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山手の聖徒たちは心を尽くして主を信頼し、主は彼らを「永く後世に残る」集会所用地へと導かれた

山手ワードの集会所物語 - 後世に残る歴史的記念碑

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以下は、末日聖徒イエス・キリスト教会の集会所用地として横浜の土地を取得した経緯を記したものであり、同時に、1901年にヒーバー・J・グラントと3人の宣教師たちが日本におけるイスラエルの集合の業を始めた歴史的な場所についても紹介しています。 

この記録はボイド・J・タトル兄弟によって執筆され、2026年7月24日付で記されたものです。個人的な回想録の形式で書かれており、著者の許可を得てここに掲載しています。

この記録には、少なくとも二つの歴史的意義があります。第一に、この記録は山手ワード集会所用地の取得に関わる重要な出来事を記録伝えています。この用地は、グラント長老が日本で集合の業を開始してから100周年を記念して2001年に奉献された「ヒーバー・J・グラント記念碑」の場所でもあります。

第二に、山手ワード集会所と、隣接するヒーバー・J・グラント記念碑は、日本における主の業の始まりから125周年を記念する全国特別集会において、会員や家族、友人たちがその歴史的意義を心に留めるべき場所です。2026年8月30日(日)午前10時より、心と思いを一つにして、山手の地の近くで始まった、慎ましくも偉大な歴史の始まりに思いを馳せましょう。この特別な機会に際し、十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老が出席しされ、全国の参加者に向けてメッセージを述べられます。

主の御手による導きが随所に見られる以下の記録をご提供くださったタトル兄弟に深く感謝いたします。

[なお、掲載画像は複写を重ねた資料によるため、画質に限界があることをご了承ください。]

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山手ワード礼拝堂の完成予想図© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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1996年の夏、横浜にて家を探しているとき、妻のホリーとわたしは山手駅の外で不動産屋さんが来るのを立って待っていました。その日は7月の暑い午後でした。そこで、暑さを避けるため、冷たいスイーツを求めて近くの不二家のケーキ屋さんに入りました。するとすぐに、店主の嶋田はるひこ兄弟との会話にのめり込みました。

わたしたちが店を訪れると、彼はわたしたちに質問をし始めました。そして突然、興奮して顔を輝かし、自分自身に指さして、英語で何ども「わたしはモルモンです!モルモンです!」と叫びました。

わたしたちは、人口20万人程度の自分たちの新しい町に到着して5分も経たないうちに、すでに、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員と出会ったことに驚きました。

嶋田兄弟は、わたしたちにどこの教会に集う予定か尋ねました。わたしたちは日本人の集うワードに集いたいと思っていることを伝えました。彼は白楽にある横浜第2ワードについて熱心に話しました。この地でのわたしたちのホームワードが、どこになるのか分かりました。

19971月、わたしたち家族は山手の高台にある家に引っ越しました。わたしは富士ゼロックスで3年間勤務するアサイメントを承諾しました。結果的にそれは5年となりました。1980年から1982年まで東京南伝道部で宣教師として奉仕しましたので、日本に戻るのは故郷に戻るような気分でした。

中ワードの形成と集会所の探査

1998426日、横浜ステークは横浜北ステークと横浜南ステークに分割されました。わたしたち家族は新しく組織された横浜南ステークの所属となりました。同時に、新たなユニット、中ワードが形成され、わたしはその新しいワードの最初のビショップとして召されました。

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最寄りの既存集会所である白楽集会所で撮影された、新たに組織された中区ワードの会員たち© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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最初の数か月は喜びに満たされるとともに一生懸命に働いた月でした。わたしたちは補助組織を組織し、様々な召しに会員を召し、会員と親しくなり、ワードを築くためにともに働きました。会員数は少なく、(子供たちを含め)約65名の会員数でした。ワードの会員の信仰と楽観的にとらえる精神は傑出していました。

遠藤大ステーク会長から与えられた最初の割当ての一つは、中区の近くで当座の集会所を探すことでした。毎週日曜日、わたしたちのワードの会員は30分から40分かけて、白楽の教会まで通っていましたので、わたしたちは、ほとんどの会員が住んでいる場所の近くに適切な集会所となる貸しビルを見つけることができるよう願いました。

