特集記事

万博'70とモルモン館 ― 「静かに立って」「覚えていなさい」そして主の御腕が現されるのを見よ

日本の人々の心と目を曇らせる誤解と不真実の海を分け、イエス・キリストの回復された福音の美しさと喜びを明らかにする

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運営中の万博'70モルモン館© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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まえがき:  

1970年の大阪万国博覧会(EXPO'70)において、主はご自身が選ばれた僕たちに霊感を与え、日本に住む神の子供たちの思いと心から誤解、世俗性、文化的偏見という「海を分かつ」よう導かれました。これらはすべて、回復された福音の美しさを覆い隠していたものです。1901年からこの時まで、主の僕と弟子たちは、日本の人々に回復された福音をもたらすべく心、勢力、思い、そして力を尽くしてきました。末日聖徒イエス・キリスト教会の成長は緩やかではあったものの、時と歴史が明らかにしているとおり、成し遂げられた業は、後の大いなる時代に向けて揺るぎのない堅固とした土台を築きました。それ故に、EXPO'70に参加するという教会指導者たちの判断は、「あなたがたは、力の限りすべてのことを喜んで行ってきたので、この上ない確信をもって待ち受けて、神の救いを目にし、神の腕が現されるのを見なさい」という主の言葉として受け止めることができるでしょう。(教義と聖約128:17と比較してください)。

時の針を少しだけ巻き戻し、主が日本で現されたこの大いなる御腕を思い起こしてみましょう。この後でご紹介する記事は、回復された福音を宣べ伝える地として1901年に日本が奉献されてから100年を迎えるにあたって出版された教会史からの抜粋です。『世紀を越えて――Beyond the Century 末日聖徒イエス・キリスト教会伝道100年のあゆみ』と題されたこの教会史は、こちらのリンクから全文を日本語でお読みいただけます。この歴史を別の言語でお読みいただくには、AIの価値ある機能の一つである文書翻訳機能をご利用ください。『世紀を越えて』には素晴らしい霊的な経験が記録されているため、AIを用いてそれらを探求することをお勧めします。以下の抜粋は、『世紀を越えて』の277~284ページに記載されています。_____________________________________________________________________________________

日 本 沖 縄 伝 道 部 の エ ド ワ ー ド ・ Y ・ 岡 崎 部 長 の 下 で 副 部 長 で あ っ た 鈴 木 正 三は 、 一 九 六 八 年 に 十 二 使 徒 の エ ズ ラ ・ タ フ ト ・ ベ ン ソ ン が 来 日 し た と き 、 日 本 万 国 博 覧 会 協 会 へ 行 き た い との 申 し 入 れ を 受 け て 案 内 す る こ と に な っ た 。 鈴 木 正 三 は 万 国 博 覧 会 ( 万 博 ) な る も の が ど の よ う な イ ベ ン トな の か 想 像 も で き な い ま ま ベ ン ソ ン を 万 博 会 場 予 定 地 の 千 里 丘 陵 へ と 案 内 し た 。 そ れ が 万 博 出 展 へ 向 け た 日本 で の 最 初 の 一 歩 だ っ た 。

そ し て 翌 一 九 六 九 年 に は 、 大 阪 で 開 催 予 定 の 万 博 に 総 事 業 費 七 、二 〇 〇 万 円 を 投 じ て 「 モ ル モ ン 館 」 を 建 てる こ と が 正 式 に 決 定 さ れ た の で あ る 。 開 催 会 場 に 本 部 が 近 い 日 本 沖 縄 伝 道 部 は 特 に 忙 し い 立 場 に な っ た 。

四月 二 十 二 日 に は エ ズ ラ ・ タ フ ト ・ ベ ン ソ ン を は じ め 日 本 万 国 博 覧 会 担 当 大 臣 ・ 菅 野 和 太 郎 、 日 本 万 国 博 覧 会協 会 会 長 ・ 石 坂 泰 三 、 大 阪 府 知 事 ・ 左 藤 義 詮 、 大 阪 市 長 ・ 中 馬 馨 な ど 多 く の 来 賓 を 迎 え て 建 設 用 地 に鍬 入れ式 が 行 わ れ 、「 幸 福 の 探 求 」 を テ ー マ に モ ル モ ン 館 の 建 設 が 開 始 さ れ た の で あ っ た 。

