作曲家チャド・キャノン
チャド・キャノン兄弟※1は将来を嘱望されている若手作曲家である。アメリカ合衆国ユタ州ソルトレーク・シティー出身。2006年からの2年間、末日聖徒イエス・キリスト教会・日本福岡伝道部の専任宣教師として初めて日本の土を踏んだ。その後、母校ハーバード大学で作曲を学び、さらにニューヨークのジュリアード音楽院で2年間学ぶ。2011年6月には,大学の夏休みに東日本大震災の被災地、石巻や南三陸でボランティア活動に従事するかたわら、持参したバイオリンの演奏で、途方に暮れる被災者を慰め、勇気づけるコンサートを行った。
※1─教会では,すべての人が神の子供たちであるとの教えから,教会員の男性を兄弟(Brother),女性を姉妹(Sister)と呼称する
勉学を終えたキャノン兄弟はロサンゼルスに拠点を移し、映画音楽の作曲家として活動を始める。「ホビット」3部作や ハリウッド版「ゴジラ」のオーケストレーションにも携わった。音楽活動は母国アメリカにとどまらず,中国でも目覚ましい活躍をしている。映画「カイロ宣言」では中国最高の賞と言われる金鶏賞を,中国の作曲家イ・シャオガン氏との共作で受賞している。日本ではジブリ映画でおなじみの作曲家,久石 譲氏のチーフ・アレンジャーとしてコンサートツアーに貢献し,確固たる地位を築いている。
また2016年の熊本地震と2017年の九州北部豪雨の被災地である大分県日田市では,地元の人に声を掛けてチャリティコンサートを行うなど,キャノン兄弟の日本への思いは深い。
交響曲「The Dreams of a Sleeping World」
キャノン兄弟は作曲家として,交響曲「The Dreams of a Sleeping World(眠れる世界の夢)」を2019年1月に発表した。日系ブラジル人画家,大岩オスカール氏の絵画10点にインスパイアされた,10楽章からなる壮大な交響楽である。各楽章には,現代社会を象徴するアジアやアメリカの詩が歌詞としてフィーチャーされ,戦争、環境破壊、自然災害など人類が直面している問題に焦点を当てている。
「The Dreams of a Sleeping World─シネマ体験」は芸術性の高い,上映会形式のスクリーンコンサートである。鮮やかな色彩と大胆な空間構成で現代社会を描き出した大岩オスカール氏の絵を細部まで映し出しつつ、交響曲の合唱パートで歌われる詩(第7楽章は絵のみ)を字幕でかぶせる。絵画と音楽と詩のコラボレーションで作曲家の思いを表現した印象的な映像作品である。
この「シネマ体験」は絵と詩と音楽によって,被災者や被害者の悲しみや苦しみ、そしてその後に訪れる癒やしを表現する。日本に関係する悲惨な出来事(東日本大震災や広島の原爆)も採りあげられている。全体を通して流れているのは,突然襲ってきた悲惨な出来事に翻弄される人々への思いであり、寄り添う気持ちであり、励ましである。それは作曲家チャド・キャノン兄弟の心そのものであり、「シネマ体験」を観る人の心にストレートに響いてくる。
※The Dreams of a Sleeping World 全曲と10点の絵画は以下のウェブサイトで鑑賞することができる。
https://www.chadcannonmusic.com/dreams-of-a-sleeping-world-1
教会における「シネマ体験」
「シネマ体験」は2019年4月16日、中国・香港を皮切りに北京、瀋陽でも披露された。日本では4月22日の山口県柳井市に始まり、福岡、京都、金沢、東京の5都市での上映となった。金沢の上映会場は,大岩オスカール氏の絵画展を開催中の金沢21世紀美術館であった。京都は国立博物館、東京は国立近代美術館、柳井は公共施設での上映だが、福岡だけは教会が上映会場となった。それは一通のメールから始まった。
2019年2月中旬、福岡ワードの会員、安武幸子(やすたけ さちこ)姉妹のもとにメールが入った。福岡で「シネマ体験&トークの夕べ」を開きたい、というものだった。
「突然の連絡に,息が止まるほどびっくりしました」と語る安武姉妹。「会場確保が一番の問題。時間がないので急いで一般のホールの使用可能な場所を探しました。上映予定日は予約で埋まっているホールが多く、やっと1か所を見つけました。」
ところが,「一般ホールの準備が進み、書類を提出する段階になって、『なぜ教会を使わないのか。教会に重点を置きなさい』という言葉を強く心に感じました。」すぐにキャノン兄弟と連絡を取った。キャノン兄弟は,自分が宣教師としてキリスト教の伝道をした地,福岡での上映は教会堂で行いたいとの思いを持っていたことが分かった。そこでキャノン兄弟は,福岡の教会のビショップリック(指導者たち)にその思いを直に伝えた。
多くの人を教会に招き、上映会を行うことには3つの目的がある,とキャノン兄弟は話す。
- 教会員を含む来場者と良い芸術を分かち合う。
- これから宣教師になろうと考えている青少年に、伝道に出たからこうなった、という自分の経験を話す。
- 教会員以外の来場者に,伝道が及ぼす良い影響を知ってもらう。
指導者たちは、教会の使用許可を出すだけでなく、福岡ワードの公式な活動として認めてくれた。
