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田中健治兄弟が逝去される

―名峰で得た証を胸に主に仕えた,東洋初のステーク会長―

2023年8月23日,日本の教会の発展を支えた開拓者の一人である田中健治兄弟が逝去された。享年97であった。告別式は8月25日に神奈川ステーク神奈川ワードで営まれ,多くの人々が70年という長きにわたって忠実に主に仕えた田中兄弟を偲んだ。
   
田中健治兄弟は1926年(大正15年)5月25日,群馬県前橋市に生まれた。20代の頃キリスト教系の農業学校で教員になり,礼拝行事を担当する中で神の存在について疑問を抱く。3か月ほど祈り続ける中で,神様は生きておられるという証を得たが,どの教会に集えばよいかわからない。そんなとき,末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師たちに出会った。「わたしたちの教会には神権があります」という言葉に惹かれ,渡されたモルモン書を一気に読んだ田中兄弟はその内容に感銘を受ける。 
  
しかし,金版を天使モロナイに返してしまって今は見ることができないという点が気にかかった。宣教師に祈るよう勧められた田中兄弟は1953年3月下旬,日本百名山の一つとして知られる地元の赤城山に5時間かけて登頂し,雪の残る頂で祈る。モルモン書は素晴らしい本だが,モロナイの話がどうしても信じられない,と祈ったときだった。
「心に直接感じたんです,今はそう思う。でも耳に聞こえたような非常に大きな声で,『田中兄弟,(と日本語で聞こえました)もう心配しなくて大丈夫,これはほんとうのことです,一生懸命やりなさい』と……」※1
ついに真実の教会を見出した田中兄弟は,同年4月19日にバプテスマを受けた。
      
山頂での促しのとおりに田中兄弟は主の業に邁進した。アジア伝道部会長会第二顧問,東中央地方部会長といった数々の責任に召され,1970年には東洋初のステーク会長として東京ステーク初代会長に召された。1976年から日本名古屋伝道部会長として奉仕し,1979年からは十二使徒地区代表(関東地区・北海道東北地区)を務めた。
家庭では妻の清江姉妹との間に3人の子供を得て,9人の孫の祖父,3人のひ孫の曽祖父となった。神殿を愛した田中兄弟は,清江姉妹の運転する車で足繁く東京神殿に通い,儀式執行者として奉仕した。
   
35年間,田中兄弟と共に神奈川ワードに集った地域七十人・伊藤彰記長老は告別式を管理し,教会を代表して哀悼の意を捧げた。
「田中兄弟は赤城山での経験から,わたしたちの求める祈りには必ず答えが与えられ,天父は一人一人を名前でご存じであると証されました。毎週共に集い,彼の人となりから,彼はまさに生涯を通じてイエス・キリストの真の弟子であったことを証します。今は霊界で多くの兄弟姉妹と再会し,救いと昇栄の業に熱心に携わっておられると思います。」
    
告別式の閉会の讃美歌は166番「天よりの声聞け」。「東京神殿が改修工事のため閉館して再稼働するまでの間,父は家で毎日この讃美歌を歌っていました」(長女・松原すみれ姉妹)。田中兄弟は,自身が仕えた人々と賛美歌に送られて新たな永遠の任地へと旅立った。
   
※1『世紀を越えて――Beyond the Century 末日聖徒イエス・キリスト教会伝道100年のあゆみ』(末日聖徒イエス・キリスト教会 日本伝道100周年実行委員会編,2002年刊)212-213ページ参照

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