日本の聖徒らは、アジアにおける末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の神殿の歴史を深く考えている。
1980年に最初に建設された日本東京神殿は、2017年9月に始まった大規模改修工事を経て、7月に儀式執行が再開する。神殿は2022年7月3日、大管長会のヘンリー・B・アイリング管長によって再奉献される。
1980年以来、多数の末日聖徒が日本東京神殿で礼拝を行ってきた。
神殿の再奉献に備える前田伸子姉妹
前田伸子姉妹は、神殿の再開に備えるために毎週オルガンの練習をしている。
彼女は1971年に末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師と出会った。当時、彼女は若い女性で、宣教師の英会話クラスに出席していたところ、すぐにイエス・キリストの福音のメッセージに興味を持つようになった。
数年後、前田姉妹は教会員として東京にある日本武道館で開催された特別大会に出席した。当時、賛美歌の1曲をオルガンで弾くようにとのアサインメントを受けており、教会の預言者スペンサー・W・キンボール大管長がアジア初の主の宮として東京に神殿が建設されると発表するのを熱心に聞いていた。
出席していた12,300人の末日聖徒は嬉しさのあまり、通訳がキンボール大管長の話を訳し終わる前に突然拍手を始め、感極まって涙する者もいた。
当時、前田姉妹は神殿礼拝を自分の生活の中心にしようと決意し、神殿建設地の近くに引っ越した。1980年に神殿が完成した後、彼女は神殿結婚した。
田姉妹は定期的な神殿参入を続け、大規模改修工事のために神殿が閉鎖される2017年9月まで神殿のオルガニストとして奉仕した。
「いつも神殿の中で祈るときに、礼拝堂でオルガンを弾いているときにも答えを得ることがあります。神殿は本当に特別な、神様がおられる場所だと感じます」と前田姉妹は話す。
して、神殿が再開したら、再び奉仕する計画を立てているという。
初期の末日聖徒らを思い出す横山喜一兄弟
「日本、そしてアジアで初めての神殿が建設されるとの発表でした。泣きながら拍手しました」と語るのは1964年にバプテスマを受けて教会員になった横山喜一兄弟である。横山兄弟は、東京神殿建設の発表があった大会、そして1980年の奉献式にも出席していた。
横山兄弟は、1965年に当時は日本から一番近かったハワイ州ライエ神殿に行くために長距離を旅した教会員をはじめとする初期の日本人教会員のレガシーを思い、東京神殿の次の時代への準備を始めている。
最初の宣教師が来日したのは1901年のことであった。政治的な緊張や第二次世界大戦により、1924年~1948年は日本伝道部が閉鎖されていたものの、日本の教会員は継続して信仰を育み、福音を分かち合い、教会を作ってきた。終戦時に教会の代表者らが日本に戻ってきたとき、バプテスマを受けていた人はほとんどいなかったものの、日本には少数の信仰深い日本人改宗者がおり、定期的な集会を開いていた。
1965年までに日本には8,892人の末日聖徒がいたが、そのうち神殿に行ったことのある者は少数であった。しかし、教会の支援を得て日本からハワイ神殿への団体参入に約165人の一団が参加した。教会員は自分たちで歌った音楽を収録したレコードを売り資金集めを行った。家具を売った家族もいれば、その他の貴重な所有物を売りに出した者もいた。
1970年、横山兄弟は日本人教会員らのグループとともにソルトレーク・シティーの神殿に参入し、それについて「非常に特別な経験でした。一生忘れることはできません」と話す。
横山兄弟は、日本東京神殿が奉献されるまでの期間に海外の神殿に団体参入したことが、教会員にとっては準備の期間になったという。「東京神殿が発表されるまでの14年間、わたしたちは訓練を受けていたような気がします。キンボール大管長の東京神殿の発表は、14年間の訓練を受けたわたしたちすべてにとって特別なものでした」と横山兄弟は語る。
