2024年、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員がモルモン書に焦点を当てて学習する中、日本の会員の多くがこの神聖な書物が彼らの人生にどのような影響を与えたかを考えた。以下の個人的な経験談は、試練に遭い成長する過程でモルモン書が彼らにどのようにガイダンス、癒し、希望を与えたかについて示すものである。
試練の中で見つけた希望
ナカザワ・ユミコは、家庭内暴力や「お前は何をやっても駄目だ」などの言葉による虐待を受ける幼少期を過ごした。しかし、モルモン書に出会ったことで、彼女の人生に光が差してきた。第二ニーファイ2章25節の『人が存在するのは喜びを得るためである』という聖句によって、希望を得ることができ、自分は幸せになるために生まれてきたことを思い出させてもらうことができたという。モルモン書の教えを通して、自分の父を赦すことができるようになり、自分の人生に感謝することができるようになったと彼女は述べた。
東日本大震災で母親を失った別の会員は、モルモン書によって慰めを得ることができたという。彼女は、モルモン書の教えによって、いつか再び母に会うことができるという希望が与えられたと述べた。
赦し喜びを見つけることを学ぶ
イワモト・シンゴは教会をお休みしている間、2冊の本を読んだという。1冊は自分を赦すようにと教えてくれ、もう1冊のモルモン書は隣人を赦すようにと教えてくれた。モーサヤ書26章31節には『お互いに赦し合うなら、わたしはあなたがたを赦す』と教えている。これによって物事に対する見方が変わったという。また、モルモン書はすべての事物には反対のものがなければならない(第二ニーファイ2章11節)ことを教えてくれ、これによって試練が喜びを感じる能力を高めてくれることを理解することができたという。
信仰と学習における強さ
カヤマ・カヨコは、看護助手としての仕事と看護師免許を取得するための勉強のバランスをうまく取ろうと努力する中で、自分の信仰に力があることを学んだ。彼女は第一ニーファイ3章7節の『わたしは行って、主が命じられたことを行います』に感動したという。「わたしはこの聖句を大きな字で紙に書き、自分の机の前に貼りました。わたしはずっと読書が大好きでしたが、このような言葉に出会ったことは今までにありませんでした。この聖句によって、主はわたしを成功に導いてくださることを確信しました」と述べた。
ナカノ・ヨシタカにとって、モルモン書は他の聖典の理解を助けるものとなった。モルモン書に記されている明確な原則を通して、わたしは新約聖書のような書物をより深く理解することができるようになったという。
価値観と家族関係を教える
アズマ・トシキは、モーサヤ書の中に働くことの価値について書かれた意義深いレッスンを発見した。その聖句から彼は、働くことは食べていくために必要なだけでなく、霊を強めることを自分に教えてくれたという。一方で、ヒシイ・タツオはモルモン書を最強の子育てマニュアルと考えるようになった。預言者が自分の子どもたちに与えた勧告を通して、自分はいろんな状況の中で自分の子どもたちをどう支援していくべきかについて学ぶことができたという。
福音の光を分かち合う
イクタ・カズオは地域住民への働きかけとして、モルモン書の朗読イベントを始めた。そして、イベント参加者が、宣教師からもっと学びたいと霊感を受けることを願っている。
普遍的な指針
ハットリ・ミチハルにとって、モルモン書は良好な人間関係を築く模範を提供するものであった。彼は若い頃、答えを求めていたときに宣教師がこの本を紹介してくれ、それを読むと自分が必要としていたことが書かれていると直感した。5カ月後、彼は家族とともにバプテスマを受けた。
ここで分かち合われた経験談から、人生における複雑な事柄に対処しようと人が道を探す時に、モルモン書は普遍の真理を提供してくれるものであることがわかる。試練の中にあっても希望を見い出せることに始まり、子育てや学業についてのガイダンスを得ることまで、この神聖な書物は日本の、そして世界中の人々の人生に霊感を与え続けるものである。
モルモン書を学習する中で、世界中の教会員はこの書物が自分を鼓舞し、指針を与えてくれるものであることを否定することはできないであろう。イエス・キリストについてのもう1つの証という神聖な目的を持った書物、それがモルモン書である。