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2019年9月16日,新札幌駅から数分の末日聖徒イエス・キリスト教会札幌ステークセンター(厚別ワード)において,家族歴史フェアが開催された。ステークの会員や地元住民が集まったほか,仏教指導者も招待された。出席者は展示を眺めたり,体験型の学習活動に参加したり,家族歴史の成功談を分かち合ったりした。
フェアへの出席に先立ち,ステークの指導者と札幌立正佼成会の指導者が会合を開き,世界規模や地元の懸念事項について,お弁当を囲みながら話し合った。
「最も懸念しているのは,わたしたち皆が求めるべき内なる平安についてです。」と札幌立正佼成会の伊藤浩子総務部長が語り出す。「もしわたしたちが自分自身の内に平安を見いだすことができれば,対話に向けて動くことができます。核軍備の縮小といった,皆にとって重要な事柄に向けて動こうとするならば,内なる平安は不可欠です。」
渉外副部長および事務局長を務める久山祐史氏は,若者に手を差し伸べることが最大の懸案事項だと感じている。「若者が宗教に対し興味を持つようにする方法を見いだすという大きな試練に直面しています。若者を巻き込む努力はしています。しかし,彼らは学校,クラブ活動,電子機器に時間を取られ,信仰のために割く時間はわずかしかないのではないかと心配しています。」
「家族の関係は,わたしたちにとって非常に重要です」と話すのは札幌で渉外部長を務める斉藤剛史氏である。「我々は先祖を尊び,子供たちが同様の敬意を抱くことができるよう努めています。」
伊藤氏も同意し,このように付け加えた。「わたしたちの家庭には,神棚と仏壇の両方があります。わたしたちは自分たちを『神 仏教 』と呼んでいます。三世代,四世代前まで遡るご先祖様の写真がそこに飾られています。祈るときに子供たちは先祖を知るようになるのです。」
熊谷雅史会長は,社会問題が解決され,地元の必要が満たされるうえで役立つような,教会と立正佼成会が協力して行うことのできる奉仕プロジェクトについて尋ねた。全員が驚いたことに,立正佼成会も札幌ステークも去る5月に奉仕イベントを開催していた。双方の指導者は,翌年に合同プロジェクトを行う可能性について話し合った。
ランチミーティングの後,立正佼成会の指導者の方々は,教会堂で行われていた家族歴史フェアの参加者約150名に合流した。札幌神殿メイトロンの菊地妃朗子姉妹が自身の家族歴史探究の歩みについて語るのを熱心に聞いていた。父方の系図を調べていた際,菊地姉妹は記録を保管していた福井県の市役所が昭和23年の大地震の際の大火事で記録を焼失したことを知る。しかし彼女の探究の手は留まるところを知らず,姉妹はお寺へ行って墓石に彫られた名前や亡くなった日付を記録した。
「お墓のはずれの方に,墓地の隅に古くなった墓石が積み重ねてあるのに気づきました。調べに行きました。」と菊地姉妹は言う。「そこにたくさんの名前が彫られているのを見つけました。するとお寺の住職がやってきて,何をやっているのかと尋ねました。自分の『ルーツ』を探していると答えました。彼は笑って,後についてくるようと言いました。間もなくして,住職が過去帳を持ってやって来ました。それを撮影させてもらっていると,今度は住職が家族ごと時代ごとにワープロでまとめたものを見せてくれました。それは,骨の折れるような作業の結晶でした。これを持って行きなさいと言ってそのコピーを渡してくれました。わたしたちにとっては確かに祝福となりました。その資料にわたしの父の先祖を見つけたのです。」
立正佼成会の指導者の方々は,末日聖徒イエス・キリスト教会の地域神殿・家族歴史相談員(北海道地区担当)である尾崎文之兄弟のプレゼンテーションに感銘を受けていた。尾崎兄弟は,無料の「ファミリーツリー」携帯アプリを使って,写真やストーリー,家族の記録をアップロードする方法を紹介した。尾崎兄弟は,青少年のためのアプリの魅力を強調した。「これは,青少年が先祖について学ぶのを助けるリンクです。」と続ける。「青少年はこれらのプログラムの使い方を知っています。楽しんでやっています。その過程において,彼らは信仰を築きます。」
