Temple Square is always beautiful in the springtime. Gardeners work to prepare the ground for General Conference. © 2012 Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. | 1 / 2 |

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3月19日、旧石崎保育園で行われた宣教師によるコンサートの様子。集まった人々は宣教師の歌声や演奏に耳を傾けた。© 2024 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.3月19日、金沢ステーク内の宣教師、教会員、七尾市会議員、合わせて20名以上が石崎地区の和倉温泉駅前に集合する。石崎地区を拠点に被災者支援を行うNPO団体「Sien sien west」の協力により、この日、がれき撤去作業のヘルピングハンズ活動を行った。同団体はしばしば教会と連携して活動している。
朝9時半から3組に分かれて被災者宅のがれき撤去作業を始めた。安全面を考慮して厚手の手袋とプレートを入れた靴を装着し、散乱した皿やガラス、本などを仕分けしながら外に運ぶ。壊れていないものはその都度、お家の方に見せて確認する。「若い宣教師たちが来ると、住民の方の顔が明るくなります」と清水長老は語る。「彼らはきびきびと働く宣教師たちから力を感じ、元気をもらっているように見えました。」
午後3時半、その日の作業を終えた一行は、宣教師たちによるコンサートのために旧石崎保育園へと向かった。そこは2年前に閉園になり、現在は地区のボランティアの拠点となっている。事前に告知していたので、約30名の地元の人々が集まっていた。
間もなく始まったコンサートでは、宣教師のギター伴奏に合わせて3~4つのグループに分かれた宣教師たちがそれぞれに賛美歌を披露し、最後は全員で歌う。宣教師の一人は、旧石崎保育園にあったピアノでクラシック音楽を演奏する。趣向を凝らした1時間半のコンサートだった。「宣教師による賛美歌の歌声は聞いている人々の心に染み入ったようで、涙ぐんでいる方もいました。」(清水長老)

5月7日美湾荘ロビー
5月7日、名古屋地区の宣教師たちを中心に、和倉温泉のホテル「美湾荘」にて復興支援ボランティア活動を行った。© 2024 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.和倉温泉での復興支援ボランティア
5月7日、名古屋伝道部のチデスター会長夫妻と名古屋地区の宣教師25名が、福祉自立支援サービス部の手配した中型貸し切りバスに乗り込み、3月と同じく七尾市石崎地区でのボランティア活動に赴いた。名古屋伝道部のシニア宣教師、金沢ステーク支援スペシャリストを含む地元の会員たちも合流し、参加者は30名を超えた。
「Sien sien west」から紹介を受けたこの日の依頼先は和倉温泉・美湾荘(びわんそう)である。200年の歴史を持つ老舗のホテルで、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻も訪れた。女将さんがテレビに出演し、「ぜひ助けてください!」と涙ながらに訴えられたことが支援のきっかけとなった。
参加者は10時からそれぞれのグループに分かれて倉庫の片付けを行った後、客室の机、椅子、金庫等の移動をした。若い宣教師たちは軽々と運びだし、見ていた人々からは重量のある金庫や家具をこともなげに次々と移動させる宣教師への感嘆の声が上がっていたという。
この日は14時に作業を終え、再び旧石崎保育園へ向かった。前回のコンサートが好評で「また来てほしい」との要望があったためである。
保育園では、2回目のコンサートのために約20名の人々が待っていた。コンサートの司会を務めたのは、伝道部会長補佐の石川誠矢(いしかわ・せいや)長老。宮城県出身の石川長老は賛美歌のコーラスの合間に東日本大震災の時の体験を話す。13年前の震災時には10歳前後の子供だった石川長老。この度能登半島地震の被害を目の当たりにした時、子供心に感じた“怖い”という思いが一層強くよみがえってきたという。そして、今、能登は大変な状況にあるが、東日本大震災の被災地と同じように必ず復興する、と力強く述べた。
伝道部会長夫人のチデスター悦子姉妹(旧姓:宮里悦子姉妹)は、コンサートの合間に地元の人々の体、手や肩、頭などのハンドマッサージをする。彼女もまた聴衆に語りかけた。この地震で大勢の方が亡くなったが、愛する人々にまた会うことができること、先祖を含む、霊界にいる人々はわたしたちの近くにおり、いつも見守り応援していることを伝えた。
コンサートの最後の曲は東日本大震災の復興ソング「花は咲く」。全員で声を揃えて歌うその歌声が、園内に響き渡った。
「支援活動のときに宣教師たちはいつも楽しそうに作業をするので、関わった人たちはみな本当に喜んでくださいます。『元気をもらった』と笑顔になります。」若い宣教師が輝かす光を清水長老はこう表現する。精力的に働く清水長老を見守る賀寿子姉妹は、仕事が休みの日には一緒に七尾市へ赴く。「毎日のように七尾に行く兄弟の健康が保たれるように、(健康面に)いつも気をつけています。」
体力的、精神的に求められるものの多い日々の中で清水長老は、七尾の街の人々の言葉に力をもらっているという。「被災者の方の『ありがとう』という言葉は全ての苦労を忘れさせてくれます。実は七尾は清水家の先祖の土地で、引き寄せられているような感覚があります。8月に(伝道の)任期が切れますが、延長するつもりです。名刺がたくさん残っているので、それが無くなるまでは支援を続けたいです。」
2024年5月25日、御祓地区総会まちづくり協議会からの感謝状授与(関連記事はこちら)に参加した清水夫妻は、翌26日付で高山支部の奉仕宣教師に復帰した。現在は1か月以上遅れた農作業に専念しつつ、金沢ステークのボランティア活動の動向を注視しているという。農閑期となる10月以降は、七尾を拠点にして能登でのボランティア活動を再開する予定である。◆