わたしたちは熱心に探し、祈り続けました。顧問の塩隆彦兄弟と嶋田はるひこ兄弟、ならびに遠藤会長とともに、わたしたちは不動産屋さんと会い、建物を幾つか訪問し、大家さんと話をし、妥当なあらゆる可能性を探りました。しかしながら、何度トライしても、門戸はすべて閉じているように思えました。

何度も落胆を繰り返した後、わたしたちは、多分、単に集会所の建物を借りること以上のことを考えるべきではないのだろうかと考え始めました。わたしたちのユニットは小さく、リソースも限られていましたので、新しい建物を建設するという考えは手の届かないもののように思えました。

こうした思いに押しつぶされそうになりながら、わたしは遠藤会長に自分たちの教会堂を持つための条件は何ですかと尋ねました。遠藤会長は調べてから、次のように回答を伝えてくれました:ワードの聖餐会の平均出席人数が3か月連続で100人を達成できれば、自分たちの集会所を持つ資格があるとみなされます。この単純な言葉はすべてを変えました。

「奇跡を期待しましょう!」が中ワードの非公式のテーマとなりました。宣教師たちに求道者を招待するように奨励しました。会員たちは友人や隣人を招待しました。近くに住む英語を話す会員や、米軍基地の会員たちにも声をかけ、だれでも全員、わたしたちのワードに歓迎しました。通訳用のヘッドセットも用意し、言語が礼拝の障害にならないようにしました。

少しずつ、聖餐会出席人数は増えていき、ある日曜日についに100人に到達しました。その後、すぐに再び100人を達成しました。それからもまた、達成できました。不可能だと思えたことは不可能ではなくなったように思えました。

わたしたちは引き続き、ワードの当座の集会所となる賃貸物件を探しました。幾つもの提案書を準備し、話し合い、却下されました。わたしは教会実務ディレクターのユージーン・北村兄弟と地域会長会のブラウン長老ケンリック長老に会いました。あるとき、熱意をもって、ある一つの物件を「夢の場所」として説明した後、わたしは多分「寝る前にスパゲッティを食べ過ぎたのでしょう!」と言われました。しかし、そうした親しみを込めたからかいに遭っても、わたしたちの決意は揺らぎませんでした。

山手の物件が見つかる

ある日曜日の午後、山手本通りの高台を車で走っているとき、使用されていないテニスコートに目が留まりました。その場所は雑草が生い茂り、長年使用されていないのが明らかで、金網フェンスに囲まれ、誰も寄せ付けず、静かにたたずんでいました。わたしたちはこの場所をこれまで何度も車で通り過ぎていましたが、その日は、まるでその場所を初めて目にするような感覚でした。その場所に立ち、ゲート越しに見ながら、わたしたちはその場所に立つ美しい教会堂のイメージを、会員たちが集うための駐車場や場所とともに思い浮かべました。「売り物件」という表示はありませんでした。ただ、この場所が、使われなくなったテニスコートではない別の目的に使えるという穏やかな印象を受けました。

1999年11月25日、下記の手紙を地域会長会のケンドリック会長に送り、この場所を検討してほしいことを伝えました。その時点では、わたしたちはその場所の所有者もその土地が購入できる場所なのかも分かりませんでした。

間もなくして、わたしたちは、その土地がサンモール・インターナショナル・スクールとカトリック教会の所有であることが分かりました。教会の不動産部門の担当者より、その所有者はその土地を売る意思はないということを知らされました。またも、門戸が閉じられたように思えました。しかし、数か月後、わたしたちは電話で希望が持てる知らせを受けました。カトリック教会がその土地を東京開発会社に売却したということでした。そして、不動産担当者より、「東京開発会社は買い手を探しいている!」と聞かされました。圧倒されるような感謝の気持ちに満たされて、わたしたちは、主が新たな可能性の扉を開いてくださったことを感じました。

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山手ワードの建設予定地の場所を示す書簡© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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その後、何か月にもわたり、わたしたちは困難や遅延、難しい交渉、および数えきれないほどの障害を経験しました。しかしながら、この過程を進む間、わたしたちは、わたしたちがこの土地を「見つける」遥か前から、主がご自分の目的のためにこの土地を用意してくださったという穏やかな確信を決して失いませんでした。

