イーグルスカウトに昇級するために行う奉仕活動として、15歳のアヴォンリア・フランシスは沖縄戦で亡くなったアメリカ人14,000人以上の名前を入力する奉仕活動を計画しました。
沖縄県糸満市にある沖縄県平和祈念資料館には沖縄戦の資料が展示されています。歴史家のほとんどは、1945年の沖縄戦が太平洋戦争における最大規模の戦闘であったと考えています。約15万人の沖縄人、約8万人の日本軍兵士、14,000人以上のアメリカ人、そして朝鮮、英国、台湾出身の人々も比較的少人数であるもの沖縄戦で命を落としています。2025年はこの悲惨な戦争終結80周年の年です。

「平和の礎」は沖縄県平和祈念資料館の近くにある記念碑で、第二次世界大戦中の沖縄戦での戦没者を称えるために作られました。この記念碑は大きな黒い花こう岩でできた板で、戦争で命を落とした兵士や市民の名前が刻まれています。
アヴォンリア・フランシスは4年前、家族と共に沖縄に引っ越し、沖縄に本部を置くアメリカボーイスカウト極東連盟のスカウト・エグゼクティブである父親と共に、多くの場所を訪問する機会がありました。彼女の家族は、父親が様々なキャンプやイベントに参加する中、アジア中を回りました。
2019年、11~17歳の少女たちがスカウトのプログラムに招待されました。自分の兄たちがキャンプに行き、ボーイスカウトの技能賞をもらい、イーグルプロジェクトに参加するのを何年にもわたり見てきたアヴォンリアは、自分自身にもスカウトの一員として参加を許可される将来を待ち望んできました。
「自分もいつかスカウトになれるのかどうかわからないままでしたので、わたしは常にイーグルスカウトになれるのか疑問に思っていました」と話すアヴォンリアは現在、アメリカボーイスカウトの沖縄第109団の一員となり、過去2年にわたりイーグルスカウトに昇格するために必要な奉仕活動として何ができるかについて熟考してきました。

アヴォンリアの家族は、沖縄滞在中に何度も平和祈念公園を訪れていました。2024年6月、アヴォンリアの従姉妹エミリー・ハンセイカーが、FSYに参加し、いとこ達に会うために、アメリカのワシントン州から父親のデビッド・ハンセイカーと共に沖縄を訪問しました。ハンセイカー親子は、沖縄戦で戦死したアヴォンリアの母親の大叔父の名前が刻まれている記念碑を見せるために、アヴォンリアを連れて平和祈念公園を訪れました。彼らは名前が刻まれた記念碑の近くに花を手向け、戦死した大叔父とその犠牲を思い起こしていました。
アヴォンリアは「知っている誰かが、母の大叔父のために直に記念碑を訪問し敬意を払ってくれたのはそれが初めてでした。それは本当に特別な経験となりました。沖縄で戦死した大勢の米軍兵の家族がこの地を訪れることはなく、その家族が記念碑を見ることもありません」と話しました。
今回の公園訪問でアヴォンリアの母ネッティ・フランシスは、ファミリーサーチの職員である関口治兄弟がそこにいるのを見つけました。彼は花こう岩で作られた記念碑に刻まれた24万人の名前の索引作成プロジェクトを計画するために祈念公園を訪問していました。アヴォンリアがこの公園に関連したプロジェクトを計画することを考えていると関口兄弟に伝えたところ、彼は14,000人のアメリカ人の名前の索引作成のプロジェクトをやってみないかと尋ねました。
公園の上空写真。 2025 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. | 1 / 7 |
アヴォンリアは、ユニークなイーグルスカウトのプロジェクトをやりたいと考えており、自分の従姉妹が沖縄を訪問したことを目にし、世界中から平和祈念碑にアクセスできるようにすることの重要性を感じました。このプロジェクトは、悲惨な沖縄戦の事実をまだ知らない人に伝え、戦死者とその親戚が繋がることを可能にします。イーグルスカウトの活動として何をすべきか2年考えた末に、アヴォンリアはついに、国のために犠牲となった兵士に敬意を表する手助けとなる有意義なプロジェクトを実行に移す機会を得ました。
FamilySearch.orgとFindaGrave.comが共同で記念碑に刻まれた名前の写真を撮り、写真はメールでアヴォンリアに送られました。彼女は関口兄弟とオンラインで話し、このプロジェクトの進め方を学びました。
アヴォンリアのティーチングプロジェクトのボランティアたち。 2025 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. | 1 / 5 |
アヴォンリアのプロジェクトでは、戦死者の名前を入力し、祈念碑の写真が保存され、戦死者の名前と死亡日が記録された単独のページをFind a Graveと呼ばれるウェブサイトに作成することが必要でした。
アヴォンリアはまず、写真から名前を抽出し入力するボランティアを見つけることが必要でした。彼女は自分のプロジェクトを説明する動画を作り、ボランティアを募りました。彼女は両親のソーシャルメディアにも動画を投稿しました。アヴォンリアはその反応の多さに驚きました。
このプロジェクトを行うために、アヴォンリアは説明書と記念碑の一部を撮影した写真をボランティアにメールで送りました。ボランティアは記念碑に刻まれた名前をスプレッドシートに入力し、アヴォンリアに返送しました。その後、彼女はスプレッドシートをFind a Graveに送ると、サイトが各戦死者のページを自動的に作成するという仕組みになっていました。現在、Find a Graveにログインすると、誰でも記念碑の写真と戦没者の名前が閲覧できるようになっています。戦没者についての追加情報の入力や他の親戚にその情報を送ることもできます。すでにページが存在する戦没者を融合することもできます。情報が追加入力されたページもすでにいくつかあります。
沖縄県平和祈念公園にいるアヴォンリア・フランシス。 2025 by Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. | 1 / 8 |
アヴォンリアのプロジェクトには世界中から97人のボランティアが参加し、その大半はアメリカと沖縄からの参加でした。約100名の名前が記された140枚の写真はアヴォンリアのボランティアチームに送られ、刻まれた名前の入力が行われました。すべての名前を入力、送信してプロジェクトが終わるまでに、約150時間を要しました。
アヴォンリアは、今回の活動が家族歴史プロジェクトであり、コミュニティプロジェクトでもあったことを嬉しく思っています。沖縄にある祈念公園を訪問しない限り見ることのできなかった戦死者の名前が、世界中の人々に閲覧可能となりました。
アヴォンリアは「わたしの家族とわたしは、この美しく神聖な平和祈念公園に何度も行ったことがあります。かつて多くの日米軍の兵士が命を捧げた戦場であったこの美しい沖縄に住めることをとても光栄に感じます」と話しました。