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ニュースリリース

日本で奉仕するシニア宣教師:4月

自宅から通いながら、東京南伝道本部で奉仕する二人のシニア宣教師の長老

渡邉利男長老と植並功行長老にとって、シニア奉仕宣教師としてのボランティアへの招待は驚きとともに祈りの答えとしてやってきた。二人とも喜んで承諾した。

渡邉長老が1970年に大阪で開催された万国博覧会でモルモンパビリオンを訪問し宣教師と話したときには、50年以上経た後に、自分が末日聖徒イエス・キリスト教会のシニア宣教師として奉仕することになることは想像もできなかったであろう。リフェローカードに記入し、後に宣教師から連絡があったが、渡邉長老は多忙な大学生活を送っていたため、宣教師のメッセージを聞くことはなかった。友人は宣教師と話さないほうがよいと忠告したが、彼はモルモン書を購入した。やがて、新しくやってきた若い宣教師と出会い、その宣教師と善いつながりを持った。渡邉長老は1か月後にバプテスマを受け、それから2年半後の1977年から1979年まで、東京伝道部ならびに東京北伝道部で専任宣教師として奉仕した。

東京南伝道本部事務所での渡邉利男長老とマーク・ウィリアムズ長老。渡邉長老とウィリアムズ長老はともに1975年にバプテスマを受けた。二人とも、若い宣教師として、1977年から1979年までの間、東京伝道部ならびに東京北伝道部で奉仕した。現在、この二人の長老はともにシニア宣教師として東京南伝道部(一人は伝道本部事務所、もう一人はエリアオフィス)にて奉仕している。© 2024 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.

ロボット工学業界から引退し、4人の子供の父親であり、4人の孫を持つ渡邉長老は、これまで2年以上にわたって、吉祥寺にある伝道本部で週20時間、伝道部の財政管理の責任を果たしてきている。東京西ステーク会長の上野会長がシニア宣教師としてのボランティアを募る電子メールを発信したとき、渡邉長老は次のように応えた。「わたしは年を取っていますが、喜んで奉仕します。」渡邉長老はほかの宣教師たちと交流する機会を持てる祝福を感じてきた。伝道本部事務所ではすべて英語であることに渡邉長老は驚いたが、この奉仕の機会がいかに自分の英語力の向上につながっているかに気付いている。もう一つの祝福は、神殿のシフトコーディネーターとして、神殿の奉仕と伝道の奉仕を自分で調整できることである。

渡邉長老はシニア宣教師として奉仕することを考えている人々に向けて、次のような助言をしている:(1)「健康を維持してください。」(2)「奉仕することを選んでください。奉仕を通じて成長できます。」

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2024年1月に行われた東京西ステーク土曜夜の成人部会にて、植並長老は、東京南伝道本部事務所での伝道の奉仕を約4年前にどのように始めたかについて話をした。

2020年の夏、植並長老は早朝の散歩に出かけた。散歩をしながら、20年間家族で住んだ家から間もなく引っ越すことについて深く考えた。義母の介護のために練馬に引っ越して義母と一緒に暮らす予定であった。義母の家は吉祥寺の伝道本部から近い距離にあった。植並長老が考えていたことは次のような祈りにつながっていった。「愛する神様、わたしは伝道本部で何らかの形で役に立ちたいです。」

当時、植並長老はステーク高等評議員として奉仕していた。評議員集会に出席していた際、ステーク会長から、東京南伝道部はシニア宣教師を求めていることを聞いた。そこで、植並長老はすぐにお手伝いをしたいと申し出た。

面接の後、植並長老はシニア奉仕宣教師として召された。彼は、自分の祈りが聞かれ、答えられたことを知った。「シニア奉仕宣教師になることの喜び」というテーマの話の中で、植並長老は教義と聖約4章3節を引用した。「あなたがたは神に仕えたいと望むならば、その業に召されている。」正式に召されたのは10月であったが、植並長老が主に祈り、主から召しを受けたのは8月のあの夏の朝であった。

植並長老は幸運にも二人の伝道部会長、J・キモ・エスプリン会長と野出明広会長の下で奉仕する機会を得た。植並長老はその二人の伝道部会長と二人の伝道部会長夫人の熱心な働きに感謝している。植並長老の奉仕宣教師としての業務は次のような内容が含まれている:赴任してくる宣教師のための書類業務とオリエンテーション、宣教師アパート、携帯電話、生活費等の管理、伝道部の車両管理、すべての行事、転勤、バプテスマの記録作成。自分が奉仕をすることにより、若い専任宣教師が福音を宣べ伝えることに集中できると植並長老は理解している。

公園で話しかけ、「金版」が見たいですかと尋ねてきたのは、植並長老が現在仕えている若い宣教師と同じように若い宣教師であった。植並長老自身、「ゴールデン(金人)」であった。彼は5月に宣教師と出会ってから、6月にバプテスマを受けた。後に、1983年から1984年まで、植並長老は仙台伝道部で専任宣教師として奉仕した。

奉仕宣教師として奉仕しているときに、植並長老が目にしてきた祝福は次のような祝福である:

  • 宣教師の名札を着用することで、自分の経験について他の教会員に話す機会を得てきた。ステーク大会で話をした後、ステークの200人の会員が伝道の奉仕をすることに対する興味を示した。
  • 他の宣教師たちとの交流を楽しむことができる。
  • 伝道本部事務所はショッピングモールに近いため、人々に「見に来てください」と声をかけ易い。

その喜びはいかに大きいことか」(ロナルド・A・ラズバンド長老、2023年10月総大会)をぜひお読みください。

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.