ニュースリリース

目に見える実:台風19号の被災者への支援

主の光を目に見える形で分かち合う

 文化の日の11月4日月曜日、祝日にもかかわらず名古屋東ステークの会員は宣教師とともに長野市富竹に行き、台風19号後のボランティア清掃作業に従事した。石川泰三ステーク会長は被災者を支援したいと思い、また、ステークが奉仕活動に参加する必要性を強く感じた。「自らの手を使って一生懸命に働くことは、心によい影響を及ぼします」と会長は言う。

4週間前の2019年10月12日の夕方、台風19号が本州を襲い、所によって降水量は300ミリを超え、長野県の千曲川を含む15の河川が氾濫した。翌日曜日の朝、川の西側堤防が決壊。深さ2メートルの水が流れ込み、9,000戸の家屋、事業所が浸水した。

名古屋東ステークのボランティアたちは、自分たちの隣の地区での作業に備えて長靴、手袋、ゴーグル、マスクを身に着け、万全の準備で臨んだ。割り当てられた場所まで、洪水で被害を受けた多くの家屋、畑のそばを通った。皆が驚いたのは、割り当てられた作業場所が千曲川の決壊した堤防の下方に位置するリンゴ園だったことだ。そこは、堤防を越えて流れ込んだ大量の水で最初に被害を受けた場所だった。

リンゴ園は深さ90センチの固くしまった泥に覆われ、半分泥に埋まった木々には泥がこびりつき、川から運ばれて来た草が絡まっていた。熟し、食べごろを迎えていたリンゴは、泥とつると雑草、葉っぱ、がれきに覆われ、落下を免れていても多くが茶色く変色し、腐りかけていた。姉妹たちは枝からつるやがれきを取り除いていった。

兄弟たちは泥かきと、泥に埋まっていたがれきの撤去を行った。板、タイヤ、金属板、瓦、パイプ、フェンス、家の枠、はり等が掘り出され、それぞれ金属、木、不燃物に分別された。家の屋根がそのままリンゴ園に放置されている光景は、豪雨がもたらした被害の大きさを物語っていた。

家族でリンゴ園を営んでいる女性は当時の様子を生々しく語った。「夕方6時ごろ、わたしは二人の娘とベランダで救助を待っていました。水が少し引いてきたと思ったその時、堤防が決壊して水が一度に押し寄せ、あっという間に水かさが増えました。ヘリコプターが何度もそばまでやって来て、近所の人たちをたくさん救助していきました。わたしたちも何とか助かりたいと、順番を待っていましたが、間に合うかどうか分かりませんでした。でも、8時近くにようやくヘリコプターが来てくれました。」

名古屋伝道部の姉妹宣教師クレーソン姉妹はこう話す。「彼女の家の前後の壁は全部なくなっていました。家族の写真が、乾かすためにひもにつるしてありましたが、写真は全部くしゃくしゃでした。後ろの壁があったところには防水シートがかけられていました。最初ガレージだと思ったのは、実際は家で、前の壁がなくなっていたんです。今回の奉仕活動は日本人を目に見える形で助けるすばらしい機会です。わたしたち宣教師の仕事がどのような実をつけるか、目に見えないことが多いです。でも、この活動は目に見えます。」

同じく名古屋伝道部のバー長老も次のように語ってくれた。「ほんとうにひどいです。このような災害や被害はニュース記事で目にするだけでした。わたしたちが実際にここを歩き、きれいにする手伝いをしているなんて信じられません。この農園が家族の収入を得る場所だと思うと悲しいです。天の御父はわたしたちがここにいることを喜んでおられます。そして、ここの人たちも、時間を割いて手伝いに来ているわたしたちを見て喜んでくれています。たくさんの愛を感じてくれています。この活動に参加できてうれしく思います。」

作業中、腐ったリンゴとカビの鼻をつくにおいが辺り一面に漂っていた。死んで埋葬されたようにも見えるリンゴ園。しかし、一人のボランティアは、泥の中に緑の植物が頭を出しているのを見つけ、生き延びようと懸命にがんばっている命を見てうれしくなったと言う。昼食後に聞こえてきた近くのお寺の鐘の音は、この地区を希望で満たしていた。

