クリストファー・H・キム長老は,証が強くなるときにはまず,御霊から慰めに満ちた気持ちを受けていると言う。10代のときや宣教師のときなど,以下のようなときに証が強くなったと振り返った。
- 友達に福音を伝えていたときに祈りの答えを受けたとき
- 母国語の韓国語ではなく,英語で求道者に福音を伝える能力に不安を感じていたとき
そして今,教会の新しい中央幹部七十人の一人として,2024年4月の総大会で支持されたキム長老は,新しい召しに足を踏み入れる際にもまた,神が与えてくださる慰めに頼っている。今年の初めに大管長会から召された際に,キム長老はこう言っている。「わたしはこれまでないほど熱意を込めて,心から祈るようになりました。」
クリストファー・ヒュンス・キム長老は,1965年11月18日,韓国の大邱で,キム・チンホ,キム・ハン・クンチャ夫妻の4人の息子の長男として生まれた。
キム長老が幼いころに両親が教会に入り,キム長老はその後8歳でバプテスマを受け,教会に集いながら成長した。クリストファー・H・キム長老は14歳のときに友人たちに福音を分かち合う機会があり,自信をもって話すためには証が必要だと感じた。
「3人の友達に福音を分かち合う機会がありました。その中で,……教会と福音について話しました。そしてそのときにつくづく感じたのは,友達に自信を持って伝えるためには『モルモン書が確かに神の言葉であってジョセフ・スミスが神の預言者であり,この教会がほんとうの教会だということをはっきりと知る必要がある』ということでした。」
キム長老は聖文を個人で読み,家族とも一緒に読んだ。「読んだ聖文について祈ると,心が慰められるのを感じました。そして突然,モルモン書に対する疑問や疑いがまったくなくなったのです。……そして,思うにこれは,わたしが人生で初めてほんとうに御霊を感じ,モルモン書のことが分かり,ジョセフ・スミスが神の預言者であることを知った時だったのです。」
キム長老はその3人を宣教師に紹介し,3人とも教会に加わった。
キム長老は高校を卒業するまで大邱に住んだ後,家族とともにアメリカ合衆国に移住して,カリフォルニア州ロサンゼルス北部のサンフェルナンドバレーで生活した。
キム長老はいちばん上の子供だったため「両親ときょうだいたちがアメリカになじめるように助ける」責任があると感じ,「5年ほどの間,家族を助け,一緒に努力しました。」キム家は,近所に小さな店を持っていた。
そのころキム長老は伝道に出ることを考え,ワシントン州シアトル伝道部に召された。「大変驚きました。家族は韓国語支部に所属していたので,たいていのヤングシングルアダルトは,伝道に出るとなると故国韓国に召されるか,合衆国内の韓国語の伝道部に召されていたからです。」
つたない英語が伝道活動の妨げになるのではないかと心配だった。「当時アメリカにはすでに5年住んでいましたが,わたしの英語はまだまだ上手とは言えないものでした。ですので,伝道に行くのが怖くてたまりませんでした。」
キム長老は,こう祈ったと言う。「天の御父様,そこが御父様がわたしに望んでおられる場所だということは分かっています。ですが……わたしは英語で証することができませんし,わたしのつたない英語では教えを説くことができないかもしれません。」
するとまた,心が慰められるのを感じたのである。「何も心配はいらないと感じました。」
「しかし同時に,努力しなければならないこともわかりました。」伝道が終わりに近づいたころ,伝道期間が1か月延長されました。「伝道地にいたその25か月は,わたしの青春時代でいちばん幸せな期間でした。」
キム長老がワシントン州シアトル伝道部で伝道していた時期,後にキム姉妹となるホン・ソンミ(スー)姉妹は,カリフォルニア州ロサンゼルス伝道部で伝道していた。未来のキム姉妹は,ロサンゼルスのコリアタウンのショッピングモールで同僚とともに街頭伝道をしていたときに,未来の義母に出会った。
ホン姉妹の同僚とキム長老の母であるクンチャ・キム姉妹はともに大邱出身であり,互いに知り合いだったので,クンチャ・キム姉妹はこの姉妹宣教師たちに昼食を御馳走した。キム・ソンミ姉妹はこう言っている。「一緒に食べていると,彼女はシアトルで伝道している息子のことばかり話していました。」
キム長老は伝道から帰ると,キム長老と同じ大邱で育った,知り合いの宣教師に会ったと母親から言われた。そして,「彼女の同僚もすばらしい姉妹だったのよ」と母親は言ったのだ。帰還後,キム長老はサンフェルナンドバレーにある韓国語支部で伝道主任を務めていて,アメリカ合衆国に来たばかりの家族を教えていた。「そこでわたしは宣教師であったホン姉妹に,その家族を紹介しました」とキム長老は振り返る。その家族の父と母がバプテスマを受けることになると,キム長老にバプテスマを施してほしいと申し出た。そのバプテスマ会で,キム長老はホン姉妹と初めて会ったのである。
その数か月後,ホン姉妹は伝道を終えてユタ州に帰った。二人は交際するようになったが,長距離恋愛で,おもに手紙によるやりとりだった。二人は1991年12月7日にカリフォルニア州ロサンゼルス神殿で結婚した。現在一男三女の親であり,一番末は双子の女の子である。
キム長老は大学には行っていなかった。しかし,結婚後2,3か月もすると「大学を出てほしいと妻がわたしに強く勧めるようになったのです。」キム長老はブリガム・ヤング大学で,1995年に社会学の学士号,1997年に経営学の修士号を取得した。
子供は4人とも,キム長老が大学在学中に生まれている。アルバイトをしながら,学生として勉強した。「経済的には決して楽ではありませんでした。でも,振り返るといちばん幸せな時期でした」とキム姉妹は言う。
アルバイトでは,地元の病院での食事の提供や,教会の翻訳などをした。大学の最終学年ではティーチングアシスタントして大学の講義の補助も行ったのである。
卒業後はモデーアとメラルーカで働いた。転勤でアイダホ州やタイ,韓国で暮らしたこともある。2005年からは,ユタ州を拠点とする栄養製品および化粧品の供給業者であるユニシティ・インターナショナルに勤務し,最近までは韓国のソウルを拠点とするグローバルマーケットの代表を務めていた。
8月1日からキム長老は,アジア北地域会長会第二顧問を務めることになる。
キム長老は2019年から地域七十人として奉仕していた。また教会ではこれまで,ステーク会長,ステーク会長会顧問,ステーク伝道部会長,高等評議員として奉仕した。