編集者:サラ・ジェーン・ウィーバー
更新日
2020年5月6日
午前11:56(山岳部夏時間)
新型コロナウィルス(COVID-19)は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとって「一員であることについて深く考える大きな機会」となっているとD・トッド・クリストファーソン長老は述べた。
今は「自分の周りの人々の健康と幸せについて常に意識すること」が求められている時期であると十二使徒定員会会員のクリストファーソン長老は述べた。
これには特に病気になったときや死亡したとき,経済的に行き詰ったとき,および日常生活が頻繁に変わるときに助けてくれる通常の家族のつながりを持っていない人や独身者が含まれている。
大管長会が新型コロナウィルス(COVID-19)パンデミックに対応するために,教会の集会を中止し,神殿を閉館し,何千人もの宣教師を母国に帰還させてから数週間後に行った「チャーチニュース」とのビデオ会議の中で,クリストファーソン長老は現在の困難な状況に独りで取り組んでいる人々について思いをはせた。
「わたしたちがお互いのためにできることはたくさんあります」とクリストファーソン長老は述べた。
人類としてソーシャルディスタンス,移動制限,生活必需品の入手や経済的な保障の不確実さに取り組んでいる状況であるがため,世界中の人々や家族は自分たちの安全と幸福について同じように心配しているとクリストファーソン長老は述べた。「わたしたちは皆『自分は必要なものが手に入るのだろうか。…必要なときに医療が受けられるのだろうか』と疑問に感じています。」
そして,独身成人はさらなる困難に直面していることをクリストファーソン長老は述べた。
教会にかかわる事柄ついて言えば,彼らは神権の祝福を受けることがあまりできない,儀式,特に聖餐を受けることもあまりできていない状況かもしれない。そして,彼らは「孤独に対処するというさらに大きな困難」を抱えていることをクリストファーソン長老は付け加えた。
「こうした問題すべてに関して,わたしたちは独身成人が大抵の人たちよりも多く直面する孤独やその他の困難に対してもっと心にかける必要があります。特に,大きな重荷を抱える独身の親に対して心にかけなければなりません。皆を仲間に入れるという意識を持つことにさらに注意を向け,彼らが必要としているかもしれない助けについて考えることはわたしたちの責務です。」
一員である
主の教会の組織には,良いときも困難なときも,互いに気遣い世話をするために扶助協会と神権定員会が組織されているとクリストファーソン長老は述べた。
「一員であるとはどういうことなのか,どのような気持ちを感じるか考えてみてください。わたしたちが一員であるという意識,兄弟愛,姉妹愛を持っていれば,わたしたちがお互いのためにできることはたくさんあります。」
このような困難な時期は扶助協会と神権定員会が「その真価を発揮し,他に類を見ない形で組織されて行うべきことを行うことができる」具体的な機会となる。
ソーシャルディスタンスを保たなければならないが,定員会と扶助協会は独身会員を含め,それぞれの会員がこの一員であるという意識を感じる助けとなるよう「創造的な交流方法」を見つけるべきである。
個人の啓示をとおしてこうした交流方法に導きを受けることができるとクリストファーソン長老は付け加えた。
総大会日曜午前の部会のラッセル・M・ネルソン大管長の説教を引用し,クリストファーソン長老は「これまで以上に意識的に」努力する必要があると述べた。
「ネルソン大管長は次のように述べています。『改めて皆さんにお願いします。個人の
啓示を受ける霊的な能力を増すために必要なことを何でも行ってください。』これは力強いメッセージです。」
主が奉献の律法を示されたとき,主は「すべての者はその隣人の益を図るように努め〔なければならない〕」(教義と聖約82:19)ことについて語られたとクリストファーソン長老は述べた。「それが定員会あるいは扶助協会および家族の中に必要な根本的な原理であり考え方です。」
その「他人の幸福を常に意識すること」が「シオンに来るあるいはシオンを築く」ことを意味しているのである。
これは今日の世界,すなわち,内向き志向で,「自分はどうなるのか?自分に必要なものは何か何が必要なのか?どうすれば自分は幸福になれるのか?」といった問いかけばかりするのが自然な傾向の世界とは真逆の文化であるとクリストファーソン長老は述べた。
外向きになりほかの人々に心を向けることがミニスタリングの背景にある概念である。「すなわち,それは単に責任を果たすことや訪問欄にチェックマークを入れることよりもより高い,より神聖なものです。」
クリストファーソン長老は,末日聖徒に「もう少しお互い同士のこととお互いの健康と幸福に目をむけるよう」呼び掛けた。
指導者がそのための機会を提供することもできるが,それはまた,「支援がなくても,自分たちの心の中から湧き出るもの」でなければならないとクリストファーソン長老は付け加えた。
「それが自然な生き方であり考え方です。それは互いを心にかけることを増していくことです。」
孤独という困難
クリストファーソン長老は独りにならざるを得ない状況が続くと孤独感が生じたり,身体的精神的な健康に悪影響を与えたりすることがあると述べた。
使徒は孤独という困難にどう対処すればよいか悩んでいる独身成人に以下の助言を行っている:
奉仕する:外部に目を向けると孤独になることが減少するとクリストファーソン長老は述べた。地域社会での機会を探してみる。教会が後援しているウェブサイトJustServe.orgに掲載されているものもある。「貢献する方法を見つけてください。助け,親切にする機会を見つけてください。」