四 月 二 十 六 日 付 け の 毎 日 新 聞 掲 載 の 「 エ キ ス ポ 人 脈 」 の 欄 に は 次 の よ う に 紹 介 さ れ て い る 。

「 モ ル モ ン 教 会 は 、 一 八 三 〇 年 、 ジ ョ セ フ ・ ス ミ ス に よ っ て 設 立 さ れ た キ リ ス ト 教 の 一 派 、 正 し く は 『 末日 聖 徒 イ エ ス ・ キ リ ス ト 教 会 』 と い い 、 現 在 は 米 国 ユ タ 州 ソ ル ト レ ー ク ・ シ テ ィ ー に 本 部 が あ る 。 世 界 各 地の 信 徒 は 約 三 百 万 人 、 う ち 日 本 に は 一 万 一 千 人 ほ ど い る 。

こ の 教 派 は い つ も 万 国 博 出 展 に 熱 心 で 、 日 本 万 国 博 に も 約 一 億 円 を 投 じ て 『 幸 福 の 探 求 』 を テ ー マ に 『 モル モ ン 館 』 を 建 て る 。 モ ル モ ン 教 会 に は 『 預 言 者 』 デ ビ ッ ド ・ O ・ マ ッ ケ イ 氏 の も と に 『 十 二 使 徒 』 が い る 。二 十 二 日 の モ ル モ ン 館 起 工 式 に 来 日 し た ベ ン ソ ン さ ん は そ の 十 二 使 徒 の 一 人 。 ア イ ダ ホ の 農 協 役 員 を ふ り 出し に 、 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 の 農 業 諮 問 委 員 、 そ し て ア イ ゼ ン ハ ワ ー 政 治 の 八 年 間 、 ず っ と 合 衆 国 農 務 長 官 をつ と め た 大 物 で あ る 。 ミ シ ガ ン 州 立 大 学 名 誉 農 学 博 士 を は じ め 、 実 に 十 一 の 大 学 の 名 誉 博 士 号 を 持 っ て い る。

大 変 厳 格 な 教 派 で 、 酒 、 タ バ コ は も ち ろ ん 、 お 茶 も コ ー ヒ ー も ダ メ 、 起 工 式 で ベ ン ソ ン さ ん に 花 束 を 贈 った エ ス コ ー ト ・ ガ イ ド も ミ ニ ス カ ー ト は や め 、 ふ り そ で 姿 で 出 か け た 。

『 万 国 博 に 出 展 す る の は わ れ わ れ の 信仰 を み な さ ん に 理 解 し て い た だ き た い か ら で す 』 と 。

一 緒 に や っ て き た フ ロ ー ラ 夫 人 は 一 九 五 六 年 に 良 妻 賢母 の 全 米 ナ ン バ ー ・ ワ ン 『 マ ザ ー ・ オ ブ ・ ザ ・ イ ヤ ー 』 に 選 ば れ た 。 子 供 六 人 、 孫 は 二 十 人 も い る 」

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モルモン館の第2奉献式にて。写真左端にゴードン・B・ヒンクレー夫妻。左から4人目と6人目がエズラ・タフト・ベンソン夫妻。左から8人目にヒュー・B・ブラウン。右端は日本伝道部のウォルター・R・ビルス部長夫妻。右から5人目と6人目が日本沖縄伝道部のエドワード・Y・岡崎部長夫妻。© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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当 時 の 教 会 は 万 博 に 力 を 入 れ て お り 、 一 九 六 四 年 の ニ ュ ー ヨ ー ク 万 博 に も 出 展 し て い た 。

ソ ル ト レ ー ク ・シ テ ィ ー の 本 部 か ら は 十 二 使 徒 補 助 の バ ー ナ ー ド ・ P ・ ブ ロ ッ ク バ ン ク が 総 指 揮 の 任 に 就 く た め に 来 日 し た 。