東京神殿完成後、日本の末日聖徒らはそれまでとは逆に、韓国や中国など近隣地域からの教会員訪問者を迎える立場になった。
コナン・P・グレームス兄弟の神殿建設プロジェクトとの関わり
コナン・P・グレームス兄弟は1966年に日本で専任宣教師として奉仕し、1976年には米国の法律事務所が派遣した若い弁護士として東京で勤務していた。
1977年、教会指導者らはグレームス兄弟に神殿建築プロジェクトの法律関連業務について支援を依頼した。
彼は「わたしは56年にわたりこの神殿用地と関わってきましたので、当初からこの土地に愛着を持っています。1966年にわたしが見た伝道本部が、こんなに美しい神殿に変わったとは驚きです。本当に感動的です」と話す。
グレームス兄弟は、神殿建設プロジェクトが法律的なさまざまな困難に直面したが、それらを乗り越えながら自分の信仰が強められたという。大きなストレスを感じていたときに、慰めの言葉が自分に語られるのを聞いたという。
「『コナン、これはあなたの神殿ではなく、わたしの神殿です。これはわたしの家ですから、建設はうまく行きます』という声を聞き、建設がうまく行くことが分かりました。わたしのせいで神殿が建設できなくなることはなく、主の宮なので必ず建設できるということがわかりました」とグレームス兄弟は話した。
グレームス兄弟は、1948年の春に購入され伝道本部として機能していた神殿用地の歴史にも感動があるという。この土地は、かつては皇族の所有地であったことで有名な有栖川宮記念公園から道路を隔てたところにある。
土地購入の翌年には、十二使徒定員会のマシュー・カウリー長老によって伝道本部が奉献された。奉献の祈りの中でカウリー長老は、「日本に多くの集会所と複数の神殿が建つ」という預言者の祝福を残した。16年後、キンボール大管長はカウリー長老の言葉を参照しながら、長老の祝福が与えられたまさにその場に神殿が建設されることを発表した。
1980年に神殿が完成するまでに、教会は会員数が46,000人を超えるまでに成長していた。
今日、主の宮は日本に3つあり(東京、福岡、札幌)、4番目の神殿は沖縄にて建設中である。日本の神殿は13万人以上の教会員が参入する神聖な建物である。日本国内には、251のユニットが集まる礼拝堂がある。
今日の日本の聖徒らは地元のコミュニティや国内において、重要な役割を果たしている。例えば、2011年には東日本大震災による津波が発生し甚大な被害を及ぼしたが、地元の聖徒らは支援物資の配送や被災した近隣住民への支援活動のために、長時間に及ぶ奉仕を行った。
神殿の再奉献とは何か?
教会員にとって神殿は神聖な場所である。神殿は神の宮と考えられ、この世の事柄を離れて、神聖さと平安
を感じることのできる場所である。教会員は神殿で神と正式な約束を交わし、神への献身を決意する。また、この神聖な建物の中で、永遠に続く夫婦の結婚や、家族を永遠に結び固めるための最も崇高な信仰の儀式が執行される。
末日聖徒イエス・キリスト教会が新しい神殿を建てるとき、建築が完成すると奉献式と呼ばれる儀式が行なわれる。この儀式の目的は、神殿を神の御業のために使用する特別な建物として聖別することにある。この儀式では、神殿が教会のために使用されるように指定し、神殿とその周辺の土地に対する祝福を神に願う。
殿が奉献される前にはオープンハウスを行うことが多く、そこには一般の人々が招待される。神殿が正式に奉献された後は、神殿に参入できるのは信仰深い教会員のみとなる。
神殿に改修工事が行われた場合も、工事後には同じように再奉献の儀式が行われる。
神殿のオープンハウスについての詳細は以下を参照(英語)。
https://www.churchofjesuschrist.org/temples/open-houses?lang=eng
https://www.churchofjesuschrist.org/temples/why-latter-day-saints-build-temples?lang=jpn