しかしながら,立正佼成会の指導者の方々に特に感銘を与えた話者は13歳の西原向 志 兄弟だった。四世の教会員である西原兄弟は,家族歴史活動をどのように始めたかについて語った。
「僕はまず,祖父母の写真とストーリーをファミリーツリーの『思い出』アプリに僕と兄弟の写真を入力し、親や祖父母にインタビューすることから始めました。」そしてこのように述べた。「いつもは祖父母から電話がかかってきても,軽く挨拶するだけでした。しかし,彼らのストーリーを入力するためには,彼らについてもっとよく知る必要がありました。なので,僕は祖父に,どうやって祖母と出会ったのか尋ねました。その後,祖母がどうやって祖父と出会ったか教えてくれました。話した後,二人から多くを学べることが分かりました。」
向志の曾祖父母にあたる西原良男とキクノは広島に住んでいた。第二次世界大戦中,良男が国のために戦地に赴いている間に,キクノは広島に投下された原子爆弾によって負傷した。キクノは生き残り,その後,教会について学び,バプテスマを受けた。その1年後,良男も福音を学び,バプテスマを受けた。彼らは初期の日本人聖徒における先駆者であり,夫婦宣教師として奉仕した最初の夫婦である。二人は伝道地や神殿において11年間も奉仕した。
多くの青少年やヤングシングルアダルトが参加した今回の家族歴史フェア。彼らの多くが,信仰を得るうえで両親の教えがいかに助けとなったかコメントを残している。ある姉妹は高校のとき,R指定の映画を見せようとしていた教師に抗議した。「心配するな。両親には決して言わないから。」と教師は告げた。彼女はこの教師の言葉について深く考え,これは自分のすべきことではないと感じ,成績が悪くなる恐れも顧みず,立ち上がって教室を出て行ったという。
ある姉妹宣教師は自身についてこう語る。「わたしは小さいときからいつも教会へ行っていました。ですが,10代になって休憩を取りました。もう御霊を感じることができないと思ったからです。教会が真実だと知っていたので,もう一度教会へ行き始め,熱心に祈りました。すると御霊を再び感じ始めたのです。そして今のわたしがあります。母国で主に仕える自分です。」
あるヤングシングルアダルトは,現在札幌伝道部で宣教師として奉仕し,才能ある陸上選手である。伝道に出る決断をする過程で感じた気持ちをこのように表現している。「自分が伝道に行くことはいつも分かっていました。大会に出るために,たくさん移動します。そこで,福音を分かち合う機会があり,教会が自分の人生の大きな部分を占めていることに気づいたんです。伝道の申請書を提出したとき,衝撃を受けました。走ることや競争することを中断しなければなりません。しかし,主を第一とし,主を信頼するならば,すべてうまくいくと知っていました。たとえ走れなくなってもです。ここへ来ることを選んだことに喜びを感じています。」
祖父母にインタビューしたときにどのように感じたのか尋ねられた西原向志兄弟はこのように答えている。「二人のことをよく知らなかったのでもっと知りたいと思いました。話を聞くうち,主の御手が二人の結婚の上にあったことが理解できました。わたしたちの共通点についてもっと学びたいです。」
これらの青少年やヤングシングルアダルトの経験は,だれもが自分自身の改宗の瞬間に直面することを思い起こさせる。札幌ステーク家族歴史フェアは,教会の指導者や立正佼成会の指導者にとって,次のことを確認する機会となった。すなわち,青少年が参加し御霊を感じる機会を提供するならば,彼らが人生を変えるような決断をするうえでの基となるということである。家族歴史活動は,それを達成しつつも先祖に仕えることのできるすばらしい手段である。