その場所は、多くの人が横浜でも有数の由緒ある通りと評する山手本通り沿いにあります。歴史ある洋館や有名なインターナショナルスクール、博物館、美しい教会や聖堂があり、有名な外国人墓地も見渡せる場所でもあることから、長年、横浜市の中でも最も観光客の多い歴史地区となっています。毎年、何十万人もの日本人の観光客が、横浜の独特な国際色豊かな歴史に触れるために、その場所を訪れています。そのような土地は、日本では相当なプレミアム価格がつきます。世の中の価値観で考えて、そうした土地を入手することは一般的な日本のワードの建物の予算を遥かに超えるものであると思えました。そこで、わたしたちが言えるのは、ただ、その土地を入手することは奇跡以外の何物でもないということです。

土地の購入が完了してからは、物事は迅速に進みました。仮の教会堂がすぐに建てられました。わたしたちは小さな集会所がほんの3週間で出来上がるのを見ました。ほどなくして、わたしたちの小さなワードは自分たちの教会堂を持つことができました。この仮の教会堂はワードのすべての会員から愛される建物となりました。

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建設予定地に建てられた仮集会所。未使用のテニスコートのラインと舗装面が残されている様子が見て取れる© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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山手ワードとオープンハウス

建物は山手の高台に立っていましたので、「中」ワードは、その土地とこれから成長していくアイデンティティーとなることを反映する名前として、すぐに「山手」ワードという名称になりました。

5月に、わたしたちは1週間の一般向けオープンハウスを行い、結束の固いワード会員たちは力を合わせ、ヒーバー・J・グラント大管長による日本奉献から始まる最初の100年の歴史をたどるミニ歴史博物館へと建物を変貌させました。その他にも、訪問者向けに教会の組織とプログラムを紹介する展示物も用意しました。礼拝堂の中央には、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は紛れもなく、イエス・キリストに従うものであることを示すものとして、ベルテル・トルバルセン作の大きな「キリスト像」を設置しました。

オープンハウスの1週間を通して、宣教師たちは通りかかる人々に教会歴史の展示物のツアーを提供しました。夜には、松下家族や入江伸光兄弟など、音楽の才能にあふれる末日聖徒たちが日本の各地から参加し、歌と楽器の演奏を披露しました。温かさと敬虔さに満ちたそのひとときは、多くの人々の心に深い感動を与えました。これまで末日聖徒の教会堂に入ったことのない多くの友人や隣人を含む何百人もの人々が、オープンハウスに訪れました。

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扶助協会の姉妹たちは、美しい着物を通して日本文化への愛情を表しながら、一致を深めました© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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活動と出席者数の伸びを反映し、多くの会員が仮集会所の外に集まった© 2026 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.
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ワードは仮の教会堂で繁栄し続けていきました。その間、その陰で、建築家と教会の指導者たちがその土地に建設する常設の教会堂の建設計画を着実に進めていきました。その構想が具体化するにつれ、新たな機会も生まれました。1901年9月1日に最初の宣教師たちが日本に到着してから100周年という歴史的な節目が、まさに目前に迫っていたのです。

100周年記念と記念碑の奉献

教会の建築士たちは、ヒーバー・J・グラントと3名の同僚たちによって日本伝道部が開かれたことを記念する単独の美しい記念碑を建設することを提案しました。ヒーバー・J・グラント大管長のご家族は、大管長の奉献の祈りを日本語と英語で刻んだブロンズ製の銘板のために、惜しみなく資金を寄付してくださいました。その銘板は記念碑の台座に設置され、そこを訪れる人々が、その地で展開された神聖な歴史の一端を知ることができるようになりました。

2001年9月1日、500人から600人の人々が100周年記念とヒーバー・J・グラント記念碑の奉献式に集まりました。教会指導者、会員、宣教師、ならびに友人たちがこの重要なイベントを祝うために日本の各地から集まりました。(下記のと記事と写真をご参照ください。)

山手ワード教会堂の奉献(20029月)

それから1年後、日本の多くのふさわしい聖徒たちと指導者たちの信仰と努力が報われました。新しく建設された山手ワードの教会堂が、添付のプログラムの通り、2002年9月1日に奉献されました。