一 九 六 九 年 八 月 ま で に は 「 モ ル モ ン 館 」 で 上 映 す る 映 画 「 幸 福 を 探 し 求 め て 」 も 製 作 さ れ た 。 こ の 映 画 の スト ー リ ー は ア メ リ カ の 博 覧 会 に も 使 わ れ た も の だ っ た が 、 ア メ リ カ の 映 画 を 日 本 語 吹 き 替 え で 使 う の で は なく , 日 本 の 映 画 俳 優 を 起 用 し 、 近 畿 地 方 の 教 会 員 も 参 加 し て 製 作 さ れ た 。

W ・ O ・ ウ ィ テ ィ カ ー 総 監 督 の 下ジ ョ ン ソ ン 美 術 監 督 、 ス タ ム 撮 影 監 督 ら に よ っ て 製 作 さ れ た 日 米 合 作 の 作 品 で あ っ た 。


日 本 万 国 博 、 開 幕

一 九 七 〇 年 三 月 十 三 日 、「 モ ル モ ン 館 」 の 奉 献 式 が 行 わ れ た 。 こ の 式 典 の た め に 、 副 管 長 の ヒ ュ ー ・ B ・ ブラ ウ ン 、 十 二 使 徒 の エ ズ ラ ・ タ フ ト ・ ベ ン ソ ン 、 ゴ ー ド ン ・ B ・ヒ ン ク レ ー が 来 日 し た 。

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皇太子殿下に展示の説明をする鈴木副伝道部長© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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翌 三 月 十 四 日 の 開 会 式 は 、 日 本 万 国 博 覧会 協 会 会 長 ・ 石 坂 泰 三 氏 か ら の 招 待 状 が 教 会 の 責 任 者 た ち に も 届き 、 昭 和 天 皇 の ご 出 席 も 得 て 華 々 し く 挙 行 さ れ た 。 こ の 博 覧 会 は 、日 本 の 伝 道 活 動 史 上 最 も 力 の 入 っ た 大 き な イ ベ ン ト で あ っ た 。

博 覧 会 の 開 場 前 に は 、 各 パ ビ リ オ ン の 責 任 者 が 集 ま っ て 出 展 の説 明 会 が 予 定 さ れ て い た 。 総 指 揮 に 当 た っ て い た バ ー ナ ー ド ・P ・ ブ ロ ッ ク バ ン ク は 、 「 ニ ュ ー ヨ ー ク の 博 覧 会 の と き は 、 会 場 関係 者 が 五 人 出 席 し た だ け だ っ た の で 、 自 分 は 行 き た く な い 」 と 語っ て い た 。 し か し 、 今 回 は 五 十 人 し か 招 待 さ れ て い な か っ た に もか か わ ら ず 、 当 日 は 百 五 十 人 も の 報 道 関 係 者 で に ぎ わ い を 見 せ た 。

「 モ ル モ ン 館 」 に つ い て の 解 説 の 原 稿 が 用 意 さ れ て い な か っ た の で 、関 係 者 は 当 惑 し た が 、 渡 辺 驩か ん が 立 ち 、 臨 機 応 変 に 即 席 で 説 明 を 行っ た の で あ っ た 。

「 モ ル モ ン 館 」 の 内 容 は 、 一 階 に は 補 助 組 織 の 活動 の 展 示 、 二 階 で は 創 造 の 部 屋 、 原 始 キ リ ス ト 教 と 回 復 さ れ た 教会 な ど に つ い て の 説 明 、 そ し て 「 幸 福 を 探 し 求 め て 」 の 映 画 が 上映 さ れ た の で あ る 。

