
2025年7月3日朝、新燃岳の噴火により欠航が相次ぐなか、1機の飛行機が無事鹿児島空港に到着しました。搭乗していたのは、アメリカ・ユタ州出身のサバンナ・サチコ・リチャーズさん(20)。彼女は、400年以上前に中国・明から薩摩へ渡来した汾陽理心(かわみなみ・りしん)の直系13代目の子孫です。
リチャーズさんは2024年、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師として来日しました。今年5月、鹿児島市にあるファミリーサーチセンターの瀬座一義氏に「鹿児島に住んでいた先祖についてもっと知りたい」と相談したことがきっかけで、今回の訪問が実現しました。
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初来日は13歳 祖父の墓参から始まったルーツ探し
リチャーズさんが自らのルーツに関心を持つようになったのは、13歳のとき初めて日本を訪れた際、東京で祖父・汾陽貞夫さん(2014年没)の墓参をした経験がきっかけでした。その後、来日前に母親から祖父の手紙を受け取り、家族や先祖を深く敬う祖父の姿勢に心を打たれたと、リチャーズさんは語っています。
汾陽理心(本名:郭國安)は16世紀後半、明から薩摩に渡来し、島津家16代当主・島津義久に仕えた人物です。帰化に際し、故郷・汾陽にちなんで「汾陽」の姓を名乗り、「かわみなみ」と読まれるようになりました。理心は、中国・唐代の名将・郭子儀を遠祖に持ち、日本では彼を初代とする家系が今も受け継がれています。
リチャーズ姉妹はこの家系の13代目にあたり、系譜は次のように続いています。
理心→光程→光東→盛常→盛明→光亨→光明→盛徳→光宏→四郎→貞夫→リサ→サバンナ(リチャーズさん)
郷土の偉人・汾陽盛常の功績をたどる
今回の旅でリチャーズさんは、霧島市を訪れ、理心のひ孫にあたる汾陽盛常(もりつね)の足跡もたどりました。盛常は江戸中期に薩摩藩の郡奉行として活躍し、霧島市隼人町にある「宮内原用水路」の開削を進言・実現した人物です。延長12km、5年の歳月をかけて完成したこの水路は、約436ヘクタールの水田を潤し、国分平野最大の灌漑施設として地域の発展に貢献しました。
郷土史研究家の有川和秀氏による案内のもと、リチャーズさんは現地を訪れ、盛常の功績について詳しい説明を受けました。有川さんは「アメリカから、盛常さんの良い香りを運んできてくれてありがとう」と言葉を贈りました。
また案内役の一人、宮内原土地改良区の迫良友氏は、2009年にリチャーズさんの祖父・貞夫さんが来鹿した際にも案内をされました。当時、貞夫さんは「汾陽盛常翁頌徳碑」の案内板を見て、「先祖は亡命したのではなく、必要とされて日本に来たのだ」と語っていたといいます。迫さんは、「私たちは用水路をただ残すだけでなく、これからも活用し必要とされ続ける用水路としていく。あなたも誇りに思ってほしい。」と、リチャーズさんに呼びかけました。
興国寺墓地で先祖に手を合わせる 心に刻んだ“つながり”
午後には鹿児島市の興国寺墓地を訪れ、汾陽理心の墓前に手を合わせました。400年の時を超え、13代目の子孫が始祖のもとを訪れる感動的な瞬間となりました。
現地では、鹿児島県議会議員で郷土史に詳しい藤崎剛氏から、汾陽家にまつわる解説が行われました。また、テレビ局や新聞社の記者が取材に訪れ、祈りを捧げるリチャーズさんの姿や、墓石ひとつひとつを丁寧に確認する様子を記録しました。
記者の質問に対し、リチャーズさんは次のように語りました。
「日本の祖先の墓に来ることができて、本当に幸運でした。最初は、母と一緒に系図を見ても漢字も読めず、縁遠く感じてガッカリしました。でも、瀬座さんのおかげで、自分の足で先祖の墓を訪ねることができました。家族はかけがえのない存在であり、とても大切だと思っています。その歴史は自分の決断で紡いでいくものだと感じています。今回、先祖の人柄や功績を知り、家族の歴史に加えられたことで、自分もそのようになりたいと思い、心から誇りに思いました。」
歴史を今につなぐ旅 地域からも温かい声
最後に、リチャーズさんは郡元墓地に足を運び、汾陽家の長男家・次男家・三男家の墓を参拝しました。その後ファミリーサーチセンターを訪れ、志學館大学教授・原口泉氏より、汾陽家代々の子孫たちが薩摩で果たしてきた役割や功績について貴重な話を聞きました。
チャーズさんの来鹿は、地域の歴史を大切にする人々にとっても感慨深い出来事となりました。地元の人々の温かい支援と歓迎を受け、彼女は「自分のルーツに触れることができた喜びと感謝の思いを胸に」鹿児島を後にしました。