ニュースリリース

フィラデルフィア・セブンティシクサーズのCEO、「神の手」を感じて末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗

 

7月末、フィラデルフィア・セブンティシクサーズCEO、スコット・オニールの友人は、「信じている」とたった一言書かれたテキストを受け取った。オニール氏はこのテキストメッセージを通じて、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となるためにバプテスマを受けることを友人に知らせた。

フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ニュージャージー・デビルズ、そして、プルデンシャル・センターのCEOを務めるオニール氏は、妻のリサさんと結婚して21年。リサさんは生まれたときから末日聖徒イエス・キリスト教会の会員である。二人の間には、アレクサ、キラ、エライザという3人の娘がいる。結婚以来、オニール氏は日曜日に家族とともに教会に通い、毎週「家庭の夕べ」と呼ばれる家族の時間をもち、家族で聖典を学ぶ時間を設け、何年も什分の一を収めてきた。

それなら、なぜ今?何が変わるのか?

その理由をオニール氏に尋ねたならば、「人生をどう過ごすべきかを示してくれた素晴らしい模範」である妻リサの影響が偉大であったこと、また、バプテスマを受けるという決心は一つの出来事に端を発したのではなく、多くの人の行動が徐々に実を結んだゆえの結果であることを聞かされるであろう。

「たとえて言うなら、石を叩いて、叩いて、叩き割ったときに似ています。石が割れたのは最後の一打のためではなく、それ以前に何度も何度も叩かれた経緯があったからです。」アメリカ人ジャーナリスト、ジェイコブ・リースの有名な言葉を引用して語るオニール氏。「物事が一体となっていくよりも、ばらばらになっていくたとえは、あまりいい例とは言えないかもしれないですね。ですが、わたしたち家族は本当に恵まれていたのです。6、7たび引っ越しましたが、素晴らしい人たちに巡り合い、友情を培ってきました。引っ越した先々で出会う末日聖徒イエス・キリスト教会の友人たちは、みな素晴らしい人々でした。毎月訪問してくれるホームティーチャー、一致団結したワードの人々、素晴らしいビショップ、何人かの中央幹部にお会いする機会にも恵まれ、非常に貴重な経験をしました。今回の経緯に至るまでに、わたしたちに差し伸べられた神の手があったのかと問われれば、確かにあったと言えるでしょう。」

オニール氏とリサさんはニュージャージーネッツの仕事を通して知り合った。オニール氏は経営アシスタント、リサさんはインターンだった。敬虔なカトリック教徒の家で育てられたオニール氏は、高校、大学ともにカトリック系の学校へ進んだ。リサさんはモルモンとして生まれ、ブリガム・ヤング大学に通う学生であった。夏期休暇を利用した実習先として、リサさんには2つのNBAチームの候補があった。どちらもニュージャージーネッツより報酬がよかったことを考えると、「将来の夫を見つけるという理由がなかったならば、ネッツになんか来なかったにちがいない」とはオニール氏。結婚以前、オニール夫妻はある約束をしていた。子どもたちは末日聖徒の信仰の中で育てること、夫はそれを助け一緒に教会へ行くと。オニール氏は、スポーツビジネスジャーナル紙が選ぶ、殿堂入りを果たした40歳以下の40人(Sports Business Journal's Forty Under 40 Hall of Fame)に選ばれるほどの成功者であり、業界をけん引する人物として多忙であったにもかかわらず、結婚前のこの言葉に何十年も忠実であった。

オニール氏はこの21年間、彼の人生に影響を与えてきた人々について語る。その一人、ハーバードビジネススクールの級友であるマット・アイリングは、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会第一顧問、ヘンリー・B・アイリングの息子である。アイリング氏にNBAの決勝戦のチケットを贈ったところ、彼は「ちょっと雰囲気の違うアリーナ」に招待してくれた。それは、末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会だった。何年も交友のある熱心なホームティーチャーたちの存在もあった。オニール氏がジョークを交えて、「2番目に最高のホームティーチャー」と呼ぶ男性二人は、オニール氏のバプテスマにこぞって駆けつけた。彼らは全員、バプテスマ会に出席してくれた。

だが、彼の本当の心の変化というのは、つい昨年、「神の手を感じる瞬間」を経験するようになってから始まった。2007年の総大会でヘンリー・B・アイリング管長によって話された、「人生の中で神の御手を見出すように」の説教から学んだことである。

多くの改宗談が宣教師との関わりによって始まるように、オニール氏の場合もそうであった。ただ、彼の場合、よくある話とはちょっと違っていた。オニール氏の甥、ジェレミー・レイノルズは、日本仙台伝道部で宣教師として働いていた。ジェレミーさんは、伝道部会長から「親戚の中で教会員でない人はいませんか」と尋ねられた。「何人かいます」とジェレミーさんが返答したとき、「彼らはあなたの一番の求道者です」と告げられた。伝道部会長は続けてこう言った。「日本にいる人々、あなたが出会う人々に心を向けて欲しいのはもちろんです。しかし、あなたの家族は最も大切な人々であり、彼らに心を向けるのは当然です。毎週手紙を書いてください。彼らのことを思い、祈り、彼らの人生に良い影響を与えることができる方法を探してください。」

レイノルズさんは、叔父が教会に入ることができるようにとずっと家族で祈ってきた。叔父のことを思いながら手紙を書き、オニール氏はその手紙を毎週受け取って読み続けた。

「それが自分に劇的な変化をもたらすほどの影響を与えるきっかけとなったのです。妻には後々になってうちあけましたが、毎週送られてくる甥の手紙を読むたびに、涙があふれてきました。」

