗教の位置づけについて思い起こさせた。それはつまり「物事を可能にするネットワークや社会のつながり」を提供するものである。2017年,ワシントン州ベルビューの末日聖徒らが,火事によってモスクが崩壊してしまった地元のイスラム教の友人たちに教会堂を提供したときのことについて指摘した。地元の末日聖徒はこの親切な行いを,イエスがそうするよう命じられた「隣人を助ける一隣人の行為」と説明した。
「わたしたちは困っている人々を助けるとき,あるいは心から助けを求めているときに助けてもらうときほど,愛され,社会とのつながりを感じることはないでしょう。」ソアレス長老はこのように述べる。「〔ワシントン州での教会員の振る舞い〕のようなささいな行いの多くは,結局社会的信頼を築き,社会における友情を強め,互いの信教の自由を擁護することを確かなものとすることにつながります。」
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