「 モ ル モ ン 館 」 に は 広 大 な 展 覧 会 場 の 中 で も 得 難 い 、 立 地 条 件の良 い 場 所 が 割 り 当 て ら れ た 。 万 博 会 場 の 中 で 最 も 大 き な 池 に 隣接 し 、 多 く の 人 が 憩 い の 場 と し て 集 ま る お 祭 り 広 場 の す ぐ そ ば で あ っ た 。 食 堂 や そ の 他 の 施 設 も 広 場 の そ ばに あ っ た 。 し か も 日 本 政 府 の 出 展 と し て 博 覧 会 の 目 玉 で あ っ た 「 日 本 館 」 に 近 く 、 現 代 写 真 技 術 の 粋 を 披 露す る 「 コ ダ ッ ク 館 」 と 美 容 界 の 大 御 所 と 言 わ れ た 「 タ カ ラ 館 」 と の 間 に 挟 ま れ て い た 。 そ の た め 「 モ ル モ ン館 」 も た い へ ん な 盛 況 ぶ り を 見 せ た の で あ っ た 。

万 博 は 一 九 七 〇 年 三 月 十 五 日 か ら 一 般 に 公 開 さ れ 、 九 月 十 三 日 ま で 半 年 間 に わ た っ て 開 催 さ れ た 。

ブ ロ ック バ ン ク の 話 に よ れ ば 、 教 会 が 出 展 し た 催 し の 中 で 、 こ の 日 本 万 国 博 は 最 も 成 功 し た 博 覧 会 の 一 つ で あ っ たと い う 。 一 九 六 四 年 の ニ ュ ー ヨ ー ク 博 で の 毎 日 の 入 場 者 の 平 均 数 は 一 万 八 千 人 で あ っ た が 、 今 回 の 「 モ ル モン 館 」 入 場 者 は 一 日 平 均 二 万 五 千 人 と は る か に 上 回 っ て い た 。

開 場 以 来 ま だ 二 か 月 余 り の 、 五 月 二 十 六 日 午前 十 時 四 五 分 に 「 モ ル モ ン 館 」 に 入 場 し た 広 島 県 尾 道 で 養 鶏 業 を 営 む 亀 田 氏 ( 二 十 八 歳 ) が ち ょ う ど 二 百 万人 目 の 来 場 者 と な り 、 ブ ロ ッ ク バ ン ク か ら 記 念 品 を 贈 呈 さ れ た 。

地 元 の 教 会 員 た ち は 、 そ の 度 に 入 場 料 を 支 払 わ な け れ ば な ら な か っ た に も か か わ ら ず 、 喜 ん で パ ビ リ オ ンで の 奉 仕 に 携 わ っ た 。

ま た 、 会 場 の 出 口 で 記 入 さ れ る 「 リ フ ェ ロ ー カ ー ド 」 ( 来 館 者 に 名 前 、 住 所 、 感 想 な どを 記 入 し て も ら う カ ー ド ) に つ い て は 、 「 三 日 以 内 に 宣 教 師 が 訪 問 す る よ う に 準 備 し な さ い 」 と い う ブ ロ ッ クバ ン ク の 指 示 で 、 記 入 さ れ た 名 前 と 住 所 の リ ス ト が 各 地 に 転 送 さ れ た 。

夕 方 の 六 時 に 「 モ ル モ ン 館 」 で の 奉仕 を 終 え た 宣 教 師 が 「 リ フ ェ ロ ー カ ー ド 」 の 束 を 梅 田 駅 ま で 運 び 、 そ こ で 教 会 員 が そ れ を 引 き 取 っ て 支 部 まで 運 ぶ 。 一 枚 の 上 に 十 人 ほ ど の 名 前 が 書 か れ て い た の で 、 そ れ を 個 人 別 に 切 り 、 居 住 地 別 に 分 類 す る 。 こ うし て 、 日 本 全 国 か ら 来 訪 し た 人 々 に よ っ て 書 か れ た カ ー ド は 、 夜 の 十 二 時 前 に は 全 国 の 宣 教 師 の も と へ 向 けて 発 送 さ れ た 。

一 日 平 均 三 、 〇 〇 〇 人 か ら 四 、 〇 〇 〇 人 の 情 報 を 、 万 博 が 終 了 す る ま で の 六 か 月 間 、 毎 日 処 理し な け れ ば な ら な い と い う 大 変 な 作 業 で あ っ た が 、 割 り 当 て ら れ た 七 支 部 の 教 会 員 た ち に よ っ て 連 日 そ の 作業 が 続 け ら れ 、 名 前 の 合 計 は 六 十 五 万 人 に も 達 し た の で あ っ た 。

