2月24日、ジョン・A・マキューン長老と福祉自立サービス部一行の最終訪問先は、宮城県本吉郡南三陸町における林業の川下の一つにあたる製材業者の丸平木材株式会社であった。
小野寺邦夫社長(当時副社長)は、初めて会う教会の代表者たちに、とても親しげに当時のことを語ってくれる。「今でも忘れません。(ゲーリー・E・)スティーブンソンさんが私の目を見て、『あなたの瞳には、復興を語る真実の輝きがある』と言ってその場で支援を決めてくださったんです。」
被災前,低地にあった製材所は津波で壊滅した。その再建の一部を教会が支援した。この製材所では,45℃の低温で2週間にわたって木材を乾燥させる特殊な乾燥設備を導入している。高温乾燥では抜けてしまう木材の油脂成分が残るため,香りも長く残り,虫も付きにくい良材ができる。こうした高付加価値を付けて,南三陸杉ブランドの高級材として市場に出し,地場産業復興の一翼を担ってきた。*1
「当時、先の見えない壊滅状態の中からの出発。この10年は震災特需で、ある程度分かっていた経済の戻りでした。これからの10年をふまえ、現在、戦略の練り直しに奔走しています。でもここで戦略を練り直せるもの、当時の支援があってこそです。」
小野寺社長は、ぜひ見せたいものがある、と一行を引率し、南三陸生涯学習センターに連れてきた。撮影は困りますという受付に、大切な客人にどうしてもここを見せたいので撮影を特別に許可してほしい、とやり取りする社長の声が聞こえる。
建物の中に入ると、幾何学的なデザインをモチーフに、ありとあらゆるところに南三陸産の木材が使われた空間に包み込まれる。子ども図書館が併設されており、地元の子どもたちが一日ここにいても飽きずに楽しんでいる様子が容易に想像できる。「(図書館の内装を指して)こんなものまで作れるようになりました。それもみんな頂いた支援があったからです。でもこれだけじゃない。東京オリンピック・パラリンピック用に建て替えられた国立競技場の北出入口に私らの南三陸産の材木が使われています。」地産地消の地元材のみで造られた木の壁を誇らしげに見上げながら、小野寺社長の顔がほころんだ。
*1─「東北で効果的に続けられる教会の復興支援」リアホナ2012年6月号ローカルページ,1参照