レイノルズさんが伝道を終えて帰国してきたとき、オニール氏はユタ州まで飛び、彼を迎えた。ユタにいる間の10月16日には、ブリガム・ヤング(BYU)大学対シンシナティのフットボールの試合を観戦しに行った。その時、エレベーターの中で、元フィラデルフィア・イーグルスの選手であったチャド・ルイスに遭遇した。オニール氏が自己紹介をすると、ルイス氏は即座に、BYU出身で元フィラデルフィア・イーグルスの選手であり、現在、フィラデルフィアでよく知られたニュースキャスターを務めているヴァイ・シカヘマを知っているか、と尋ねた。知っているけれども個人的な面識はないことを伝えると、ルイス氏は、ぜひ彼と知り合うべきだ、と勧めた。

フィラデルフィアに戻った翌日、オニール氏はシカヘマ氏と朝食を共にした。二人はすぐに意気投合した。その証拠に、シカヘマ氏はただちにオニール氏の助けを得たいといって、ある話を持ちかけた。末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者たちが、フィラデルフィア・ペンシルバニア神殿の文化の祭典に使用できる会場を視察するために、ユタ州からやってくる。フィラデルフィア地域の指導者たちは、これまで会場探しに尽力してきたが、まだ見つかっていない、とのこと。オニール氏はすぐさま行動を起こし、彼のおかげでテンプル大学のリアコウラスセンターが会場として決定したのであった。

神殿祭典の実現にかかわったこの「小さな出来事」が、実は、オニール氏に大きな影響を与え、改宗のきっかけともなった。

「フィラデルフィアに神殿ができることは、いろんな意味で特別でした。家族がもっと親しくなり、教会の人たちが以前にも増して親交を深めていき、地域との関わりにも影響しました。そんな中で、自分がその一部である、というか、自分にできる役割がある、と認識したことが、非常におおきく心を動かしました。自分の感じたことをどうやって表現したらよいのか、よくわからないのですが、とにかく、特別な場所で特別なことがおこるという、とても素晴らしく、強い思いが離れないのです。」

それ以降、オニール家にとって「最も素晴らしい霊的な経験は、シカハマ家族との交わり」であるという。

リサさんはこう振り返る。「この数年、小さなことが次々に起こりました。また、ヴァイのように、これまで夫の人生にはなかった特別な人々との出会いや交わりがありました。ヴァイには初対面であったのに、とつぜん神殿のできごとに関わることになったなんて、本当に不思議です。」

シカヘマ氏は、オニール氏との間に起きたある霊的な出来事について振り返ってこう言った。

「スコットと最初に会ったとき、彼はこう言いました。『ヴァイ、ぼくが教会について考えざるを得ない状況になるのがどんなときか知ってるかい?娘のアレクサさ。娘はこう言うんだ。『パパ、わたし、神殿で結婚したいの。でも、そのときパパはそこにいられないのよ。』娘はそう言って、ぼくに神殿のレクチャーをすることを楽しんでるんだよ。』その後、セミナリーに出席するために娘さんが車を降りて行ってしまうと、彼は車中に一人残されて、娘さんの言ったことについて考えさせられるのだそうです。」

「わたしたち家族とスコットの家族とはいっしょに神殿のオープンハウスに行きました。結び固めの部屋に入ったときに、わたしはスコットにこう言いました。『アレクサが結婚する日、君はリサと一緒にこの部屋でアレクサを祝うんだ。そして、僕も妻と一緒にここで君たちを祝うよ。』 スコットはわたしに覆いかぶさるように身体を預けてきて、その後はいっしょに涙を流しました。

フィラデルフィア神殿は、リサさんの人生にも不思議な影響を与えた。リサさんはまだ神殿で自分自身の儀式を受けたことがなかった。まもなく自分たちの暮らす地域に神殿が建つことを思い、ユタ州にいる家族を訪れている間に、神殿で儀式を受けることを決心をした。一方でオニール氏は、妻と娘たちがユタ州にいる間、妻には内緒でホームティーチャーと夕食の約束を作っていた。オニール氏が、「限りなくキリストに似た人物」と描写するホームティーチャーのクラーク・マックウェルは、ステーク会長会の一員であった。

「夕食の席で、わたしはマックウェル氏に言いました。『その、どうすればいいのか教えてください。正当な方法を。なにから始めればいいんでしょうか。 どういう手順を踏めばいいのか。助けてくれませんか。』」

「わたしのような頑固者でも、導きの声を無視するわけにはいかないと感じたときだったのです。これまでもなんどもそのような場面があったとは思うのですが、今回はその声を聴きました。」

家族が留守の間、オニール氏はマックウェル氏とともに毎晩宣教師からレッスンを受けた。家族が戻ってきたとき、妻と娘たちにバプテスマを受ける決心をしたことを告げた。

オニール氏は8月13日にバプテスマを受けた。9月18日にフィラデルフィア・ペンシルバニア神殿が奉献された日、オニール氏は家族とともに神殿の日の栄の部屋にいた。人生で最高の夏だった、とオニール夫婦は語る。

末日聖徒として始まった人生について、家族と永遠に過ごせることの次に楽しみにしているのが、奉仕の機会だ、とオニール氏は言う。

「責任をもって、謙遜に、また、霊感を受け、その霊感に導かれて奉仕をしたいのです。」妻の手を握りながらオニール氏は語る。「わたしは他の人よりも注目を集める立場にいることを自覚しています。そして、それを誰かほかの人を励ますために使えるなら、たとえば、宣教師と話すことをためらっている人を励ましたり、そんなことができるなら、そうやって誰かの役に立ちたいと思います。教会について、その教えについて、たくさん学ぶことがあります。自分自身が成長し、必要な知識を得るための道のりは長いですが、頑張っていきます。

自分でも努力はしますが、良いことのために自分を生かせる機会や場は、神から与えられるものだということもわかっています。自分がいつもそれにふさわしくあるように、と願っています。」

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.