そ の 後 、 こ の カ ー ド を き っ か け に 家 庭 集 会 が 始 ま り 、 改 宗 す る 人 々 が 続 出 し た 。 後 に 教 会 の 指 導 者 と な る多 く の 人 々 が 、 こ の と き に 改 宗 し て い る 。

例 え ば 万 博 の カ ー ド がも と で 改 宗 へ と 導 か れ た 徳 田 和 義 夫 妻 は 、 一 九 八 〇 年 に 東 京 神 殿が 建 て ら れ た と き 、 施 設 の 技 術 者 に と 請 わ れ て 神 殿 に 働 き 、 恵 比寿 ワ ー ド や 渋 谷 ワ ー ド の 監 督 を 務 め 、 後 に 副 神 殿 長 と し て も 奉 仕し た 。 そ の う え 二 人 の 息 子 も 専 任 宣 教 師 と し て 働 い た の で あ る 。

こ の 万 博 が 、 い か に 教 会 の 歴 史 の 中 で も 成 功 を 収 め た プ ロ グ ラ ムの 一 つ で あ っ た か が う か が え る 。

皇 太 子 殿 下 の 訪 問

七 月 三 十 一 日 の 金 曜 日 に は 万 博 協 会 の 名 誉 総 裁 で あ っ た 皇 太 子殿 下 ( 今 上 き ん じ ょ 天 皇 ) が 万 博 会 場 に 来 ら れ る こ と に な っ た 。

時 間 の 制約 か ら 訪 問 先 は 限 ら れ て い た が 、 そ の 行 程 に モ ル モ ン 館 も 選 ば れて い た 。 ス ケ ジ ュ ー ル 上 の 滞 在 時 間 は 午 後 六 時 二 十 五 分 か ら わ ずか 十 分 間 の 予 定 で あ っ た 。

あ ま り に 短 い こ と に つ い て 関 係 者 が 問い 合 わ せ る と 、 「 宗 教 館 だ か ら 理 解 し て く だ さ い 」 と の 返 事 で あ った 。

説 明 役 を 務 め た 鈴 木 正 三 は 、 貴 重 な 時 間 を 効 率 よ く 使 え る よう 熟 慮 し 、 当 日 は 朝 五 時 に 起 き 、 十 分 間 の 話 を 練 習 し つ つ 断 食 して 備 え て い た 。 と こ ろ が 、 実 際 に 皇 太 子 殿 下 が モ ル モ ン 館 に 到 着さ れ た の は 予 定 よ り 十 五 分 も 早 か っ た た め 、 結 局 二 十 五 分 間 に わた っ て 観 覧 さ れ る こ と と な っ た の で あ る 。

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来訪した皇太子殿下にレイを掛けるブロックバンク嬢。右端はハワード・W・ハンター© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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皇 太 子 殿 下 が 到 着 さ れ る と 、 ブ ロ ッ ク バ ン ク の 娘 が 進 み 出 て 、皇 太 子 殿 下 に 美 し い ラ ン の 生 花 で 作 ら れ た レ イ を 差 し 出 し た 。 この 日 の た め に ハ ワ イ か ら 空 輸 し た 最 高 の 花 で 、 ウ ォ ル タ ー ・ 照 屋夫 妻 が 心 を 込 め て 作 っ た 特 別 の レ イ で あ っ た 。 実 は 事 前 の 打 ち 合わ せ で は 、 皇 室 の 側 近 は 生 花 を 贈 ら れ る こ と に 難 色 を 示 し て い た 。し か し 殿 下 が 喜 ん で 首 を 下 げ ら れ た の で 、 ブ ロ ッ ク バ ン ク 嬢 は レイ を 殿 下 の 首 に 掛 け 、 殿 下 は 館 を 出 る ま で そ の ま ま 掛 け て お ら れた と い う 。 現 在 、 今 上 天 皇 と な っ た 殿 下 の お 人 柄 が し の ば れ る エピ ソ ー ド で あ る 。

