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大祝福師エルドレッド・G・スミス長老,106歳にて死去

1947年から1979年まで大祝福師を務めたエルドレッド・G・スミス長老は,4月4日(木)夕刻,自宅で息を引き取った。106歳であった。

ユタ州で最高齢の人物だったスミス長老は,これまでの中央幹部のだれよりも長寿であった。

末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会はエルドレッド・G・スミス長老の死去に伴い,以下の声明を発表した。「大祝福師エルドレッド・G・スミス長老の死去により,教会は大切な友,尊敬する指導者を失いました。彼はキリストを中心として生活し,教会の大祝福師として忠実に奉仕しました。この悲しみの時にあって,ご家族のうえに主の祝福がありますようお祈り申し上げます。」

トーマス・S・モンソン大管長は,2013年1月9日,長老の誕生日にスミス長老を訪問した。「エルドレッド・スミスはわたしの大切な友人です」とモンソン大管長は語った。「ともにたくさんの距離を旅しました。わたしは彼を愛し,尊敬しています。」

スミス長老は教会最後の大祝福師であった。この職は1833年に預言者ジョセフ・スミスの父であるジョセフ・スミス・シニアが召されたのが始まりであった。エルドレッド・スミス長老は預言者の兄ハイラムの玄孫である。スミス長老の父であるハイラム・ギブズ・スミスは1912年から,亡くなる1932年まで,教会の大祝福師であった。エルドレッド・G・スミスは1947年4月10日にジョージ・アルバート・スミス大管長により教会の大祝福師に聖任された。

中央幹部として,スミス長老は十二使徒の一員とともにステーク大会を訪問し,総大会ではしばしば話者を務めた。

ハイラム・スミスの子孫として,スミス長老は幾つかの遺品を受け継いでおり,それらを様々な機会に披露した。

1月のスミス長老の誕生日の訪問の際に,モンソン大管長は,当時使徒として管理していた南太平洋を訪問するに当たり,デビッド・O・マッケイ大管長に大祝福師を同行させる許可を願った1966年当時のことについて語った。祝福師がいなかったその地域の会員たちが,スミス長老から祝福師の祝福を受けられるようにしたかったのである。モンソン大管長が次々に訪問をこなす間,スミス長老はとどまってオーストラリアや南太平洋の他の地域の多くの会員たちに祝福師の祝福を授けた。スミス長老はヨーロッパを含む多くの国々にも訪れて祝福師の祝福を授けた。

スミス長老は1932年にジーン・オードリー・ネスと結婚し,5人の子供をもうけた。1977年6月にジーンが亡くなった後,彼はホーテンス・チャイルドと再婚した。ホーテンスは当時,中央若い女性会長会で顧問をしていた。彼女は2012年5月に死去した。

末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会はエルドレッド・G・スミス長老の死去に際し,以下の声明を発表した。「大祝福師エルドレッド・G・スミス長老の死去により,教会は大切な友,尊敬する指導者を失いました。彼はキリストを中心として生活し,教会の大祝福師として忠実に奉仕しました。この悲しみの時にあって,ご家族のうえに主の祝福がありますようお祈り申し上げます。」

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