教会員に声を掛け、相談役、広報担当、伝道担当、調整役と4人のチームを作った。キャノン兄弟から届いたポスター、チラシのデータを印刷に回し、プログラムも作った。更にプレビュー用のビデオも届いた。「シネマ体験」は10日後に迫っていた。広報担当の越智洋子(おち ようこ)姉妹はポスターとチラシを用いてSNSへの投稿をした。伝道担当の角谷顕子(かくたに あきこ)姉妹はポスターとチラシについては、印刷したものとSNS拡散のデータの両方を宣教師に渡して、多くの人に知らせることにした。教会員には一斉メールで案内するとともに,ポスターとビデオのプレビューも流し、当日を待った。
約1時間の上映会の後には,作品の説明を含むトークと質疑応答があった。「この作品は全て私と繋がりがあります」と話し始めるキャノン兄弟。「5番目の On the Edge of the World は東日本大震災の時に描かれた絵です。音楽の後半、弦楽器だけの演奏は亡くなった人たちが天国で天使に迎えられている様子を表現しました。」10番目の絵は,原爆で瓦礫と化した広島の復興を描いた桜の絵。「広島現代美術館に展示されているこの絵の前で1時間ほど立ち尽くしました。それから外に出て、緑豊かな広島の街を見た時に、大岩オスカールさんの描いた絵の意味が理解できました。広島の人々が絶望の淵から立ち上がり、いかに多くのことを赦して、この綺麗な街を築いたかを。それを音楽にしました」と続ける。
キャノン兄弟は大学一年生の終わりに宣教師として福岡の地に降り立った。「それまでは日本と中国の区別さえ分からなかったのです。福岡と鹿児島での2年間が私を変えました。日本の歴史と人々が心から好きになりました。もし、伝道で日本に来ていなかったら今の私はありません」と言う。大学に戻った後、キャノン兄弟はファイアサイドでリチャード・G・スコット長老の話を聞いた。「日本語を忘れないでください」というものだった。絶対に日本語を忘れないと決心した。大学で日本語のクラスを取り、インターネットで日本語の字を読み、音声を聞くのを習慣とした。「宣教師訓練センターで学び始めた日本語が13年後の今、仕事をする上で大いに役立っています」と積み重ねてきた日々を話した。
この上映会のことはメディアでも報じられた。4月23日、上映会当日は生憎の雨模様、悪天候にもかかわらず、100名を超す人が教会に集まった、その中には新聞を手に持った女性が5名いた。「私は教会員ではありませんが、音楽を聞きたいと思いました。とても良かったです」「昨日この記事を見て『行きたい』と思いました。絵と詩と音楽が一緒になった作品はどんなものなんだろう、ととても興味をそそられました」「教会の場所が分からなかったので間に合うか、と気がかりでした」「今日、ここに来てよかったです。素晴らしい音楽でした」と口々に話した。
キャノン兄弟は最後に,交響曲の合唱に用いられた詩について語る。「心に触れる詩を見つけるのに3か月かかりました。」
「仕事でミャンマーの避難民キャンプを訪れた時、楽しそうに遊ぶ子供たちを見ました。彼らは恵まれているとは言えない環境で育ち、これから先もオスカールさんが描いている、空から見たアメリカの綺麗な畑を見ることはないでしょう。恵まれた国にいる私達はケーキなど砂糖を使ったものを食べる時には、さとうきび畑で汗を流して働いている人を思い起こしてほしいのです。災害や戦争で苦しんでいる人々のことを忘れないでほしいのです。長くて、重い音楽ですが、短い人生を人々がお互いを尊敬して、幸せになってほしいと願って作りました。」このように,第6楽章「Earthscape(地球の景観)」の詩「Beyond the Sugarcane(サトウキビ畑の向こうで)」に寄せて話し,上映会を締めくくった。
キャノン兄弟はバイオリニスト、ピアニストでもある。開会と閉会の賛美歌は,ともにキャノン兄弟が編曲した賛美歌のインストゥルメンタル(器楽演奏)で行われた。閉会の「悩める旅人」は,静かに始まり、嵐のような激しさを経て、鎮まる。癒しをもたらすバイオリンの音色だった。ホームコンサートのような雰囲気を醸し出しつつ、和やかな中にも余韻の残る上映会となった。
チャド・キャノン兄弟紹介の追記:
キャノン兄弟は,広島の被爆者である森 重昭氏の足跡を描いたドキュメンタリー映画「Paper Lanterns~灯籠流し」の映画音楽を手がけた。森氏は、自らも傷ついた広島原爆により死亡した12名のアメリカ兵の名前を40年以上に渡って調べ上げ、遺族に知らせる活動をした。オバマ大統領が2016年に広島を訪れたとき,森氏を抱きしめて感謝を表したことは広く世界に報道された。この音楽は2016年アメリカ批評家協会ベストオリジナルスコア賞にノミネートされた。
またハーバード大学での同窓生であるバイオリニスト五嶋龍氏の姉で、世界的バイオリニストの五嶋みどりさんが,国連のICEP(International community Engagement Program)の活動の一環として行っているミュージック・シェアリングのチャリティ・プロジェクトにも加わった。共にバングラデシュ、ミャンマー、ネパールに赴き、小中学校、避難民キャンプ、病院等で子供たちに音楽を届ける活動に携わった。この経験が,「The Dreams of a Sleeping World」第6楽章の作曲にインスピレーションを与えている。
様々な活動と並行して、「アジア・アメリカ現代音楽協会─AANMI」を設立し、自ら主宰者として若い作曲家をまとめ、アジア各国、日本、アメリカで演奏活動を行っている。音楽を通じた文化交流で相互理解を深めるのが目的だという。「日本が私を呼んでいる」と話すキャノン兄弟の来日は25回に上っている。