ま た 、 岡 崎 伝 道 部 長 は 戦 時 中 、 日 系 二 世 の 四 四 二 部 隊 に 入 っ てい て 、 ヨ ー ロ ッ パ 戦 線 で 名 誉 の 重 傷 を 負 っ た こ と が あ っ た 。

そ れを 事 前 に 調 べ て い た ら し く 、 皇 太 子 殿 下 は 岡 崎 伝 道 部 長 に ご 自 分 か ら 手 を 延 べ て 握 手 を 求 め ら れ 、「 戦 争 の とき の け が の 具 合 は ど う で す か 」 と 尋 ね た の で あ っ た 。 伝 道 部 長 が 「 今 は も う 大 丈 夫 で す 」 と 答 え る と 、「 そ れは よ か っ た で す ね 」 と 言 わ れ た 。 岡 崎 伝 道 部 長 は 日 ご ろ か ら 伝 道 部 長 室 の 大 き な デ ス ク の そ ば に 日 章 旗 と 日本 沖 縄 伝 道 部 の 旗 を 立 て て 、 日 本 を 愛 し 、 敬 意 を 払 っ て い た の で 、 皇 太 子 殿 下 の 温 か い 言 葉 は 非 常 に う れ しく 、 良 い 思 い 出 と な っ た の で あ っ た 。

「 モ ル モ ン と は 何 か 」、「 モ ル モ ン は 何 を 信 じ て い る か 」、「 モ ル モ ン 教 会 と 他 の 教 会 の 違 い は 何 か 」、「 実 践の 宗 教 と は 」、「 モ ル モ ン の 歴 史 は 」「 ジ ョ セ フ ・ ス ミ ス の 見 神 」「 教 会 の 回 復 」 な ど 、 鈴 木 副 伝 道 部 長 の 説 明が 行 わ れ る 中 、 丁 寧 に う な ず い て い る 皇 太 子 殿 下 の 姿 は 印 象 的 で あ っ た 。 一 つ だ け 殿 下 が さ れ た 質 問 は 「 イエ ス ・ キ リ ス ト と は ど ん な 人 で す か 」 で あ っ た 。 鈴 木 副 伝 道 部 長 は 、 主 が 救 い 主 で あ ら れ る こ と 、 人 は 皆い つ の 日 か 主 の 前 に 立 っ て 自 ら の 行 い を 報 告 し な け れ ば な ら な い こ と を 話 し た の で あ っ た 。

鈴 木 正 三 は 後 に 、恵 ま れ た 条 件 の 下 で の 訪 問 が 実 現 し た こ と を 、「 わ た し の 完 全 な 福音 が 弱 い 者 や 純 朴 な 者 に よ っ て 世 界 の 果 て ま で 、 ま た 王 や 統 治 者の 前 に 宣の べ ら れ る た め で あ る 」と の 聖 句 に 思 い を は せ つ つ( 教 義 と聖 約 一 ・ 二 三 )、「 神 様 の 助 け で あ っ た と 思 い ま す 」と 感 慨 深 く 述懐 し て い る 。

