ニュースリリース

モルモン教徒,南太平洋地域における教会の170周年を記念する

5月23-24日,フランス領ポリネシアの末日聖徒イエス・キリスト教会〔モルモン〕の会員と来賓は,南太平洋地域への同教会最初の宣教師到着170周年を祝った。

3人の宣教師がフランス領ポリネシアのトゥブアイ諸島に到着したのは,1844年4月30日のことである。アディソン・プラットとノア・ロジャーズ,ベンジャミン・グルアードが,イリノイ州ノーブーの教会本部から陸路と海路を1年近く旅してやって来た。4人目の宣教師ノールトン・F・ハンクスは,旅の途中,1カ月ほど海路を進んだ後に死去した。ロジャーズ長老とグルアード長老は1844年5月15日にタヒチ島に着いたが,プラット長老はトゥブアイ諸島にとどまった。

この教会のユニットはまず,宣教師到着後間もなくトゥブアイ諸島に設立された。それから170年を経た現在,南太平洋地域には,50万人近くの末日聖徒がいる。

教会員とその友人たちはこの節目となる時を記念して,23日金曜日夕方,パペーテのパテールスタジアムで開催される文化の祭典に参加した。700人を超える末日聖徒の青少年と500人から成る聖歌隊が, 1万人を超えると見込まれる観衆の前で出し物を披露した。教会の太平洋地域会長ジェームズ・J・ハムラ長老が観客として来るこの文化的催しには,フランス領ポリネシアのガストン・フロス大統領およびその他の政府高官も出席した。

来訪者たちは翌日〔5月24日土曜日〕,モルモンの開拓者たちが1847年に,現在,アメリカ合衆国ユタ州と呼ばれているソルトレーク盆地に到着した出来事の再現シーンを見た。この時以来,教会の本部はソルトレークシティに置かれている。

再現シーンの後,会員と来賓には礼拝行事に参加する機会や,自立の原則の発表会を見る機会が与えられた。発表会では,リサイクルや食糧貯蔵,栄養価の高い食糧の栽培方法などについての説明があった。

土曜の夜には,特別ディボーショナルでハムラ長老が,フランス領ポリネシアおよび南太平洋地域全体における教会の歴史と発展状況について話した。ハムラ長老の話の後,スタジアムでは過去現在合わせて数百人のモルモン宣教師によるパレードが繰り広げられた。

フランス領ポリネシアの末日聖徒たちは,数か月にわたって以上の催しの準備と,その他の祭典に取り組んできた。

パペーテにある仮設情報ブースでは,フランス領ポリネシアにおける教会の歴史と,現在の教会の所在地について訪問者が質問できるようになっている。このブースで働くボランティアは,6月1日以降も,興味のある訪問者に引き続き情報を提供していく。

4月30日は,1844年に宣教師がトゥブアイ諸島に到着した日付である。この日教会員は,たいまつを持ってトゥブアイ島の周辺を巡るたいまつリレーウォーキングに参加した。たいまつが島を一周したところで,この島に初めて来た宣教師を称える記念碑が設置された。トゥアモトゥ島周辺を巡る第2回たいまつリレーは先週行われた。

教会員は5月2日,聖書を初めてタヒチ語に翻訳したプロテスタントの牧師ヘンリー・ノットの業績を称えた。1844年の同日,フランス領ポリネシアに宣教師が到着した2日後に,ヘンリー・ノットは死去している。

数千人の教会員とその家族,友人たちによる地域社会奉仕プロジェクトが,フランス領ポリネシア全土で行われた。

本年はこれらの行事に先立ち,フランス領ポリネシアのガストン・フロス大統領は,来訪予定の末日聖徒の使徒ラッセル・M・ネルソン長老にこう語った。「我が国の若人には貴教会の教えが必要です。貴教会の方々が我が国のために貢献してくださっていることに感謝しています。」

現在,フランス領ポリネシア全土には82のユニットがあり,約2万2,000人の末日聖徒がいる。

報道機関やオピニオンリーダー,および,一般の方々は,フランス語英語にて,教会のウェブサイト「Mormon Newsroom」を参照。

 

 

 

 

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.