兄弟姉妹の皆様,この一年,アジア北地域で皆様とともに奉仕する機会があったことに心から感謝いたします。
毎年,新年を迎える時は,これまでのことを振り返り,これからのことを考える時にすることができます。愛の深い天の御父が与えてくださったすべての祝福をきちんと振り返り,それと同時にこれから頂く祝福と機会を待ち望もうではありませんか。
この一年,わたしたちの地域は非常に多くの祝福を受けました。コロナウイルスの不安も和らぎ始めて対面で集まることができるようになったことを喜び,定期的に集まって互いに強め合うことができるのはやはり祝福だということを,体験から再確認しました。モロナイ第6章5-6節でモロナイが次の言葉を述べた訳が,前よりもよく分かるようになりました。「教会員は断食し,祈るため,また人の幸いについて互いに語り合うためにしばしば集まった。」
祝福されて,グアム・ジーゴ神殿が5月に完成し,続いて東京神殿が7月に再奉献されました。非常に多くの祈りがこたえられて,韓国の釜山に神殿が建つことが10月の総大会で発表され,わたしたちは喜びました。日本沖縄神殿の建築も進んでおり,来年には奉献できるのではないかと心待ちにしています。
2022年には,FSYの8セッションとYSAカンファレンス5セッションを開催するという祝福がありました。どのセッションも,喜びに満ちた青少年とヤングアダルトの神聖な集まりになりました。すべての参加者と,このイベントの成功のために多大な努力を払ってくださったすべての方々に深く感謝いたします。
わたしたちの心は,これから始まる年に向かっています。毎年新しい年が始まると,新たに何かを始めることが楽しみになります。
「新たな始まり」は,現世での経験に不可欠な部分です。
新たな始まりという永遠の福音の原則があります。それは,わたしたちが知っている悔い改めという原則です。これは美しく,やりがいがあり,人生を変える過程であり,慈しみと愛にあふれる天の御父が与えてくださった原則です。イエス・キリストの福音が回復されたおかげで,過ちから学ぶことが計画の中に元々含まれていたことを,わたしたちは知っています。そのため,悔い改めは学ぶプロセスであり,喜びのプロセスとなりました。
悔い改めは神聖な賜物です。言い尽くせない祝福を伴う賜物です。想像できないほど輝かし
い賜物です。三日坊主で終わってしまいがちなだれかの新年の抱負とは違って,永続する変化です。それは変革の原則であって,わたしたちを生まれながらの人間から,天の両親のような者に変えてくれます。ギリシャ語で「悔い改め」とは,「心の変化,神と自分と世界に対する新しい見方」を意味します。
キリストの初期の教導の業を調べると,この原則の大切さが分かってきます。マタイ伝にはこうあります。「さて,イエスはヨハネが捕えられたと聞いて,ガリラヤへ退かれた。そしてナザレを去り,カペナウムに行って住われた。この時からイエスは教えを宣べはじめて言われた,『悔い改めよ、天国は近づいた。』」このとおり,「悔い改めよ」という言葉は,救い主が公に教えを宣べ伝えられるようになったときに初めて発せられた言葉として記録されています。
悔い改めという賜物の意味を真に理解するならば,「悔い改め」という言葉を聞いたときの気持ちからして,劇的に変わります。ストレスや負の感情から,深い喜びと感謝の気持ちに変わるのです。
ネルソン大管長はこう言っています。
「悔い改めを罰と捉え,非常に深刻な状況でないかぎり避けるべきだと考える人があまりに多すぎます。しかし,この罰せられるという思いは,サタンから来るものです。サタンは,わたしたちがイエス・キリストに頼るのを妨げようとします。しかし主は両腕を広げて立ち,喜んでわたしたちを癒し,赦し,汚れを取り,強め,清め,聖くしたいと望んでおられます。ですからイエスは皆さんやわたしに『悔い改めよ』とお求めになるとき,思いと知識と霊と,さらに息の仕方までも変えなさいと勧めておられるのです。愛し方,考え方,奉仕の仕方,時間の過ごし方,妻との接し方,子供の教え方,そして自分の体の管理の仕方さえも変えるように求めておられます。」
「息の仕方までも」変えなさいと主が預言者を通して言っておられるのは,興味深いことです。平均的な人は,一日に1万7,000回から3万回呼吸します。こんな偉業を,一生涯の間,毎日,意識すらせずに行っているのです。これは,人が自然に行っていることの一つです。
日々悔い改めて,弟子としてキリストに従うならば,キリストはわたしたちのまさに本質を変えてくださいます。わたしたちの毎日の時々刻々の過ごし方を,何ら意識的な努力をすることなく変えることがおできになります。救い主にひたすら目を向けるならば,救い主は,わたしたちの問題への対処の仕方や成功する方法までをも,別段努力することなく自然に変えられるように助けることがおできになるのです。
日々悔い改めて,意識的に福音に従うならば,わたしたちの生活は,あらゆる面で完璧になるわけではないにしても,ネルソン大管長が約束しているように,あらゆる面で良くなります。悔い改めの原則と「新しい始まり」の原則が確かなものであることを,わたしたちは証します。それが,贖い主であり,生ける神の御子であられるイエス・キリストの犠牲のおかげで可能になったことを証します。
イエス・キリストのおかげで,わたしたちには信仰をもって待ち望めることが,こんなにもたくさんあるのです。日々悔い改めてキリストに頼り,あらゆる祝福の源であられるキリストを認める者のために用意されている喜びを味わうようにと,すべての皆様をお招きします。
イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。
*アジア北地域会長会