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三笠宮殿下(左から3人目)の訪問を得て。殿下の右隣は鈴木正三副伝道部長。右端はエドワード・Y・岡崎日本沖縄伝道部長夫妻。左端は芦屋市議会議員の児島君子氏。児島氏は岡崎伝道部長の知人で、議員に選出される前は大阪のテレビ局で俳優・脚本家として働いており、モルモン館で上映された映画『幸福を求めて』の翻訳脚本を執筆して自然な日本語に仕上げた。また撮影スタッフや五社映画スタッフのセットや機材、技術者を使えるよう交渉に当たった。それらの協力によって非常に恵まれた条件での撮影が実現したのである。児島氏は教会員ではなかったが、教会に好意的であり、様々な助力をされたのであった© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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一 か 月 後 の 八 月 三 十 一 日 に は 、 三 笠 宮 殿 下 が 「 モ ル モ ン 館 」 を訪 問 さ れ た 。 こ の 訪 問 で は 時 間 の 制 限 も な か っ た こ と か ら 、一 時間 以 上 も 館 内 を 回 ら れ た 。 殿 下 は オ リ エ ン タ ル 文 化 を 研 究 さ れ てい た の で 、 展 示 を 熱 心 に 見 て 回 ら れ た 。 二 階 に も 上 が ら れ 、 映 画も 御 覧 に な っ て 、「 こ の 教 会 と 他 の 教 会 の 違 い は 何 で す か 」 と 尋 ねら れ た 。 鈴 木 正 三 は と っ さ に 「 神 権 」 に つ い て 話 し 、 殿 下 が 帰 られ る と き に は 、 白 い 表 紙 の 特 製 の 『 モ ル モ ン 経け い 』 を 差 し 上 げ た ので あ っ た 。 し た が っ て 宮 家 に は 、 明 治 時 代 に 献 上 し た ア ル マ ・O ・ テ ー ラ ー 訳 に 加 え て 佐 藤 龍 猪 た つ い 訳 の 、 二 冊 の 『 モ ル モ ン 経 』 が所 蔵 さ れ て い る の で あ る 。

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モ ル モ ン 館 は 半 年 間 の 万 博 会 期 中 、 六 六 五 万 八 、 越 え て 五 三 二 人 の 入 場 者 数 を 記 録 し た 。 大 阪 万 博 全 体 の 総 入 場 者数 は 史 上 最 大 の 六 、 四 二 六 万 人 余 り に 上 っ た が 、 そ の 十 人 に 一 人 が モ ル モ ン 館 を 訪 れ た 計 算 に な る 。 約 三 〇 〇万 人 を 数 え た ニ ュ ー ヨ ー ク 博 と 比 べ て も 大 成 功 と 言 え る 成 果 で あ っ た 。 万 博 出 展 に よ り 末 日 聖 徒 は 日 本 社 会の 中 で 広 く 一 般 に 知 ら れ る よ う に な り 、 地 元 の 教 会 員 や 宣 教 師 の 献 身 は 、 日 本 に お け る 伝 道 活 動 に 大 き な 飛躍 を 与 え た の で あ る 。

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あとがき

以下の内容は、モルモン館で奉仕した宣教師と、モルモン館の影響を通じて改宗へと直接的または間接的に導かれた教会員の個人的な経験に基づくものです。これらはほんの一部の例にすぎず、EXPO'70のモルモン館で現された主の御腕に影響を受けた人々は、何百、何千といたに違いありません。EXPO'70の力を通じて、日本における今日の教会の土台、基本的な組織体制、構造は豊かな祝福を受けてきました。「モルモン館」はキリストの真の弟子たちを多数改宗へと導いたからです。

モルモン館のガイドとして奉仕した宣教師の多くは日本で生まれ育った会員でした。ガイドを務めた専任宣教師の中に、石井哲志さんと小松忠さんがいます。二人が広島で行われた地方部大会に参加したとき、伝道部会長は集まった教会員に向かって、専任宣教師として奉仕したい人がいれば手を挙げるよう呼びかけました。小松さんはその場で手を挙げ、家に戻る電車の中で最初の宣教師面接を受けました。石井さんには相容れない目標がありましたが、この呼びかけについて深く考え、祈った後、霊感を受けて宣教師申請書を提出しました。これら二人の兄弟は今も活発に教会に集い、多くの召しで謙虚かつ効果的な愛ある奉仕を行い続けています。

ガイドとして奉仕する宣教師は毎日3つのシフトに分けられていたと石井哲志さんは語っています。十二使徒定員会の指示に従ってモルモン館の総指揮者を務めたバーナード・P・ブロックバンク長老は、それぞれのシフトが始まる前に祈りと指導のための集会を開きました。石井さんは、ブロックバンク長老が話した次の言葉を今でもはっきりと覚えています。「この館にはたくさんの展示物がありますが、最も大切なのはこれらの展示物ではありません。最も大切なのは、来館者に対する愛と、宣教師としての皆さんの証なのです。」石井さんは続けて、「宣教師と教会員が愛と謙遜さをもって人々に接し、神聖な力を受けて話すとき、相手の心に深く霊的な印象が残されることを学びました」と話しました。