リンゴ園の一番奥に行くと、葉の茂る枝になっていた真っ赤なリンゴから、そよ風に乗って新鮮で熟したリンゴの香りが微かに漂ってきた。リンゴ園が命と存在をかけて戦っているような香りだった。

「わたしはこれまで近隣の清掃活動に関わってきましたけれど、これほど大きなものは初めてです」と言うのは長老定員会会長のデビッド・トルトリン兄弟で、ワードの長老たちとともに今回のプロジェクトを計画してきた。

石川ステーク会長は会員たちに、教会をただ楽しむための場所だと思ってほしくなかった。アイリング長老の預言について深く考えていたとき、会員たちには福音の光を輝かせるために、そして、この教会が奉仕の教会であることを人々に知ってもらうために行動する必要があることを知った。そこで、高等評議員の多田真康兄弟と話し合って、長野を支援するプロジェクトを探すことになった。多田兄弟はインターネットで長野県にボランティアセンターがあることを見つけて連絡を取り、計画を立てた。

ある参加者は、現場に着いて気持ちがなえてしまった。リンゴ園の惨状を目にし、どんなに働いたところで、表面をなでることさえできないと思ったからだ。しかし、全員の懸命な働きで、ゴミの山は大きくなっていき、一日が終わるころには2.2ヘクタール(4反)のリンゴ園にあったがれきのほとんどを取り除くことができた。リンゴの木の枝も洗ってきれいになった。この兄弟は気が遠くなるような作業をやり終え、達成感と満足感を覚えたと言う。

福山哲哉兄弟も自分の経験を話してくれた。「しばらく前、ビショップから奉仕活動に参加しないかと声をかけてもらいました。その時はわたしにとって苦しい時期でしたが、神に仕えたいと思いました。今日初めのうちはただ作業に集中することだけ考えていましたが、そのうち心が和らいで人に話しかけることが少しできるようになりました。奉仕活動が終わって、気分はずっといいです。奉仕ができてよかったです。心を和らげてくれました。」

一日を振り返り、稲木真司ステーク高等評議員は今回の奉仕活動を振り返ってこう言っている。「聖文を読んで、わたしたちは末日に自然災害が起こることを知っています。わたしたちはしっかりと備えておく必要があり、災害の最中、そして災害の後がどのような状態になるか知っておかなければなりません。さらに、今回のような奉仕活動をどのようにまとめたらよいのか、どのようにボランティアとして参加できるのかを知ることは有益です。また、青少年が今回、若い時期にボランティア活動を体験できたのは大事なことで、援助するとはどのようなことかを知ることができます。彼らは将来の指導者です。色々な意味で、今日のことは彼らにとって貴重な経験でした。」

リンゴ園の所有者は名古屋東ステークから来たボランティアたちに何度もお礼を言いながら、話してくれた。「今、ここでは誰もが被災者で、人を助けるなんてとてもできません。今までテレビでボランティア活動を見てきましたけど、すべて他人事でした。自分に降りかかってくるとは思いもよりませんでした。でも、それが起こりました。わたしの土地でボランティアの人たちが働いている。それを見てショックを受けています。こんなにたくさんの人たちが手伝いに来てくれて。現実とは思えません。」

リンゴ園を出てから、道行く多くの奉仕グループとすれ違った。所属団体が分かるベストを身に着けている人も多かった。全員疲れて、泥まみれで、それでも互いに尊敬の気持ちを表そうと手を振り、会釈し合っていた。無名のボランティアは1,000人以上いたに違いない。それぞれが自分たちの乗るバスに向かって歩いていた。

ある姉妹はこう気持ちを伝えてくれた。「人を助けるために休日を返上した、喜びに満ちたボランティアを見ていて、心が揺り動かされ、感動を覚えました。その人たち一人一人が祈りのこたえなんですね。」

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