ニュースリリース

児童養護施設から専任宣教師へ

不利な境遇を乗り越え、人に対する無私の奉仕と神への献身を示しながら信仰生活を送る宣教師の愛と希望と忍耐の物語

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クラーク・テロビアス長老は、同僚とともノートパソコンの前に落ち着いた様子で静かに座っていた。彼らは新型コロナウイルス感染緊急事態宣言が続く国で行われている、数多くのZoomミーティングの1つに出席したのである。テロビアス長老は、日本での2年間におよぶ実りの多い伝道をあと数日で終えようとしていた。彼は同僚の助けを借りて、このような特別な状況下での生活について英語で話すために十分な準備をしていた。英語は彼にとって第二言語であるが、英語を話す多くの同僚と常に一緒にいるという伝道生活を送る中で習得することができた。その日、主にユース・アクション・ラボ(Youth Action Lab)やコーナー・ストーン(Cornerstone)などのホームレスの子供たちを支援する団体やボランティアの人々と話すことになっていた。テロビアス長老は姉とともに児童養護施設で育ったが、その経験を話すことができたのである。伝道部会長の許可を得て彼らと話をしたテロビアス長老は、悲しみの涙と嬉し涙の両方を聞く者にもたらした。

テロビアス長老はフィリピンで生まれた。6歳まではタガログ語の環境で育ち、伝道中にその言語を話す機会もあった。彼がまだ4歳の幼い頃に両親が離婚。6歳の時、母親が家族を連れて来日し、彼は日本の小学校に通うことになった。しかし、わずか5年後に母親が病死。その後、テロビアス長老と2人の姉たちは、おばと1年間同居し、上の姉が高校を卒業した。しかし、それ以上子供たちを養うことができなくなったおばの家から出て、テロビアス長老と下の姉は児童養護施設に入ることになった。

おばと一緒に暮らしていた時に上の姉が教会に入り、妹と弟に福音を伝えた。2人はすぐにバプテスマを受けた。テロビアス長老は幼い頃から、亡くなった母親に再び会うことができるのか、自分は再び幸せに暮らすことができるのかと考えていたという。彼は求めていた答えをイエス・キリストの福音の中に見つけたのである。

テロビアス長老が話す様子から、彼が同情を得るために自分の生い立ちについて話しているのではないことは明らかであった。また自分の不運を誰かのせいにするわけでもなかった。彼は今、イエス・キリストの福音を中心とした生活を送っており、その福音は与えられた試練に感謝し、他人の罪を赦すことを彼に教えた。ネルソン大管長の「感謝の気持ちを表しなさい」というチャレンジを受け、テロビアス長老は自分の両親に対する感謝のメッセージをソーシャルメディアに投稿した。すると、すぐに彼の父親から「いいね」が送られてきた。テロビアス長老は4歳の時から父親に会っていなかったが、彼らはその後すぐにビデオチャットで長時間話すこととなる。

テロビアス長老は、自分が児童養護施設で育ったにもかかわらず成功を収めることができたのは、比較的珍しいことであることをよく知っている。施設にいる時は何が楽しかったかを聞かれたテロビアス長老は、ボランティアが来て散髪をしてくれ、自分と話す時間を取ってくれたことが嬉しかったと話した。

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