ニュースリリース

マーティン・ビニーー日本において二度チャンピオンとなったボクサー

イスラエルの集合と主の声を聞くこと

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末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であるマーティン・ビニーは偉業を成し遂げたボクサーでありレフェリーである。そして、日本ボクシングコミッション (JBC)においてミドル級のチャンピオンに二度輝いた実績を持っている。マーティンのイエス・キリストの回復された福音を見い出したストーリーは世界各地の人々がどのようにして主の声を聞き従ったかの事例である。マーティンの人生と証は、主が散らされたイスラエルの民と主を愛する人々を集め、救い主の再臨に世の中を備える業を行っておられる実例である。世界のどこにいようと、皆さんはイスラエルの失われた羊である人々を見つけ出すことができるでしょう。彼らはわたしたちにとっては失われた人々であるが、主は御存じである。そして、彼らは御霊に触れるとき、主の声を認識するのである。ヨハネ10:27には次のように記されている。「わたしの羊はわたしの声に聞き従がう。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」

マーティン・ビニーはガーナのアクラにおいてクリスチャンの家庭に生まれ育った。彼はサッカーをすることが大好きで、サッカーをしながら成長した。23歳(1986年)のとき、彼は自動車修理技術を学ぶために、故郷を離れ日本に行くことを決意した。彼は日本でサッカー好きの友人を見つけた。そして、勉強の合間には、いつもサッカーをした。彼はサッカーをする中で、(埼玉県春日部市出身の)菅原苗と出会い、とても親しい友人となった。彼女とマーティンはよく一緒に時間を過ごした。25歳のとき、マーティンは大好きなサッカーをしているときに足に大ケガを負ってしまった。このケガのため、彼はサッカーをうまくできなくなってしまった。そこで、彼は、自分が活発でいられるようサッカー以外の選択肢を考えた。その結果、27歳のとき、彼はサッカーの代わりにボクシングをすることを決意した。

この若いアスリートにとって、ボクシングは馴染みのないものであった。マーティンは地元のボクシングジムに通い始めた。そのジムのコーチとスタッフは彼の天性の才能に大きな可能性を見た。彼らは、マーティンが卓越したボクサーになれるよう教え、コーチングすることに焦点を当てて教えた。1989年、彼が27歳のとき、マーティンと苗は結婚した。またその年は、彼がボクサーとしてデビューした年でもあった。

数年間は、マーティンは「ミドル級」の挑戦者として、ボクサーとしてのランキングを上げていくことに努めた。運送会社で配送員として働き、家族を養いながら、彼は毎日3時間ボクシングの練習をしてボクシングの技術を高めることに集中した。何年にもわたる厳しい練習の末、1994年に、マーティン・ビニー(31歳)はJBCのミドル級チャンピオンとなった。すべてが彼と家族にとってうまく行くように思えた。

ミドル級チャンピンとして勝利を収めた後すぐに、彼は人生が変わる大きな交通事故に遭い、再びケガをした。このケガのため、彼はボクシングを続けていくことはできないように感じた。マーティンは落胆し、人生において大きなものを失った気持ちになった。このころには、マーティンと苗には二人の息子、マービンとジュリアスがいた。マーティンは妻と家族を養わなければならない大きなプレッシャーを感じていた。

彼は、引き続き練習と仕事をしながら、家族を養った。1995年のある日、この謙虚なマーティンはコピー機を地元の教会に配達する割当てを受けた。その教会とは末日聖徒イエス・キリスト教会であった。コピー機の配達をしているとき、彼は教会の代表者(宣教師)と出会った。宣教師たちは彼に回復された福音とモルモン書を紹介した。宣教師は彼にモルモン書を渡し、彼にレッスンを教え始めた。

マーティンはモルモン書を喜んで読んだ。そして、御霊を認識し、御霊が人生における指針を与えてくれることを理解した。数か月後、自分の証を得て、マーティン・ビニーはバプテスマを受け、教会員として確認を受けた。彼の所属するワードとステークの多くの会員が彼と彼の家族に友情を示し、サポートを行った。教会の新しい会員として、マーティンは毎週教会に集ったが、何年もの間、妻と子供たちは教会には集わなかった。ビニー兄弟は次のように述べている。「バプテスマを受け、聖霊の賜物を受けた後、わたしは祝福されているのを感じました。わたしはさらに確信を得て、再びボクシングができると感じました。」

