ニュースリリース

伝道の業の目に見えない影響力

信仰、忍耐、および愛ある奉仕のストーリー

ストロング長老が若い宣教師として伝道してから約50年後ストロング長老・姉妹が訪問した際の弘前支部での写真。© 2024 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
Download Photo

伝道の業は、目に見える結果にすぐにはつながらない努力や奉仕で成り立っていることが多い。多くの宣教師にとって、特にキリスト教が広く根付いていない地域で奉仕する宣教師にとって、落胆を感じることはたやすいことである。例えば、日本は、自分たちの生活がキリスト教に何らかの関係があると考えている人々は人口の3%にも満たない国である。しかしながら、スティーブ・ストロング長老のような宣教師たちの経験は、信仰を持って撒いた種は実をならせるのに何年も、あるいは何十年もかかることを思い起こさせてくれるものである。

スティーブ・ストロング長老は若い宣教師として、1976年から1978年まで、日本の仙台で奉仕した。約50年後、彼は妻のシンディとともに末日聖徒イエス・キリスト教会の人道支援サービス宣教師として日本に再びやってきた。彼が若い宣教師としてかつて伝道した国に再び戻る旅を通じて、ストロング長老は自分の昔に行った宣教師の奉仕の目に見えないことが多い、深い影響力を目にすることができた。

ストロング長老が学んだ最も力強い教訓は伝道の業は必ずしもすぐに結果が出ないということである。多くの場合、宣教師たちは、あまり違いを生じることはできなかったというふうに考えながら、伝道地を去ることが多いかもしれない。しかし、ストロング長老の経験が示すように、神の時宜はわたしたちの時間とはかなり異なることがよくある。そして、主に仕えるという信仰深い、誠実で、祈りを込めた努力がもたらす影響は何年も経て初めて見えることもある。

ストロング長老がかつて伝道した弘前では、教会の集会は宣教師アパートで行われていた。そして、宣教師たちが地元の教会の指導者の役割のほとんどを担っていた。ストログ長老のストーリーの一つは、同僚とともに福音を伝えるために1軒1軒ドアをノックしている際に偶然に会ったお休み会員のやぎはし姉妹とのストーリーである。彼はやぎはし姉妹に再び教会に集うように招いた。その出会いの翌週、彼女は教会に戻り、約50年間、忠実な会員として歩んだ。ストロング長老は日本に再び戻れたことで、大きな喜びに満たされた。彼は、やぎはし姉妹と再会し、彼女が引き続き献身的に信仰を保っているのを知ったからである。

あかぎ姉妹のストーリーも同じようなストーリーである。彼女は10代のときバプテスマを受けたかったが、両親の反対でバプテスマを受けることができなかったが、ストロング長老が旅立った約2年後についに教会に加わった。何年も経て、ストロング長老があかぎ姉妹と再会した際、彼女は活発で忠実な教会員であった。御霊と宣教師の忍耐強い信仰深い努力が長い期間にわたって影響力を持つということの証である。

山形においては、ストロング長老の毎週のホームティーチングの同僚であった、たけだ兄弟が活発な教会員として集っていた。ストロング長老が数十年ぶりに戻ってきた際、二人は再開を喜び、彼らがともに訪問した会員について思い出を語り合った。その人々の中にはすでに亡くなった人々もいれば、何年も経た後、教会に戻ってきた人々もいる。まさしく、彼らの努力が永続的に影響を与えていることの証である。福島では、佐藤玲子姉妹のバプテスマを施してほしいと依頼されたことをストロング長老は覚えている。宣教師が儀式を施すことを依頼されるとき、それは会員にとってとても意味のあるものとなることがある。ストロング長老が福島から転勤した後、やがて佐藤姉妹は教会に行かなくなった。会員たちは30年以上にわたって、彼女に手を差し伸べ続け、救い主の愛を分かち合ってきた。ストロング長老は福島を再び訪問する1週間前に、彼女に電話して教会に来るように招いた。次の日曜日の集会の終わりに、佐藤姉妹はストロング長老と数人のワードの会員と会うためにやってきた。彼女は昔の写真を持ってきて、ワードの会員たちと再びつながることができた。これは、佐藤姉妹にとって御霊と彼女に対する主の絶えざる愛を感じる機会となった。

福島では、佐藤玲子姉妹のバプテスマを施してほしいと依頼されたことをストロング長老は覚えている。宣教師が儀式を施すことを依頼されるとき、それは会員にとってとても意味のあるものとなることがある。ストロング長老が福島から転勤した後、やがて佐藤姉妹は教会に行かなくなった。会員たちは30年以上にわたって、彼女に手を差し伸べ続け、救い主の愛を分かち合ってきた。ストロング長老は福島を再び訪問する1週間前に、彼女に電話して教会に来るように招いた。次の日曜日の集会の終わりに、佐藤姉妹はストロング長老と数人のワードの会員と会うためにやってきた。彼女は昔の写真を持ってきて、ワードの会員たちと再びつながることができた。これは、佐藤姉妹にとって御霊と彼女に対する主の絶えざる愛を感じる機会となった。

心に触れるもう一つのストーリーは福島の菅野家族のストーリーである。1977年に、ストロング長老と同僚はある夕方遅い時間に家々を訪問していた。同僚は気落ちして早くアパートに帰りたがっていた。ストロング長老は同僚とともにもう1軒のドアをノックすることを決めた。その家の父親は自分が最近読んだ本からストロング長老のことに気づき、二人を招き入れた。その簡単な根気強い行いはその家族との数週間の宣教師レッスンにつながった。その家族は、最初は福音に対して決意はしなかったが、菅野家族のご主人は宣教師を毎週夕食に招待した。次第に、彼らの心が和らぎ、御霊が彼らに回復された福音が真実であることを証した。やがて、菅野姉妹がバプテスマを受け、その家族は家庭において福音の祝福を受けた。このストーリーは、主に仕えるとき(特に、キリストのような愛が動機となっているとき)、すぐの結果が見られなくても、どんな努力も無駄になることは決してないことを見事に表すものである。菅野家族との再会は、ストロング長老・姉妹に心の底から感じられる喜びをもたらした。

これらの経験は、モルモン書の中のアルマとモーサヤ王の息子たちのストーリーとよく似ている。何年もの間別々に働いた後、彼らは自分たちの働きの実を目にし、彼らがともに働いた人々が信仰を保っているのを知り、喜んだ。ストロング長老は約半世紀を経た後に日本に戻り、当時は結果を見ることができなったが、自分の奉仕を通して影響を与えた会員や元求道者たちと再会したとき、同じような喜びを感じることができた。

宣教師に向けたメッセージは明瞭である。すなわち、福音を分かち合うことにおいて、主に心から仕えることからもたらされる影響力を決して過小評価してはならないということである。必ずしもすぐの結果は見られないかもしれないが、熱心な意義深い奉仕を通して撒いた信仰と愛の種は、やがてとても大きな実を結ぶことがよくある。ストロング長老のストーリーが示すように、たとえ、自分では築かなったとしても、主が自分の努力を使ってくださっていたことを知るときに大きな喜びがもたらされる。愛をもって仕え、神があとのことは世話をしてくださることを信頼しましょう。祝福と圧倒されるような喜びはあまりにも大きすぎて測れるものではない。

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.