西原里志長老と則子姉妹が初めて会ったとき、一目ぼれで恋に落ちたという訳ではなかった。しかし、彼らがそれぞれ日本東伝道部、日本札幌伝道部に召されたとき、西原長老は則子姉妹が謙虚で親切、そして寛大な人であることがわかったという。彼らの最初のデートは、西原長老が伝道から帰還した直後の地方大会に則子姉妹を招待した時のことであった。その後しばらく時間が経過してからの2回目のデートは、後の預言者、新幹線乗車中の気絶、結婚のプロポーズなどが関わるものであったが、それは2人にとって生涯忘れられない出来事が数々起こる長い結婚生活の物語の始まりとなった。
結婚後も西原夫妻はずっと、いかなる召しでも受けいれ、信仰深く奉仕を行ってきた。西原長老は伝道活動に対して特別な思いを持っている。指導者として数々の召しを果たし奉仕してきた西原長老であるが、その約3分の1は伝道に関するものであった。その中には日本岡山伝道部会長会顧問(1980~1981年)、日本大阪伝道部会長(1989~1992年)、地域七十人(2008~2013年)としての召しがあった。
西原姉妹が宣教師と初めて会ったのは、お琴のレッスンを受けていた21歳の時であった。そのわずか3週間後に彼女は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり、25歳で彼女自身も伝道に出た。西原姉妹は、補助組織の会長会、神殿家族歴史、複数の伝道のアサインメントなどの召しを通して「幕の両側でイスラエルの集合」を助けるべく、信仰を持って忍耐強く奉仕してきた。
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現在、西原長老・姉妹は日本沖縄ステークでシニア奉仕宣教師として福祉、自立支援に関する奉仕を行っている。彼らが責任を受けた奉仕の中には、地元地域のシングルマザーに対する食品寄付の支援なども含まれている。西原長老はステークシニア宣教師プログラムのスペシャリストとしても奉仕している。
沖縄神殿の儀式執行者として奉仕する西原夫妻にとって、神殿活動は大変特別なものである。宣教師が扶助協会会長、長老定員会会長、そしてミニスタリングブラザーおよびシスターと密に連携しながら働くことで、教会員が神殿活動に携わる大きな手助けとなる。宣教師らが会員を訪問する際に、神殿の祝福についての証を分かち合ったり、死者のためのバプテスマを受けるために推薦状を入手するように勧めたりできる。新会員や教会に再び集うようになった会員と共に神殿参入することは、彼らへの素晴らしい奉仕となり、また彼らの改心を強める助けとなるであろう。
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西原夫妻は、職業や教会の召しを果たす中で得たスキルや経験を持つシニア宣教師が、奉仕するワードやステークにおいて大きな祝福となっていることを目にしてきた。西原長老は通常の伝道活動以外にも、助けが必要な人に仕えるという職業から得た経験を用いて、その他の市民グループや地方自治体においてもボランティアとして自分の時間を捧げている。ファミリーサービスで勤務したことのある西原長老は、無料のカウンセリング、セミナー、ワークショップを提供し、また親などに対するリソースとなる発達障害への支援本を作成したこともある。
シニア宣教師は主に仕えるために、自分の時間と才能を捧げる。西原長老の両親は、夫婦宣教師として6度も奉仕し、模範を示した。西原夫妻が特に感謝する1つの祝福に、彼らの伝道の奉仕が次世代に影響を与えたことが挙げられる。息子の3人が専任宣教師として奉仕し、孫の2人が現在伝道に出ることを検討している。西原夫妻にとって奉仕は、召しというだけでなく、生き方そのものなのである。
ロナルド・A・ラズバンド長老 [その喜びはいかに大きいことか]