ニュースリリース

青柳弘一長老が歩まれた道

名誉中央幹部七十人,76歳で逝去 

記事:レイチェル・スターザー・ギブソン, Church News© 

2009年から2015年まで中央幹部七十人として奉仕した青柳弘一長老が,信仰を忠実に守った生涯を終え,7月5日(月),千葉県にて逝去、享年76歳であった。 

青柳弘一長老は1945年3月24日に,ヤガサキミツオ,青柳スエノ夫妻のもとに生まれた。青柳長老は17歳の高校生のとき,宣教師からの無料英会話の招待を受けて,イエス・キリストの回復された福音を知った。 

青柳長老は自分自身が特に霊的な人間であるとは思っていなかったが,若いアメリカ人宣教師に感銘を受けた。「わたしはこれまでに,そんなに積極的で,元気があり,楽観的な人に会ったことがありませんでした。ですから自分も彼らのようになりたいと思いました」と青柳長老は七十人に召された後のインタビューで思い出を語った

両親の許可を得て,青柳長老は1962年にバプテスマを受けた。その後ほどなくして,2年間教会の建築宣教師として奉仕した。3つの仕事を行ってお金を貯めた後,青柳長老は北部極東伝道部の専任宣教師として奉仕した。 

「わたしの伝道はすばらしい経験でした」と青柳長老はチャーチニュースとのインタビューで語った。「わたしはとても多くのすばらしい経験をしました。わたしはすべてのことは主の助けによって成し遂げることができることを学びました。わたしは,主とともにいるならば,できないことは何もないという強い信念を得て帰還しました。」 

伝道を終えてから,青柳長老は最初に集っていた松本支部の若い女性であった百瀬城子姉妹と再び出会った。未来の青柳姉妹は,この熱心な帰還宣教師に感銘を受けた。青柳長老は正直,誠実,献身的な人であった。青柳長老からの結婚の申し出を受け入れるのは難しい決断ではなかったと青柳姉妹はチャーチニュースのインタビューで語った。 

二人は1970年に結婚し,その年にソルトレーク神殿で結び固めを受けた。二人には4人の子供がおり,何人もの孫がいる。 

青柳長老と姉妹は様々な責任で奉仕しながら証と才能を分かち合い,日本における教会の成長を目にしてきた。何年にもわたり,青柳長老は支部会長,ステーク会長,伝道部会長,ビショップ,結び固め執行者,および地域七十人の責任を果たしてきた。 

日本不動産専門学校で資格を取得した後,青柳長老は東京のアジア北地域管理本部で不動産部門および建築部門のマネージャーとして働いた。また,青柳長老は日本において二つの会社で営業主任およびセールスマネージャーとして働いた。 

2015年10月の総大会の説教で,青柳長老はおよそ20,000人の生命を奪い,多くの町を破壊したマグニチュード9.0の大地震が日本を襲った際,品川駅の手すりにしがみついたときのことを話した。 

「この地上での試練は,病や,死を含め,救いの計画の一部であり,だれしもが,避けて通れない経験です」と青柳長老は述べた。 

主がジョセフ・スミスに命じられたように(教義と聖約122:9)「試練の中にあって鍵となるのは,『あなたの道』にとどまるという選択です」と青柳長老は述べた。 

青柳長老は一人一人に「あなたの道にとどまり」どのような試練のときも,神を第一にするように勧めた。「どのような試練のときも,神を第一とし,神を愛し,キリストへの信仰を持ち,自分自身を神に委ねましょう。…わたしは,父なる神と御子イエス・キリストが生きておられ,試練の中にあっても, 「彼らの道」に踏みとどまり,神を愛する者に対して,神の約束が果たされることを…心から証します。」 

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