自分のボクシングのキャリアに新たな焦点と活力を得て、マーティンは自分の才能を再構築するために一生懸命トレーニングをした。彼は多くの犠牲を払い、ミドル級でのランキングを再度上げ、優勝をかけた試合に出場できるように努力をし続けた。主はマーティンのこの準備を祝福してくださった。そして、1997年、34歳のとき、マーティン・ビニーは日本のミドル級ボクシングチャンピオンに返り咲いた。

マーティン・ビニーはこの成功により、多くの機会が与えられたが、彼は運送会社で働くことを辞めなかった。JBCは、二度目のチャンピオンになった後すぐに、彼にレフェリーになる機会を提供した。JBCでは、ボクサーは37歳以降、試合で戦うことが認められない。JBCからのこのオファーは彼に仕事を続け、ボクシングに関わり続けることができる機会を与えてくれた。レフェリーとして18か月訓練を受けた後、マーティンは定期的に試合のレフェリーを務めることを開始した。このことを通じて、彼は引き続きボクシングのリングに足を踏み入れることができるとともにその他のボクシングイベントにも参加することができた。

マーティンの妻、苗は後に、教会についてさらに学ぶ決意をし、2008年にバプテスマを受けて教会員となった。彼女とマーティンは2021年に札幌神殿で夫婦の結び固めを受けた。二人は福音を愛し、一緒に物事を行うことを楽しんでいる。夫婦で伝道に行くことについて考えるか尋ねられたとき、ビニー兄弟は、考えるかもしれないが、80歳までレフェリーを続けたいという希望があると答えた。だれにも分からないが、もしかしたら、ボクシングのスポーツ分野で奉仕宣教師の機会が生まれる可能性もあるかもしれない。主はあらゆるスキルを必要としておられるからである。

マーティン・ビニーと妻の苗の事例から、わたしたちは、あらゆる場所にいる人々、人生の「すべての」局面にいる人々、キリスト教があまり広まっていない国であっても、救い主の声を聞き従う人々がいるということを見ることができる霊的な眼を得ることができる。主の声を聞き、主に立ち返る人々はイスラエルの集合に含まれる人々である。わたしたちの愛する預言者、ラッセル・M・ネルソン大管長はイスラエルの集合について、次のように述べている。「何世紀にもわたり,預言者たちはこの集合について預言し,11今まさにそれが実現しています!主の再臨に欠かせない前触れである集合は,世界で最も重要な業なのです。」ネルソン大管長は、さらに次のように述べている。「幕の両側のイスラエルの集合について語る際,もちろん,それは伝道,神殿,家族歴史の業を指します。そして,ともに生活し,働き,仕える人々の心に宿る信仰と証を育むこともこれに含まれています。だれかが聖約を交わし,それを守れるよう助けるために何かを行うときはいつでも,それが幕のどちら側であろうと,イスラエルの集合を助けているのです。」(「神に勝利を」ラッセル・M・ネルソン大管長、202010月総大会

マーティンと苗は、日本東京ステーク浦和ワードにおいて忠実な教会員として奉仕している。彼らが教会の会員となったことと彼らの証が地上において主の選ばれた人々を見つけ出すことの実例である。ビニー夫妻は、初等協会の組織で奉仕することが大好きであり、ワードで子供たちに福音を教えることに喜びを感じている。マーティンはレフェリーとして、また審判としてボクシングというスポーツへの情熱を持ち続けており、ボクシングリングの中でも外でも、模範を通して人々に福音を分かち合っている。プロのレフェリーとして、彼はこれまで217回以上の試合の審判を行ってきた。また、彼は、638回以上の試合において、勝者と敗者を判定するためのスコアと評価の採点を行う審判として務めてきた。

人生のあらゆる局面において、また、世界のあらゆる国において、主によって召された人々を見つけ出すという意味で、マーティンはすばらしい例である。彼のストーリーはわたしたちが皆愛する愛にあふれる天の御父のこどもであることを理解するうえで、また、天の御父は救い主の再臨に先立ち、わたしたちを集める業をおこなっておられることを理解するうえで助けとなる。イスラエル万歳!神の群れの選ばれた一員であり、キリストの真のチャンピンであるマーティン・ビニーのボクシング・センセーション万歳!

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.