オンラインでできることもあれば,安全のためにマスクや手袋およびその他の防護具を着用して地域社会で奉仕する方法もあるとクリストファーソンは説明した。例えば,ユタ州では多くの人が「プロテクト・プロジェクト」に参加し,最前線で働く地元の医療従事者のためにマスクを縫っている。
働く:「在宅でできる仕事の機会があれば,それを行ってください。」働くことは現在の選択肢でなければ,「キャリアを伸ばす方法を計画してください。」オンラインコースを受講するのが良いかもしれない。
「再び道が開かれれば,皆さんは時間のあるときに,将来のキャリアの選択肢とキャリアを伸ばすことについて考えて行う時間を取ったことに感謝するでしょう。現在物事が進まない状況だからといって,将来のための備えができないというわけではありません。」
交流する:だれかに電話するようにとクリストファーソン長老は述べた。「人間として,兄弟姉妹として交流する」方法を見つける。
「単に電話して話してください。特に伝えるメッセージや依頼は必要ありません。ただ会話してください」とクリストファーソン長老は述べた。
今は「皆さんの周りの人々の健康と幸せについて常に意識すること」が求められている時期である
ミニスタリングブラザーまたはミニスタリングシスターとして奉仕する責任を果たす。オンラインで研究するグループをつくるか参加できるグループを見つける。創造力を働かせる。「心を高めてくれるもの,楽しいものを見つけてください。」
伝道と家族歴史の機会を見つける:現在の状況において,これまでに比べて宗教についてもう少し心を開いて考えている人がいるかもしれないとクリストファーソン長老は述べた。彼らに福音を分かち合う。専任宣教師が教える人を見つけるのを助ける。余った時間を利用して家族歴史を学び,ほかの人にも同じことをするよう教える。
読書をする:「だれもが読みたい本があるがまだ読んでいないものがあると思います」とクリストファーソン長老は,自分は伝記を読むのが好きであると言いながら述べた。
自分の心を高め活力を与えてくれるものを見つける。「また活力を与えるうえでとても良い娯楽もあります。」
運動する:「これはわたしがだれにでも推奨したいものですが,特に孤独になっている人にお勧めしたいです。室内でも屋外でも,散歩してください。」
「わたしたちはいつもより少し多く静かな時間があります。この時間は『主に聞く』ことを学ぶ時間です。」
預言者は末日聖徒に個人の啓示を認識し受ける能力を増すよう求めている。
「それには規律と意識的に行うことが必要です。それを個人で責任をもって行ってください。ブリガム・ヤングが述べているように,わたしたちは『陶器師の手の中にある粘土』になることができます。」
しっかりとつかまる:聖餐を受けること,神殿に参入すること,あるいはほかの人々とともに集うことを待ち望んでいる人々に対して,クリストファーソン長老は現在の状況は変わることを約束した。「こうしたことが永遠にできないことはありません」とクリストファーソン長老は述べた。
「わたしたちのだれ一人忘れられてはいない」
1918年世界中で流行したインフルエンザの最中,ジョージ・ゴーテスはユタ州リーハイでてんさいを栽培していた農夫でしたとクリストファーソン長老は述べた。ジョージがゆっくりと困難な収穫を始めると,インフルエンザは6日間で家族のうちの4人の命を奪った。悲嘆にくれた中で棺を用意した後,ジョージはてんさい畑に戻っていった。途中,すでに収穫を終えた隣人の畑を通り過ぎた。
自分の畑に向かう途中,ジョージは近所の農夫たちが荷台にてんさいを満載したワゴンを何台も運転して工場に運んでいるのを目にした。ジョージは自分の畑に到着して初めて,てんさいがすべて収穫されていて,運ばれていたのは自分のてんさいだったことを知った。
彼は泣きながら,「天を仰いで次のように言った。『御父よ,ワードの長老たちに感謝します。』」
主の教会のすべての会員が不慮の事態に見舞われたときにあっても自分を支援し心にかけてくれる人がたくさんいるというように感じられるようになるべきであるとクリストファーソン長老は述べた。
時々,独身の末日聖徒は「自分たちのことを気にかけてくれる人はだれもいない」と感じている。
しかし主にとって,「わたしたちはだれ一人忘れられてはいないのです」とクリストファーソン長老は付け加えた。
「『主は自分のことなど探してはおられない』と言える人はだれもいません。…そのようなことを言える人は一人もいないのです。」
クリストファーソン長老は自分の人生で長い期間続いた困難が自分の焦点を主に向けるきっかけになった時期を思い返した。
現在のパンデミック,あるいは何らかの困難が「わたしたちがさらに主に目を向ける」きっかけになり得ると使徒は述べた。
見返りとして,主は御自分の子供たちに平安を約束しておられる。「皆さんはそれがどのようにしてうまく行くのか,あるいは何が起きるのか,あるいは自分がどうやってそれを行うのかはわからないでしょうが,そうなるのです。そして皆さんは平安を感じられるでしょう。」
アルマは,息子のヒラマンに向かって次のように言った。「神に頼るものはだれであろうと,試練や災難や苦難の中にあって支えられ,また終わりの日に高く上げられるということをわたしは知っている。」(アルマ36:3)
クリストファーソン長老はそれらの約束はまた「この今も」当てはまると述べた。
また,それがクリストファーソン長老のメッセージである。「皆さんが神に頼るならば神は皆さんを支えてくださいます。その約束から除外される人はだれ一人いないのです。」
それは末日聖徒がほかの人々のことを気にかけ,自分を含め人々の刈り入れを行うならば,この偉大な機会の時期に末日聖徒の支えとなるであろう。救い主とともに救い主の方法でミニスタリングを行えば,「孤独な人も含め,すべての人を安全に取り込む助けとなるでしょう。」