小松忠さんはその証の中で当時を思い起こし、「来館者の中には熱心に耳を傾ける人もいれば、御霊を感じ、分かち合われた証を聞いて感動の涙を流す人もいました。最後に『幸福を探し求めて』という映画を見るのですが、その映画に心を揺さぶられ、涙する人もいました」と語りました。

また、モルモン館への訪問がもたらした影響により、日本の伝道部では改宗率が上昇し、バプテスマ数が月平均160件にのぼったとも証言しています。こうして、教会はかつてないほどの成長を遂げたのです。小松さんは、「万博が直接のきっかけとなって改宗した人が大勢いたと思います。また、万博によって教会の認知度が高まったために、初めて宣教師と出会うことになった人々もいたでしょう」と話しました。

大阪府にある阿倍野ワードの佐藤順子さんは、「映画を見たこと」、そしてその出来事が彼女の心に忘れられない印象を残したことに思いを馳せました。佐藤さんは万博とモルモン館について振り返り、「忘れることができなかったのは、始まりに神の御手が人を地上に送り、終わりには神の御手がその人を再び受け入れるというイメージでした」と語りました。その後、佐藤さんは高校生のときに宣教師に出会い、教会の会員になりました。

同じく教会員の一人である石塚智子さんは、親しい友人とともに万博を訪れて見学する機会に恵まれました。万博で歌を披露するために招待された中学生合唱団に属していたからです。公演後、合唱団員たちは万博をそれぞれ自由に見学することができました。石塚さんはこのように話しています。「友人である塩川さんと私は、ほとんど吸い込まれるようにモルモン館を訪れました。そこには、来館者がその情報を記入できる紙が置いてありました。昨日のことのようによく覚えています…。それがキリスト教の教会であることにさえ気づきませんでしたが、その紙に名前を書いて帰宅しました。なので、宣教師が来た時もまったく抵抗も感じませんでした。3か月後にレッスンを終えた私は、バプテスマを受けました。あれから55年が経ったなんて、本当に信じられません。」

榎本雅友さんは、万博を見学していたときに宣教師に会いました。彼らは榎本さんに神を信じているかとたずねました。「はい」と答えると、宣教師たちは一緒に祈ってくださいと言いました。榎本さんは、「私がバプテスマを受けて教会の会員になったのは、それから15年後です。人の出会いとは本当に不思議なものですね」と話しています。

浜田博之さんは、「暗黒から、また暗闇から」イエス・キリストの教会を導き出すEXPO'70とモルモン館の力は確かだったと言っています。浜田さんは、「教会の教え、とりわけ家族の大切さに関する教えは、多くの人々の心に強く響きました」と話し、心のうちをこう語りました。「私は、人々が関心と好奇心を育み、教会の教えに触れることができる訪問者センターのような学びの場が設けられることを心から願っています。」

喜ばしいことに、神は世界中、そして日本でもその聖なる腕を再び「現され」つつあります。現在、教会のソーシャルメディア取り組みによって、イエス・キリストの回復された福音に含まれるメッセージ、光、真理に対する関心が、かつてないほど高まっています。若い宣教師がシンプルな招待を伝える短いメディア「リール」に応えて、リフェロー数も前例のない数に達しています。東京にある二つの伝道部で毎日処理されるリフェローの数は、EXPO'70での紹介率を彷彿とさせるものです。

加えて、日本を含む世界中の聖徒たちの堅実さ、成熟度、模範、そして「聖徒たちの喜び」は、教会員一人一人の生活、家庭、歩みの中に個人的な「学びの場」をつくり出しています。聖徒たちの生活と経験は、周囲のすべての人々にとって、まさしく「丘の上の光」です。

ますます増える忠実で献身的な教会員の心、魂、模範から放たれる輝きを通じて、日本では主の御腕が再び現されているのです。